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今日からは

――――目を閉じているかと錯覚するほどの暗闇の中、それを切り裂くようにぼんやりとした白光が差す。そこに立っていたのは一人の少女。年頃は25といったところの素朴な顔立ちの少女。銀を鋳溶かして作られた糸のような髪、空を切り取ったような碧眼の少女が涙をこらえる様な穏やかな笑顔でその口を開いた。


「私があなたを殺します。例え、それが叶わなかったとしても次の私が。それでも届かないのなら次の次の私が。残酷な銀があなたの罪を赦すまで」


 言葉の結びとともに世界はまた暗闇に落ちていく。恐ろしくて穏やかな夜の幕を一枚借りたような暗闇に。





               ◇◆◇






 またあの夢だ。ここ一年で、毎日ほどではないが頻繁に同じ夢を見る。私にそっくりな女の人の夢。あの人を見ていると何故か涙が止まらない。目覚めるときにはいつも、私のこの氷のような碧い眼が溶け出している。いつも迎える朝なのに心が重い。このまま沈んでしまいたいと願う微睡みの海を水面に向かって私は泳ぎだす。

「………ふぁ……あ~~ぁ」

 のそのそとベッドから体を起こした少女が一つあくびをする。目に浮かばせた涙はあくびのためであったのだろうか。彼女は気にしない様子で起き上がり、夜の間に冷えた床に素足を落とす。

「つめたっ……そろそろ冬だもんなぁ……う~さむさむ」

 両腕で自身の体を抱きかかえながらクローゼットへ足を運ぶ。彼女はひとしきり腕を摩った後、よし、と小さく呟いてからクローゼットの扉を開く。中に収められていたのは修道服。しかし修道服と呼ぶにはいささか露出の激しいそれを取り出し、先ほどまで体温で温めていたベッドの中に軽く折り畳んで忍ばせた。彼女は白い寝間着姿のまま自室を出ると、台所へと向かう。

 まるで氷が張ったように冷たい廊下を踵を浮かせながらウサギのように跳ねながら歩いていき、ようやくたどり着いた台所には水瓶が3個ほど並んでいる。彼女はその中の一つを選び、木の蓋を取り、壁に立てかけてあった尺で中の水を小さな木桶に移した。流し台に運ばれた木桶の水は凛と澄んでおり、その冷たさを語るには申し分なかった。

「あああぁぁあ……ぢべたい……!」

 彼女は意を決して両手で水を掬い、そのまま自身の顔へと浴びせる。まだ寝起きで少し火照り気味だった顔が水の冷たさで引き締まるのを感じる。数回、浴びせた後、血の巡りが再開していき顔に温度が戻ってきたようで、一つ小さな息を吐いた。最後に残った水を口に含ませ、うがいを済ませた彼女は木桶と尺を元の場所へ戻し、来た時と同じような足取りで自室へと戻っていった。

 自室に入った彼女は小さなテーブルの上に置かれた櫛で肩ほどまで切りそろえ、後ろ髪を首下あたりまで伸ばした髪を優しくとかしていく。それはまるで夢の中の少女のような髪、鋳溶かした銀を一本一本の糸へと形作っていく行為のようだった。少しばかり跳ねていた寝癖を整え終わった彼女は寝間着を脱ぎ、クローゼットの中のハンガーに掛けた。そのまま振り返り、さきほどベッドに忍ばせておいた修道服を引きずり出し、寒さに耐えかねたようにそそくさと着替える。着替えが終わるとそのままベッドの下に収めておいたブーツを取り出し、ベッドに腰かけ、ブーツの中にがさつに丸めておいた黒のソックスを履きブーツに足を通す。彼女は一度立ち上がり、つま先で床を数回小突く。

