第6話 自主的な貢物と年貢
【リナ視点】
アタシ、リナ。
この広大な『カイの草原』で、カイ兄ちゃんと一緒に暮らしてる。
王都の奴隷市場で、死んだ魚みたいな目をして立っていたアタシを、カイ兄ちゃんが助け出してくれてから、もう一年が経とうとしていた。
今ではすっかり元気になって、毎日羊の世話をしたり、集落に新しく来た人たちの面倒を見たりして、忙しくも穏やかな日々を送っている。
カイ兄ちゃんは、相変わらずぶっきらぼうで口数も少ないけど、その強さと優しさを、アタシは誰よりも知っている。そして、その強さに惹かれて、たくさんの人がこの草原に集まってきた。
今ではアタシたちの集落は、百人を超える大きな家族になっていた。
(それにしても……)
最近、ちょっと困ったことが起きている。
いや、困ったこと、というよりは、嬉しい悲鳴、とでも言うべきなんだろうけど。
その日も、集落の入り口が何やら騒がしかった。見に行ってみると、荷車を引いた数人の男たちが、仲間たちに取り囲まれている。
「これは一体、何の騒ぎ?」
「おお、リナさん! この人たちが、カイ様に会わせてほしいと……」
仲間の一人が困惑した顔で説明する。男たち――見覚えがあった。確か、以前カイ兄ちゃんが野盗から助けた、東の村の人たちだ。
先頭にいた村長らしき老人が、アタシの姿を見て、慌てて頭を下げた。
「これはリナ様! いつもカイ様にはお世話になっております! カイ様はどちらにおいでで?」
「カイ兄ちゃんなら、あそこで稽古をしてるけど……」
アタシが指さした先では、カイ兄ちゃんが若者たち相手に、槍の稽古をつけていた。相変わらず、人間離れした強さだ。
村長さんたちは、その姿を見てゴクリと喉を鳴らすと、おずおずとカイ兄ちゃんに近づいていった。
「カ、カイ様! いつも我らをお守りくださり、まことにありがとうございます!」
「……ああ」
「つきましては、これはほんの感謝のしるしでございます! どうかお納めください!」
村長さんが深々と頭を下げると、後ろの男たちが荷車の覆いを外した。中には、採れたてだろう瑞々しい野菜や、ずっしりと実った穀物の袋が、山のように積まれている。
「いらねぇ」
カイ兄ちゃんは、槍を肩に担いだまま、そっけなく答えた。
「俺はあんたたちを守ったつもりはねぇ。俺の草原で好き勝手されたのが気に食わなかっただけだ」
「そ、そんなことをおっしゃらずに! カイ様が馬賊や野盗を追い払ってくださったおかげで、今年はこんなにもたくさんの収穫があったのです! これは年貢ではございません! 我らの感謝の気持ちなのです!」
村長さんは必死に食い下がる。でも、カイ兄ちゃんは頑固だ。
(もう、この朴念仁!)
見かねたアタシは、二人の間に割って入った。
「カイ兄ちゃん! 村長さんのご厚意だよ。ありがたくいただいておこうよ。ね?」
「……リナがそう言うなら」
アタシが言うと、カイ兄ちゃんは意外なほどあっさりと引き下がった。昔から、カイ兄ちゃんはアタシに甘いのだ。
でも、これが始まりだった。
東の村の噂を聞きつけたのか、その数日後には、南の街道の商人たちがやってきた。
「カイ様! おかげさまで、安心して商売ができます! これは国一番の織物と、貴重な岩塩です! どうかお納めください!」
その次は、西の遊牧民の一団が、駿馬を五頭も連れて現れた。
「『草原の王』よ! あんたのおかげで、俺たちの家畜が狼の群れに襲われずに済んだ! この馬は、俺たちからの敬意のしるしだ!」
それからというもの、毎日のように誰かが何かを持って、アタシたちの集落を訪れるようになった。
干し肉、果実酒、上等な武具、珍しい香辛料……。
集落で一番大きな倉庫用のパオは、あっという間に、そうした「自主的な貢物」でいっぱいになってしまった。
「ど、どうしよう、これ……」
アタシは、倉庫に積み上げられた品々の山を前に、頭を抱えた。
(カイ兄ちゃんは、こういう細かい管理はからっきしだし……。仲間たちも、戦うのは得意だけど、計算事は苦手な人ばっかり……)
遊牧民の社会では、昔からこう言われている。
男は、いざという時にはその体一つで家族を守り、稼ぐ。だから、強くあらねばならない。
その分、女は頭を使って、家族の暮らしを支える。だから、賢くあらねばならない、と。
アタシも、部族の長老から文字の読み書きや計算を教わってきた。
「……よし!」
アタシは覚悟を決めた。アタシがやるしかない。
まず、羊の皮をなめして、丈夫な帳面を作った。それから、焚き火の炭を削って、書きやすいペンにした。
そして、倉庫の品物を一つ一つ確認していく。
「東の村から、小麦が十袋、じゃがいもが二十籠……。南の商人から、塩が樽で一つ……」
誰から、いつ、何を、どれだけ受け取ったのか。それをすべて帳面に記録していく。そして、その使い道も考える。これは冬の間の食料に。こっちは、見回りをしてくれる仲間たちへの報酬に。この布で、みんなの冬着を作ろう……。
頭がくらくらするほど大変な作業だったけど、不思議と嫌ではなかった。むしろ、自分がこの大きな家族の役に立っているんだって思うと、胸が温かくなった。
その夜、帳面の整理を終えたアタシは、パオの外で夜空を見上げているカイ兄ちゃんを見つけた。
「カイ兄ちゃん」
「……ああ」
「大変だよ、カイ兄ちゃん。みんな、本気でカイ兄ちゃんのことを、この草原の王様だと思ってる。今日来た人なんて、『税』を納めに来たって言ってたんだから」
アタシが呆れたように言うと、カイ兄ちゃんは星を見上げたまま、静かに答えた。
「好きにさせておけ」
「もう……」
そのぶっきらぼうな横顔を見ながら、アタシはくすりと笑った。
(この人は、自分がどれだけ大きな存在になってるか、全然わかってないんだろうな)
でも、それでいいのかもしれない。
この無愛想で、朴念仁で、だけど誰よりも強くて優しい「草原の王様」を支えるのが、きっとアタシの役目なんだ。
アタシはそっとカイ兄ちゃんの隣に立ち、同じように満天の星を見上げた。草原を渡る夜風が、心地よかった。
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