第十話:聖女、自らの「悪意」を証明するため、世界の「悪意の封印」に挑む。〜私の破壊工作、世界の清浄をもたらす「創世の儀式」らしい〜②
創世の泉での破壊工作は、最悪の形で失敗した。結界を破ろうとしたアリアの行動は「創世の秘儀」となり、悪意の残滓は「浄化の触媒」として、泉をさらに神々しく輝かせてしまったのだ。
(くそっ! 私の悪意は、この世界では洗剤か何かだと言うの!? 汚そうとすればするほど、白く輝くなんて、冗談じゃない!)
神官たちが感謝の祈りを捧げている隙に、アリアは静かに立ち上がり、洞窟の隅に身を隠した。
この世界の「優しさ」を根絶するには、この世界で最も聖なる概念である「聖女の血」を、最も下劣な悪意で汚すしかない。
「初代聖女の血筋。この血には、前世の性悪な私の魂の残滓が、きっと微かにでも混ざっているはず。この穢れた私自身を、清浄の源に叩きつけてやる!」
アリアは、人目に触れぬよう、そっと魔道具のカッターを取り出した。これは、盗んだ宝石を加工するために用意していたものだ。
彼女は、光の満ちた泉に手をかざし、皮膚の薄い指先を、冷たいカッターで浅く、しかし明確に傷つけた。
チクリとした痛みが走る。アリアの指先から、鮮やかな赤い血が一滴、二滴と湧き出した。
(さあ、この血が、この世界の清らかな水に憎悪と傲慢の毒を流し込むのよ!)
アリアは、その血を、清浄な創世の泉の水面へと、ゆっくりと滴らせた。
彼女の赤い血が、淡く光る泉の水に触れた、その瞬間――
ズン、と聖域全体が重低音の唸りを上げた。泉の水面が爆発的な光を放ち、洞窟全体が、直視できないほどの黄金色の輝きで満たされた。
泉の周囲で祈りを捧げていた神官たちは、驚きのあまり、地に頭を擦りつけるように平伏した。
「ま、まさか……! 黄金の聖血だ!」
「ああ、神よ! 我らが聖女アリア様が、自らの肉を裂き、血を以て契約を結ばれた!」
筆頭魔術師が、震える声で叫んだ。
「これは『血の誓約』! 初代聖女の時代に途絶えたとされた、世界への究極の献身を示す儀式! 聖女が、自らの存在そのものを贄とし、世界の清浄を永久に守り抜くことを誓う、神聖なる証!」
アリアは、指先から血を流しながら、泉の光に照らされて立ち尽くしていた。彼女の視界に入ってくるのは、泉が汚染されるどころか、さらに純粋な光の柱を天に突き上げている光景だった。
(なぜ!? 私は憎悪を込めてこの血を垂らしたのに! 自分の悪役の魂を、この泉に叩きつけたのに!)
血が泉に溶け込んだ瞬間、アリアの体から、前世の記憶に由来する「悪意の残滓」が、一瞬にして魔力に変換され、泉の清浄さを増幅させるエネルギーとして消費されてしまったのだ。
この優しい世界では、彼女の悪意(=最も強い負のエネルギー)でさえ、聖女の身体を媒介とすることで、最高純度の「浄化の力」としてしか機能しない。
神官たちは、アリアの「自傷行為」を前に、文字通り号泣し始めた。
「聖女様は……この世界に悪意を持ち込ませないために、ご自分の命の根源を、私たち国民のために差し出されたのだ!」
「血の誓約とは、いかなる苦難が訪れようとも、決して国民を見捨てないという、命懸けの覚悟だ! なんと健気で、慈愛に満ちたお方か!」
アリアは、自身が汚そうとした血によって、この世界の「聖女の血筋」の神聖さを、史上最強の形で証明してしまった。
彼女の指の傷は、瞬く間に光に包まれて治癒した。跡形もなく治り、ただ、泉の神聖さが究極的に増したという結果だけが残った。
アリアは、悪役としての魂の敗北を悟り、全身から力が抜けていくのを感じた。
(私の存在全てが、この世界では究極の善としてしか作用しない……。私は、悪役として何一つ達成していないのに、命を賭けた聖女として祭り上げられてしまった……!)
その場で膝をついたアリアの姿は、神官たちの目には「誓約の完了と、究極の疲労に耐える、神聖なる聖女」として映った。
「我らは、聖女アリア様の献身に、心から感謝の祈りを捧げます!」
アリアは、周囲の熱狂的な祈りの声を聞きながら、悪役の自分が、世界の守護者として固定されてしまったという事実に、悪役としての強烈な罪悪感を覚えた。
(まだだ……! まだ、諦めるには早すぎる。物理的な行動が通用しないなら、次は精神的な破壊よ。この世界を救おうとする私の偽善が、絶望に変わる瞬間を見せてやる!)
アリアは、悪役としての最後の誇りを胸に、次なる、この世界への逆襲の準備を始める。その心は、優しさに目覚めない、孤高の悪役のままであった。




