8-1
春の長雨が、しとしとと王宮の庭に降り注ぐ。
湿っぽく疎まれがちな季節だが、晏珠はこの雨が嫌いではなかった。洗濯物が乾かないのは困るものの、木々の緑がつやつやと光って、生命力を感じさせる。
この雨が上がれば、夏だ。初めての導きの儀が、いよいよやって来る。
重圧というほどではないが、やはり御鳥児としての責任は感じる。しっかりと役目を果たして、季節を滞りなく導かなければならない。もちろん、折を見て練習はしていた。
しかし、今日は休みと決めている。もうすぐ、来客の予定があるのだ。
身なりを整えていると、部屋の扉が軽く叩かれ、静牙が顔を出した。
「晏珠。来られたぞ」
「ありがとう、今行くわ」
笑って立ち上がり、晏珠は静牙と共に応接間に向かった。
応接間には、燕月と泉玉が待っていた。晏珠が姿を見せると、泉玉がぱっと表情を明るくする。
「晏珠! 良かった、元気そうね」
「ありがとう、泉玉。本当なら王太子妃様……と呼ぶべきなのかもしれないけど」
「そんな堅苦しい呼び方しないで。これまで通りでいいのよ」
ひらひらと手を振る泉玉は変わらず気さくだ。王太子の正妃になっても、素直な性質が損なわれていないことに晏珠は安堵した。
隣に座った王太子は王太子で、すっかり寛いでいる。自分に挨拶する前に泉玉と晏珠が話し始めても、気にする様子はない。出された茶菓子を頬張りながら、「よう、二人共」と手を上げる。
「あれから、何もないか?」
「はい、殿下。おかげさまで晏珠を狙う者はいなくなり、穏やかに過ごせております」
「それは何よりだ。ところでこの菓子は美味いな、どこの店のものだ?」
「ちょっと、食べながら喋らないでよ。大事な話に来たんでしょ?」
泉玉が顔をしかめて嗜めると、王太子はやっと口の中のものを飲み込んで笑った。
「そうだな。まずは、何から話そうか」
――あの日、婚儀の場で罪を暴かれた朱角と鳴鈴は、そのまま捕らえられて連行されていった。
どのような刑になるかはこれから審議されるが、御鳥児の殺害を企てた上に民間人も巻き添えにした以上、死罪あるいはそれに類する罰が下されるのは間違いないだろう。鳴鈴がいくら高位の貴族であっても、ここまで来ると家の力ではどうにもならないという。
「御鳥児を害するのは天主様に弓引く行為であって、国に対する反逆に等しいからな。神鎮めの儀を行うためにわざと山火事を起こした疑惑もある」
「そうよね……幸い死者は出なかったと聞いてるけど、どれだけの人が巻き込まれたか……」
「それも含めて、全て精査されるさ。どう足掻いても重い刑が下されるのは間違いない。――で、肝心の動機だが」
沈んだ表情の泉玉の隣で、王太子が肩を竦めた。
「朱角も鳴鈴も、あの場で気絶してしまっただろう。目を覚ましてからは、別人のようになってしまったらしくてな。なかなか聞き取りに苦労しているようだ。従者は従者で無言を貫いているようだし」
「別人、ですか? それはどういう……」
「ああ。正確に言えば、ひたすら混乱して怯えているらしい。鳥が、鳥が来る――とな」
「鳥、って……もしかして、あの時の?」
神起こしの儀で舞い降りた、大きな白い鳥。あれは不思議な体験だった。
彼等はいまだ、あの鳥の幻影に怯えているのだろうか。天罰が下される、その瞬間に囚われて。
王太子は「さて、どうだろうな」と曖昧に答えた。
「俺としても、最後のあれだけは予想外だった。まさか、あんなことが実際に起こるとはな」
「えっ、そうだったんですか」
晏珠は目を見開いた。王太子はしれっと「当たり前だろ」と答える。
「最初から、天罰なんてものがあるとは思ってなかったさ。あれは朱角に自白をさせるための演出だ」
「演出……じゃあ、神起こしの儀は」
「いや、それはちゃんと古文書にある。彩鈴が見つけたのも事実だし、やり方もあの通りだった。ただ、今回みたいに真犯人を炙り出すためのものじゃないってことだ」
神起こしの儀は、国を揺るがす凶事を意図的に起こした者がおり、天主様から直々に罰を与えていただく必要がある時にのみ実行される。彩鈴はそう言っていた。
それ自体は間違いではない。だが、古文書によれば、実際に歌われるのは刑が執行される直前だったという。
「これから罰を下すのは天主様だ。お前は天主様から直々に罰を下されるような大罪を犯したんだ、ってな。本人や周りに罪の重さを思い知らせるための儀式だったんだよ。気の弱い奴なら、それだけで錯乱するだろう」
「それなら、天罰が下るというのは……」
「ああ。その後執行される刑のことだ。まあ、なぜか本当に雷が落ちたりしたこともあるらしくてな。それが古文書に残っていたから、使わせてもらった。俺は単なる偶然だろうと思っていたが……今となっては、そうとも言い切れんな」
王太子は感慨深げに呟く。確かに、あの場を目撃した以上、天罰というものの存在を全否定することはできない。あの鳥はただ舞い降りただけで、特に何かしたわけではないが、現に朱角たちは精神を病んでしまったのだ。
「わざわざ御鳥児が全員出張るほどの儀式だからな、余程の時にしか適用されない。そんな大罪を犯す人間はそうそう現れないから、次第に忘れられていったんだろう。やってもやらなくても、刑の執行は変わらないしな」
「でも、凄かったわよ。御鳥児が四人揃って歌うと、あんなことになるのね……圧巻、って言葉では足りないくらいだったわ」
泉玉の言葉に、王太子は「そうだな」と頷いた。
「俺も正直、鳥肌が立ったぞ。神々しいとはこのことか、ってな」
「果耀が別格なのは知ってたけど、翠芳も桜喜も、それに晏珠も、彼女に呑まれることなく歌い上げたでしょう? あれを見て、まだあなたを疑う人間がいるとはとても思えないわ。ねえ、兄様?」
「ああ、その通りだな。もう、誰にも文句など言わせない」
静牙が微笑んで頷く。
実際、一連の出来事で、神官たちの態度は一変していた。新たな神官長は温和な人物で、陽光宮まで足を運んで朱角の非礼を丁寧に詫びてくれたし、他の神官たちもそれに習って対応が変化した。事務的なやり取りの中にも、きちんと敬意が感じ取れるようになったのだ。
果耀の大人数の護衛も解かれ、翠芳や桜喜と庭で楽しそうに話をしているのを見かけるようになった。陽光宮にもよく顔を出してくれるし、鳥番たちもまた年の近い少年同士、親しく交流しているようだ。流れは明らかに、良い方向に変わっていた。




