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静牙に抱えられるようにして、晏珠は酒楼の外に出た。父や常連客らも、後に続いて無事に出てくる。
入れ替わるように何人もの護衛たちが家に入って行き、間もなく火は消し止められた。壁や家具が焼け焦げたものの、被害はさほど大きくない。燃え始めてからほとんど時間が経っていなかったのが幸いしたようだ。
全員の無事を確認し、拘束が外れると、晏珠は咳き込みながら静牙に話しかけた。
「せ、いが……ありがと……っ、ゲホッゴホッ!」
「無理に喋るな。煙で喉をやられているんだ」
水を渡されて喉を潤すと、やっと人心地がつく。静牙は安堵の表情を浮かべていた。
「間に合って良かった。……ちゃんと、俺を呼んでくれたな、晏珠」
「……聞こえ、た、のね?」
「ああ。君に呼ばれているとはっきり分かった。だからこうして、駆け付けることができた」
静牙の声は優しい。涙が、みるみるうちに膨れ上がった。
「ごめん、なさ、い……私、約束、守れなくて」
「謝らなくていい、晏珠。君は、家族を守ろうとしただけだ。何も悪くない」
頬を伝う涙を、骨張った指が拭ってくれる。そのまま、優しく抱き締められた。
「無事で、良かった。晏珠」
「せい……静、牙……わ、私……!」
「ああ、もう大丈夫だ。心配はいらない」
焼き殺されそうになったのだという事実に、今更戦慄する。張り詰めていた気が緩み、足ががくがくと震えて立っていられない。
――本当に。本当に、来てくれた。
決死の呼びかけは、無駄ではなかった。天主様は願いを聞き届けてくれたのだ。今、ようやく、自分が御鳥児であることを肯定できる気がした。
「笛の、音、が……聞こえ、て」
「それは俺の草笛の音だ。そうか、聞こえたんだな」
嗚咽する晏珠の背中を撫でながら、静牙が笑う。
「君に呼ばれていると分かって、馬を飛ばしたんだが……どんどん切羽詰まってくるのが分かった。だから、急ぎながらも何か、応えられないかと思って。民家の木から一枚葉を拝借した」
「……それを、鳴らした、の?」
「ああ。ちゃんと聞こえてる、だから待っていろ、というつもりで吹いたが……今思えば、不思議だな。なぜ、あれで君に届くと思ったのか分からない。無我夢中だった」
それは、鳥番の本能的な行動だったのかもしれない。理屈の上ではどう考えても有り得ない話だ。
だが、静牙の吹いた草笛の音は、晏珠に届いた。必死に呼びかける声に、応える形で。
「こんな形で、君に草笛を聞かせることになるとは思わなかったが……結果的には、良かったんだな」
「でも、よく……ここが、分かったわね」
「大体の方角は分かったからな。あとは、王太子殿下から聞いたんだ。君の家に向かうようにと」
「王太子殿下が……?」
「そうだ。今回の件を、殿下は予め読んでおられた」
読んでいた、とはどういうことだ。
驚いて、思わず涙も引っ込んでしまう。静牙に促されて振り向くと、先程まで縛られていた二人の護衛が跪いていた。
「晏珠様、怖い思いをさせて申し訳ございません」
「えっ……? あなた達、もしかして」
「はい、俺たちはわざと縛られていました。王太子殿下から、密命を受けていたのです」
――いいか、連中が晏珠に何か仕掛けてくるなら、間違いなく泉玉の輿入れの日だ。
――俺は、静牙がいない時を見計らって、何らかの手段で晏珠を王宮の外に呼び出すと見ている。御鳥児の外出には神官から護衛の依頼が来るはずだ。そうしたら、お前たちが晏珠に付いていけ。
「あの人が、そんな命令を……? でも、どうして、わざとなんて」
「前回は証拠がなく、犯人を押さえられなかった。だから今回は、決定的な現場を押さえてこいと仰ったのです。いよいよ危なくなるまでは、手を出さずに見ていろ、と」
道理で、やけに大人しく捕まっていたわけだ。いくら人質を取られているとは言え、御鳥児の護衛ならもう少し抵抗しても良いはずだった。
今の時点では手が出せないと、王太子はあの時言っていた。何度防いでも、相手が諦めなければまた同じことが起きる。だから、荒っぽいやり方でもここで押さえておくべきだと考えたのだろう。
「ただ、人質が思ったより多かったこともあり、下手には動けず……結局は火をつけられてしまい、申し訳ないことをしました」
「すぐに縄を解いて消し止めようとしたのですが、その前に静牙様が飛び込んでこられたのです。王太子殿下は流石ですね。仰った通りになりました」
――安心しろ、お前たちだけじゃない。後から、静牙も向かう。必ずな。
「え……静牙も、王太子から話を聞いていたの?」
「いや。俺はつい先程知らされた。事前に伝えたら反対すると思われたんだろう。証拠を押さえるためとは言え、君をみすみす危険に晒すなど……俺なら賛同できないからな」
静牙はちらりと鳴鈴に目をやる。護衛たちに捕らえられた彼女は青ざめて呆然としており、何が起こったのか理解できない様子だった。
婚儀の最中、晏珠の声を聞いた静牙は、すぐに只事ではないと察して王太子に申し出たという。すると、王太子は待っていたとばかりに笑って頷いたらしい。
――来たな。静牙、すぐに向かえ。場所は大体分かるだろうが……おそらくは、晏珠の家だ。
「晏珠を外に呼び出すなら、家族を利用する可能性が高い、と。殿下は推測しておられた。それに、君が俺を呼ぶことも……その声が、鳥番の俺に届くことも」
「すごい……そこまで?」
「全くだ。実際、あの方の読みは尽く当たっていた。そして、君を助け出したら、連れて来るようにと言われている」
「連れて来るって……え、まさか」
どうやら、この件はまだ終わらないらしい。それもそのはず、黒幕の一人がまだ残っている。王太子の頭の中には、何らかの計画があるのだろう。
拳をぐっと握りしめた晏珠に、静牙は「ああ」と頷いた。
「婚儀の席まで。君と共に戻って来い、と」