「き、着替えても寒い……なんでこんなに寒い()()からなの……」

 どうやらこの修道服を着るのは今日が初めてだったようだ。大きく空いたスリット、胸元や背中に空いた穴、露わになっている二の腕が空気の冷たさを引き寄せ、彼女を身をこわばらせる。またしても両腕で自分を抱きかかえた彼女は開けっ放しのクローゼットの中からフード付きの黒い外套を取り出し扉を閉めた。くるぶし程まである外套を羽織り、肌で感じる冷たさが和らいできたことを確認した彼女は両手で自身の頬を軽く叩いた。最後に、クローゼット横の壁に掛けた剣と特殊な形状をした弩を手に取り、剣を腰に、弩を外套の背中に付いているベルトのようなものに引っ掛ける。準備完了といった面持ちで再び自室の扉を開き、廊下へと足を踏み出した。

 彼女は廊下を広間へと向かって歩いていく。コツコツと音を鳴らしながらたどり着いた一枚の扉を開け、広間の中に入る。そこには長椅子が二つと奥には教壇があり、まさしく小さな教会だった。広間の中ほどには彼女と同じ修道服に身を包み、外套を羽織った少女が立っていた。

「おはようエリナ」

「……あ、おはようソフィア。今日は寝坊しなかったのですね」

 エリナと呼ばれた少女はおさげにした黒髪を揺らし、穏やかに垂れた銀色の目を細くして小さく笑った。ソフィアはまあね、と照れたような苦笑いをして彼女のそばへと歩み寄っていく。

「意外と似合ってるね、服。エリナにはもっと大人しい感じのが似合うと思ってた」

「え、えぇまあ……あまり好ましくないですが教団の規定ですし仕方ないです……」

 二人はお互いの服装を眺め、小さく苦笑いをする。ソフィアはスリットを持ち上げ、エリナは胸元に空いた穴を両手でふさぐようにして修道服について談笑するように議論を交わす。二人の他愛ない議論は最終的に、やっぱり規定だから仕方がない。一年くらい我慢しよう。といった結論に落ち着いたのだった。その後も昨日の夕食のパンが寒さのために凍っていて硬かっただとか外に生えている木の葉が日増しに少なくなっているといった、取るに足らない、それでいて寂しい夜を越えた朝のどこかぽっかりと穴の空いた心を満たすには充分な和やかな会話が続いた。そしてソフィアが話題を今日の予定に変え、会話を続けようとした時だった。奥に配置された教壇横の扉が開き、二人の女性が入ってくる。

「おはようお前たち。昨夜はよく寝れたか?」

「おはようございます、二人とも。ちゃんと時間通りに起きてて偉いわね~」

「「おはようございますマザー・アリシア。シスター・ノア」」

 先に声を掛けたのは燃えるような赤髪を頭の後ろで縛り、刃のように鋭く深い黒い色をした眼の女性、マザー・アリシア。彼女は教会のリーダー的存在であるマザー。の代理である。後から声を掛けてきた柔らかい雰囲気の女性は教会の構成員であるシスターのノア。川の流れのように綺麗なウェーブがかかり、それでいて海のように青い髪をなびかせながら常に笑みを絶やさない顔で返事をした二人の方へと体を向き直す。広間の中央でアリシアとノア、ソフィアとエリナの4名が向き合った。

「よし、てことでシスター正式就任おめでとう、うん。じゃ早速今日のことなんだが」

「ちょっとアリーちゃん。二人とも赤ちゃんの頃から18年間頑張ってきたのよ~。もっとこうあるんじゃないの」

「えっ……あ~~~っと……」

「しっかりしてくださいよ~マザー代理フランソワ様~」

「ちょ、ちょっとソフィア……!」

「いいじゃない、かわいくて。似合わないけど」

「お前、次その名前で呼んだらぶっ飛ばすからな」

 アリシア・フランソワの鋭い眼で睨まれたソフィアは少し冷や汗をかきながらは~い、と怯えたように気の抜けた返事をする。ひとしきり睨みをきかせた後、アリシアは一つ咳払いをして場の空気を元に戻し、ソフィア達とは違い隙の無い修道服の懐から一枚の羊皮紙を出す。彼女は羊皮紙を縦に広げ、顔の前に持ってくると仰々しく二度咳払いをした後、ゆっくりと口を開く。

