第8話「交わる世界」
――白い世界が、揺れた。
黒い狼が唸り声を上げる。鋭い爪が地を裂き、粉雪のような白い破片が舞い上がった。
春は剣を握りしめ、息を荒げる。手のひらの汗が冷たく、心臓の鼓動だけが世界の中心に響いていた。
「くそっ……来いよ!」
春の声に応えるように、狼が跳ね上がる。
瞬間、まるが叫んだ。「春、右だっ!」
春は反射的に身をひねり、剣を振るう。
光の刃が閃き、狼の体が霧のように消えた。だが次の瞬間、男の背後から別の影――巨大な虎が姿を現す。
「想像したものを、具現化できる……お前も同じだろう?」
男が低く笑った。
「ここでは、思ったものが“現実”になる。強く信じた方が、世界を支配する」
春は息を呑んだ。
――俺の世界、なのに。
相手の“想像”が混じり込み、世界が濁っていく。
真っ白だった空が灰色にくすみ、地平線の遠くに瓦礫の街並みが浮かび上がる。
「やめろ! これは俺の世界だ!」
春の叫びに応えるように、地面が波打ち、光の竜が姿を現した。
長い体が雲を貫き、竜の瞳が金色に光る。
「行け――!」
春の声とともに、竜が咆哮を上げ、虎へと突進する。
衝撃で世界が震え、まるは膝をついた。
(――なんで? なんで“おっさんの世界”がここにあるの?)
まるは必死に考えた。
これまで春が作り出した白い世界は、心の中にある“安全な場所”だった。
外から誰かが入り込むことなんて、ありえない。
なのに、彼の屋台の男は現れ、確かに存在している。
「おっさん、あんたは何者なんだ!」
春が叫ぶ。
「俺か? 俺も昔、ここを作ったんだよ。
孤独の果てに、何もない場所を作って……気づけば、他の世界と繋がってた」
「他の世界……?」まるがつぶやく。
「そうだ。ここは完全な孤立世界じゃねぇ。お前の心の裏にも、他人の“記憶”が隣り合ってる。
人間の心は、そうやって混じり合うんだ」
春は言葉を失った。
もしそれが本当なら、この場所は――自分だけのものではない。
だが、それを認めることは、自分の存在が溶けていくようで怖かった。
「違う! ここは俺の世界だ!」
春の怒号が響き、竜の身体が光を放つ。
対する男も、腕を広げて叫んだ。「なら、見せてみろ! お前の想像力を!」
二つの力が衝突した。
竜の炎と、虎の咆哮。
空が裂け、地面が砕け、まるは吹き飛ばされる。
世界はもう、どちらのものでもなくなっていた。
光と闇が混じり合い、無数の獣が生まれる。
虎に続いて、狼、蛇、豚、オオカミ、トラ、ドラゴン――ありとあらゆる想像の獣たちが現れ、互いに喰らい合う。
その中心で、春と男は睨み合っていた。
「お前は誰のために、この世界を創った?」
男の問いに、春は一瞬だけ息を止めた。
――誰のため? 俺のために決まってる。
そう答えようとして、喉の奥が詰まる。
気づけば、まるの姿が遠くで光に包まれていた。
春はその姿を見て、ハッとする。
「……俺は、一人になりたかった。でも――一人でいるのは、怖いんだ」
剣を握る手が震える。
「だから、まるを創った。俺の世界に、誰かがいてほしかった」
男の表情がわずかに和らぐ。
「なら、いいじゃねえか。俺も同じだ。
人は結局、誰かと世界を共有しちまう生き物なんだ」
その瞬間、男の背後で“何か”が動いた。
黒い影。人の形をしているが、顔がない。
まるが叫んだ。「後ろっ!」
だが遅かった。
影が鋭い刃を突き出し、男の背を貫いた。
「――ッ!」
血の代わりに、黒い霧が噴き出す。
男は苦笑しながら、春を見た。
「覚えとけ……この世界は、“区域”で分かれてる。
お前が行く先にも、別の創造主がいる」
春が駆け寄る前に、男の体は霧となって消えた。
残されたのは、屋台の赤い提灯だけ。
まるがそれを拾い上げると、光が一瞬だけ灯った。
静寂。
春は剣を下ろし、震える息を吐いた。
「まる……俺、どうすればいい?」
まるは提灯を見つめたまま、小さくつぶやく。
「――行くしかない。次の区域へ、でも顔無しも倒さないと」
白い世界がゆっくりと色づき始める。
灰と青と、どこか懐かしい夕焼けの色。
春はその光の中で、、、
どこまでも、見てみょう
と春は心に刻んだ
――つづく




