第4話 民を買う
【草原の青年カイ視点】
王都アステリアの中心部は、まるで巨大な生き物の腹の中のように、絶えず人でごった返していた。
石畳の道を埋め尽くす人々の波。威勢のいい商人たちの呼び声。香辛料の鼻をくすぐる匂いや、焼きたてのパンの香ばしい香り。道端では見たこともない楽器を奏でる者がいれば、奇妙な芸を見せて拍手を浴びる者もいる。
俺が暮らす静かな草原とは、何もかもが正反対の世界だった。
物珍しさに少しだけ目を奪われはしたものの、すぐに人混みにうんざりしてきた。もらった金で何か一つ、草原では手に入らないような鋭いナイフでも買ったら、さっさとこの石の檻から抜け出そう。そう考えていた時だった。
広場の一角に、ひときわ大きな人だかりができているのが目に入った。何かの見世物だろうか。俺は特に興味もなかったが、人の流れに押されるように、その輪の中へと引き寄せられてしまった。
そして、そこで俺は信じられない光景を目にした。
人垣の中心には簡素な台が設けられ、その上には、手足を枷で繋がれた数人の人間が、うなだれて立たされている。痩せた体に、汚れたぼろ布をまとっただけ。その瞳は、まるで魂が抜け落ちたかのように虚ろだった。
台の脇では、肥え太った商人が甲高い声で叫んでいる。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今日も元気で頑丈なのが揃ってるよ! 畑仕事に、鉱山労働、夜のお相手まで何でもござれだ!」
奴隷市場。それが、この人だかりの正体だった。
「チッ、まるで家畜のように人を売り買いしやがって……」
吐き捨てるように、俺は悪態をついた。
本能的な嫌悪感が、腹の底からこみ上げてくる。人の命を、尊厳を、金で売り買いする。それは、家族を奪った馬賊の行いと、何ら変わりはない。この街の人間は、こんな非道が平然と行われていることに、何も感じないのだろうか。
すぐにでもこの場を立ち去りたかった。だが、なぜか足が動かない。同時に、どんな人間が、どんな理由でここに立たされているのか、気になってしまったのだ。
俺は眉をひそめながら、台の上に並べられた人々を見つめた。老人、たくましい腕を持つ男、まだ幼い子供……。
その中に、一人の少女がいることに気づいた。
年の頃は俺と同じくらいだろうか。長い髪は汚れ、痩せこけた頬は土埃にまみれている。うつむいた顔に表情はなく、ただぼんやりと自分の足元を見つめているだけだった。
だが、その横顔の輪郭に、俺は見覚えがあった。
まさか。そんなはずはない。
彼女は、俺の一族が馬賊に襲われるよりも前に、別の部族へともらわれていったはずだ。こんな場所にいるわけが……。
(……リナ?)
その名前が、脳裏をよぎった瞬間だった。
まるで俺の心の声が聞こえたかのように、少女がふと顔を上げた。そして、その虚ろな瞳が、一瞬だけ俺の姿を捉えた。
間違いない。昔、俺のことを「カイ兄ちゃん」と呼んで、いつも後ろをついてきた幼馴染のリナだった。あの頃の快活な面影はどこにもないが、その瞳の奥にかすかに残る光は、確かに俺の知るリナのものだった。
次の瞬間、俺は人垣をかき分け、台の前へと躍り出ていた。
王から押し付けられた金貨の箱を、奴隷商人の目の前の台に叩きつける。ガシャン! とけたたましい音を立てて、箱の留め金が壊れ、中からまばゆい金貨が数枚こぼれ落ちた。
「おい、アンタ」
「へ、へい! お客さん、何かお気に召したものでも?」
突然の乱入者と金貨の山に、商人の目が卑しく輝く。
「そこの女、いくらだ」
「へっ? ああ、そこの娘っこでやすかい? こいつは見ての通り病み上がりでしてね、力仕事にもなりやせん。おまけに気も強くて、前の買い手から突き返されてきた代物で……」
商人の言葉を遮り、俺は懐から金貨を一枚掴んで投げつけた。
「これで足りるか」
「へっ!? こ、こんなに!? ええ、ええ! お釣りがくらぁ!」
即座に売買は成立した。商人は手慣れた様子でリナの手足の枷を外すと、まるで荷物でも渡すように、彼女の腕を俺の方へぐいと押しやった。
ふらり、とよろめいたリナの体を、俺はとっさに抱きとめる。腕の中の体は、驚くほど軽かった。
「おいっ、大丈夫か? リナ! 俺だ、カイだ! 昔一緒に遊んだカイだ!」
俺が肩を揺さぶると、リナはゆっくりと顔を上げた。その焦点の合わない瞳が、俺の顔をぼんやりと見つめている。
「……かい……にい、ちゃん……?」
かすれた、か細い声だった。
「あはは……アタシ、夢を見ているのかな……。また、カイ兄ちゃんの夢だ……」
自嘲するように笑う彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
「夢じゃない!」
俺はリナの肩を強く掴む。
「夢なんかじゃねえ! 俺はここにいる! いいか、もう大丈夫だ! こんな気色の悪い街の外へ行こう! 俺たちの草原へ帰るんだ! また羊を育てるんだ!」
俺の言葉に、リナの瞳が、ぴくりと動いた。
羊。草原。それは、俺たちが生まれ育った場所であり、誇りであり、すべてだった。
リナの虚ろだった瞳の奥に、ほんの小さな、だが確かな光がともった。
それはまるで、吹きさらしの荒野で、とっくに消えたと思われた焚き火の灰の中から、奇跡のように見つけ出された、一つの熾火のようだった。
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