「……いいなぁあったかそうで。ねぇエリナ」

「えっ……そ、そうですね」

「ンンッ!!え~……本日を以て、教団の規定により18の歳となったソフィア、エリナ・ロッソ両名を正式にシルバリア教団支部コワントル教会のシスターに任ず。以降、()()()()までその身をもって()()に安らかな眠りを授けることに努めなさい。汝らが冷たい銀と共にあらんことを。シルバリア教団グランマ、ナタリー・アルジェント」

「「はい、マザー」」

「はぁいよくできました~。パチパチパチ~」

 微笑みながら小さく拍手をするノアの隣でアリシアは呆れたように溜息をついた。二人は姿勢を正し、ソフィア達を見つめ、母親のような()()()の眼差しと微笑みを向ける。二十代後半の頃から、赤子だったソフィアとエリナを18年間育ててきた二人は時が止まったように容姿が変わっていなかった。しかし、ここにいる誰もそんなことを気にする様子はなかった。シスターとはそういうものであると常識のようにとらえていたからである。

 羊皮紙を再び懐に収めたアリシアは隣のノアに顔を向け、静かに深く頷いた。それに応えるようにノアもまた頷き、広間に入って来た時と同じ扉から出ていく。ソフィア達が互いに顔を見合わせ不思議そうな表情を浮かべていると程なくしてノアが広間に戻ってきた。彼女の両手には、剣と百合の花をモチーフとした紋章の描かれた真新しい手提げの四角い旅行鞄が二つ握られていた。

「はぁいこれ。シスター就任のお祝い。お祝いといっても教団の規定で渡すものなんだけどね」

「わ~~ありがとう!ノア姉」

「あ、ありがとうございますシスター・ノア。とっても素敵です!」

「うふふ、いえいえ~。あ、エリナちゃんのはこっちね。中に貴女の葬具が入ってますからね~」

「おっ出来たんだ、エリナの葬具」

 エリナは手渡された鞄のずしりとした重さを感じながら床に起き、留め具を外して鞄の口をそっと開く。中には銀製の棒状の物が二本並んで入っており、彼女は優しい手つきで静かにそれらを鞄から取り出した。しばらく見惚れたように眺めた後、二本の棒を繋ぎ一本にする。まるで柄の長いハンマー。しかし先端には機械的な意匠が施されたそれをゆっくりと持ち上げ、柄の中ほどにあるボタンを押す。瞬間、柄の末端から棒が飛び出し、全体の長さが延長されエリナの低い身の丈ほどに変わった。

「す、すごいですこれ。私にぴったりです!」

「良かったな。ノアが拵えたんだ。お前に合う法儀触媒の杖だ。私お手製の銀の針も入ってるぞ」

「へぇ~かっこいいね。私なんてただ銀の糸がついただけの剣なのに」

「銀の糸も背中の弩も私が作ってあげたのにぃ~。ひど~い」

「ノ、ノア姉に文句があるわけじゃないよ。私も法儀式が得意だったらこういうの持てたのかな~って羨ましがっただけだよ」

「ソフィアの弩もすごいじゃないですか。一度に何本も矢が撃てるなんてかっこいいです」

 4人の間に流れる空気が、冬の訪れを告げる寒さを払いのけるように暖かなものへと変わっていく。鈴を転がしたような軽やかな笑い声が広間中に響き渡る。まるでこの場所だけは悍ましくも憐れな()()()になど侵されない安息の地であるかのようだった。鈴の音が次第に小さくなっていった頃、アリシアはいつもの毅然とした表情へと直り、口を開く。

「さて、今日はもう一つお知らせがあるんだ。実は今日、新たにここコワントル教会に仲間が一人加わる」

「……もしかしてその方も今日シスターになったばかりの方ですか?」

「あぁそうだ。お前たちと同い年だな」

「やったねエリナ。ここは楽しいとこだけど同い年二人は少し寂しかったもんね」

「ええ、良かったです。それにしてもどうして人員を増やすんですか?」

「わかってると思うがウチの管轄はカワキフ、サマタリア、コワントルの三つの街だ。ちょうど中央にウチがあるからな。ただまあ、新人二人には少々厳しい範囲だ。そこでだ、他の手が余ってる教会から来てもらうことにした」

