第4話 光の中で
目の前で、まるの身体がふわりと光に包まれていった。
それはまるで朝霧を裂くように、柔らかく、でも確かに強い光だった。
「ま、まる……?」
春は息を呑んだ。
光はまるの輪郭をゆっくりと溶かし、形を失わせていく。それでも不思議と恐怖よりも、心の奥底が温かくなるような感覚があった。
やがて光が満ちる。
眩しくて目を開けていられないほどだったが、春はなぜか視線を逸らすことができなかった。
「春」
光の中から、まるの声が響いた。
柔らかい声。その声に導かれるように、春は手を伸ばした。
まるが差し出した手。
その指先は光そのもので、掴めば消えてしまいそうに儚かった。
「……さ、触ってもいいのか?」
「うん。大丈夫」
春は少しだけ躊躇した。
心臓が跳ねるように鼓動を打つ。光の中のまるの瞳は、どこか遠くを見ているようだった。
意を決して、春はその手に触れた。
瞬間——世界が、裏返った。
白。
何もかもが真っ白だった。
上下も、遠近もない。まるで現実という枠そのものが、跡形もなく溶け落ちたような感覚。
「……ここは?」
春は声を上げたが、音はすぐに空間へ吸い込まれて消えた。
隣にまるが立っていた。白の中でさえ、まるだけは輪郭を保っている。
「ここはね、春がこれから作る世界だよ」
「俺が……?」
「うん。何でも作れる。どんな形でも、どんな色でも」
春は戸惑いながらも、言葉の意味を理解しようとした。
次の瞬間、頭に浮かべたイメージが、形になった。
——青い空。
——流れる川。
——木漏れ日の中に吹く風。
それらが一瞬で広がり、真っ白な空間を塗り替えていく。
まるが笑った。
「ほら、上手じゃないか」
「すげぇ……本当に、思っただけで……!」
春は夢中になった。
雲を浮かべ、草原を広げ、鳥を飛ばした。
海を描き、風を吹かせ、夜を作り、星を散りばめた。
まるはそれを静かに見守っている。
春が笑うのを、どこか嬉しそうに。
——気がつけば、春の頬には久しぶりに笑みが浮かんでいた。
現実世界では感じたことのない、心の底からの自由だった。
「これ、全部……俺の世界、なんだな」
「そう。春が作った世界。春の思いが形になった場所」
その言葉に、胸が熱くなった。
失ってきたもの、心に閉じ込めてきた思いが、まるで風景として再生していくようだった。
だが——
地の奥から、低い音が鳴った。
ゴゴゴ……と、空気を震わせるような重い振動。
春は振り返る。
彼の作った山が、大きく揺れていた。
そして、その山の裂け目から、何かがゆっくりと姿を現した。
岩のような皮膚。
山と同じくらい巨大な身体。
赤く光る目が、こちらを見下ろしている。
「な、なんだあれ……!」
「……春。この世界は、君の心の鏡なんだよ」
まるの声が震えていた。
春は足をすくませ、後ずさる。
巨大な岩の化け物が、一歩踏み出すたびに、大地が沈んだ。
「まさか……俺の中に、あんなものが……」
光の中で見えた“理想の世界”が、いまや崩れ始めていく。
空が裂け、風が止まり、草原は灰に変わった。
そのすべてを飲み込みながら、岩の化け物は、春をじっと見つめていた。
まるが小さく呟いた。
「これが……君の“恐れ”」
春は息を呑んだ。
化け物が、口を開く。
大地を揺らすような咆哮が響いた。
白く輝いていた世界が、一瞬にして闇に染まっていく。
つづく




