第2話 セレスティアとの旅路
【草原の青年カイ視点】
俺がセレスティアと名乗る女性の手を取ってから、事態はとんとん拍子に進んだ。
彼女が言うには、自分の国まで来てほしいとのことだった。馬賊を追い払った礼を、国を挙げてしたいのだという。断る理由も特になかったし、なにより彼女の真剣な瞳に嘘の色は見えなかった。
ただ、一つ問題があった。俺には、この草原に置いていけない家族がいる。
俺は自分のパオまで彼女の隊商を案内すると、手際よく寝床や家財道具をまとめ、荷馬車に積み込んだ。そして、俺の全財産であり、かけがえのない家族でもある百頭ほどの羊たちを柵から出し、旅の準備を整えた。
護衛の兵士たちは、巨大な羊の群れを見て唖然としていたが、セレスティアは「まあ、カイは遊牧民の方ですものね」と楽しそうに笑うだけだった。
こうして、奇妙な旅が始まった。俺が羊の群れを率いて先導し、その後ろをセレスティアの乗る馬車や隊商が続く。草原を東へ、彼女の国『ルミナリア王国』を目指して進んだ。
道中、俺は改めてセレスティアという女性を観察していた。立ち居振る舞いのすべてに無駄がなく、育ちの良さがにじみ出ている。言葉遣いは丁寧で、常に相手を気遣うことを忘れない。
(俺みたいなその日暮らしの男とは、住む世界が違うんだろうな)
そんなことを考えていると、不意に彼女と目が合った。馬車の窓から顔を出したセレスティアが、にこりと微笑みかけてくる。その屈託のない笑顔を見ると、なんだか身分の違いなどどうでもよくなってしまうから不思議だった。
旅は三日ほど続いた。
夜は野営し、焚き火を囲む。食事は、俺が狩りで仕留めた獲物や、羊の乳から作った保存食が中心だった。最初は遠慮がちだったセレスティアも、俺が岩塩を振ってこんがりと焼いた羊の肉を一口食べるなり、その青い瞳を大きく見開いた。
「おいしい……! こんなに滋味深く、力強い味のするお肉は初めていただきましたわ!」
手も口の周りも油で汚しながら、夢中で肉にかぶりつく彼女の姿は、とても一国の貴人とは思えなかった。俺が羊の乳を発酵させて作った酸味のあるチーズを差し出すと、それも「初めての味ですわ! 少し癖がありますけれど、クセになりますわね!」と大喜びで頬張る。
その様子を見ていると、自然と口元が緩んだ。
「王都では、もっとうまいものが食えるんだろう?」
「ええ、確かに宮殿の料理は素晴らしいですわ。でも、この焚き火を囲んで、カイが作ってくれたお料理をいただくほうが、わたくしは何倍も心躍ります」
そう言って笑う彼女の顔は、夕陽よりも赤く見えた。
そして旅の四日目の朝、地平線の彼方に、それまでとはまったく違う景色が姿を現した。
天を突くほどに巨大な、石造りの城壁。
あれが、ルミナリア王国の首都、『王都アステリア』だという。
近づくにつれて、その威容が明らかになる。どこまでも続く灰色の壁は、まるで自然の山脈のようにそびえ立ち、人間が作ったものとは信じがたいほどの威圧感を放っていた。
(……でかいな)
それが俺の率直な感想だった。だが同時に、息が詰まるような感覚にも襲われた。
どこまでも続く草原と、どこまでも広がる空。その下で自由に生きるのが俺たちの当たり前だ。あんな高い壁に囲まれて暮らす連中の気持ちが、俺にはまるで理解できなかった。ただ狭苦しいだけの、石の檻にしか思えない。
やがて巨大な城門にたどり着くと、セレスティアが馬車から降りてきた。
「カイ。申し訳ありませんが、家畜を連れて都に入ることはできません。お世話もあるでしょうから、今日はこの城壁の外で野営していただけますか? 明日、必ず正式な使者を遣わしますので」
「ああ、わかった」
俺にとってもその方が好都合だった。人混みは苦手だし、羊たちも落ち着かないだろう。
セレスティアは護衛と共に城門の中へと消えていった。俺は城壁から少し離れた草地に羊たちを放ち、いつも通りパオを立てて夜を明かすことにした。
次の日の昼過ぎ、約束通り使者がやってきた。
金糸で刺繍の入ったやたらと立派な服を着た、鼻持ちならない男だった。男は馬の上から俺の身なりを値踏みするように見下ろすと、尊大な口調で言った。
「貴様がカイか。セレスティア様がお呼びだ。国王陛下が、直々に謁見を許されるとのこと。光栄に思うがいい。さあ、ついてこい」
その命令口調と、俺を虫けらでも見るかのような目に、腹の底で何かがカチンと音を立てた。
(気に食わねえ野郎だ)
一発殴りつけてやろうかと思ったが、ここで騒ぎを起こせばセレスティアに迷惑がかかる。俺は黙って舌打ちを一つすると、無言で男の後に続いた。
初めて足を踏み入れた王都アステリアは、人の活気で満ちあふれていた。しかし、俺の目にはやはり窮屈な場所にしか映らない。
しばらく歩くと、ひときわ巨大で豪華な建物――王宮へとたどり着いた。
磨き上げられて俺の顔が映り込むほどの大理石の床、壁一面に飾られた歴史を物語るであろう巨大なタペストリー、天を支えるかのような何本もの柱。俺が暮らすパオとは、何もかもが違いすぎた。
やがて、一番奥にあるという謁見の間へ通される。重々しい扉が開かれると、その先には、広大な空間が広がっていた。
部屋の最も奥、数段高くなった場所に置かれた玉座に、一人の男が腰かけている。見事な金の髭を蓄え、威厳に満ちたその男が、この国の王なのだろう。
そして、その玉座のすぐかたわらに、彼女は立っていた。
旅の時とは違う、豪奢な青いドレスを身にまとったセレスティア。その姿は、まさしく本物の王女様だった。
彼女は俺の姿に気づくと、緊張していた顔をふっと緩め、安心したようにニコリと微笑んだ。その笑顔だけは、焚き火の前で羊の肉を頬張っていた、あの時の彼女と何も変わらなかった。
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