「ほんとは中堅くらいの人を呼びたかったんだけどね~新人しか送れないって言われちゃって。でも二人が嬉しそうにしてるところを見たらこれで良かったのかもしれないわね」

「なるほど~。それでその新しい子はどこに?」

 ソフィアがそう口にしたとき、アリシアたちが入ってきた方とは反対の、教壇横の扉が勢いよく開いた。そのままの勢いで広間に入ってきたのはソフィア達と同じ修道服に身を包んだ金髪碧眼の少女。彼女は肩に届かないくらいの高さで短く切りそろえた髪をおおきく揺らしながらズカズカとわざとらしい大股で胸を張りながら4人のそばまで歩いてくる。

「実はずーっとここにいましたー!期待の新人ナタリア・マーズ!!よろしく!!!」

「すっごい元気な子来ちゃった……」

「え、えぇ……元気ですね……」

「むむっ、こっちがソフィアでこっちがエリナ・ロッソだよな!資料の通り綺麗じゃねえか!」

 ナタリアと名乗った少女は呆然とする二人の前に立ち、無理やり手を取り、強く硬い握手をした。二人は想定外の出来事とあまりの握手の強さに思わず顔をしかめながら苦笑いをする。しかし彼女の飛びぬけた明るさと底なしの元気さを見て思わず頬が自然に緩み始めたのだった。気が付けば3人は改めて簡単な自己紹介を済ませ、横一列に並んでアリシアとノアに向き直った。

「うん、元気でよろしい。じゃ早速お前たちに任務だ。初任務だ、気を引き締めろよ。カワキフ郊外の森で眷属を目撃したとの情報が入った。いまだに周辺住民に被害が無いことから()()()()だと思われる。お前たちにはこれを見つけ出し、強制葬儀による浄化を任せたい」

「「「謹んで承ります、マザー」」」

「ふふ、懐かしいわね~初任務。私もこうだったかしら」

「そうだな、誰でも最初は余計な力が入ってしまうものだ。だがまあ腑抜けてるよりは良い。いいか、何度も聞いて聞き飽きただろうが、我々シルバリア教団の目的はただ一つ。《()()》の討滅だ。その日までやつの生み出した悲しき憐れな化物達から無辜の民を守ること」

「「「…………」」」

 さきほどまでの明るさと温かさはどこへ行ったのか。3人は神妙な面持ちで彼女の話に耳を澄ませていた。それはシスターとなった今日、いやこの教団に拾われた時から持ち合わせていた覚悟故か。誰もこの場に相応しくない振る舞いをしようとはしなかった。

「シスターとなった今日からいつか迎える報いの日まで戦い続けろ。それこそ家族を亡くし、家族に捨てられた我々の存在意義」

「貴女たちがこれから歩き始めるのは、赦されることのない罪と果てなき供養と贖罪の旅路。例え、その終わりに待つものが虚無だったとしてもこの旅は無意味ではなかったと胸を張って歩みなさい」

「そうあってこそ我々は《銀の戦乙女(シルバリア)》と呼ばれるに足る。では覚悟のできた者のみ後ろを振り返り、ここを発て。それができない者は目を閉ざし、口を閉ざしてこの運命から去るがいい」

 アリシアとノアによる叱咤激励にも似た、シスターとなった者たちが歩むべき険しく厳しい道のりと持ってしかるべき覚悟の確認の言葉が続く。一言も発さず、その言葉に耳を傾けていた3人の顔はいつしか遥か遠方を望む勇者のように、それでいて眼前に横たわる憐れな亡骸に慈愛を向ける聖母のような表情を浮かべていた。

「「「行って参ります、マザー」」」

初投稿になります。自分の創作意欲発散のために書きました。

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