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鳴鈴は男たちに指示を出し、炎酒を小分けにして店のあちこちに置き始めた。その様子を、丹渓が歯軋りをして睨みつける。
「炎酒を人殺しに使うなど……! せめて、儂と娘以外の人間を解放しろ。約束だっただろう」
「御免なさいね。あなた達に恨みはないけど。わたくしの顔を見られた以上、全員ここで死んでもらうしかないのよ」
勝手に現れてべらべら喋っておきながら、随分な言い草だ。分かってはいたが、端から約束を守るつもりなどなかったのだろう。
「ひでぇ……晏珠や俺たちが何したって言うんだ」
「単なる逆恨みじゃねえか! それで店ごと焼き殺すのが貴族様のやり方かよ!」
常連客から口々に罵られても、鳴鈴は涼しい顔をしている。
「わたくしが考えた方法ではなくてよ。これは『さる御方』からのご命令なの」
「さる御方……? 誰だそいつは!」
「これから死ぬ人間が知る必要はないと思うけど……いいわ、教えてあげる。神官長様よ」
得意げに言い放った鳴鈴に、晏珠は呆れる。勿体振っておきながらあっさり共犯者を白状するとは、どうもあまり頭の良い娘ではないようだ。それだけ、全員確実に殺す自信があるのかもしれないが。
「神官長だと……? そんな奴がなんで、晏珠を」
「さあ。理由は知らないけど、この女が御鳥児になったのが我慢ならなかったみたいね。でも分かるわ、こんな下品で卑しい年嵩の女、清らかな神の小鳥には相応しくないもの」
くすくすと笑う鳴鈴を見て、沃徳が揶揄するように言った。
「そういうお前さんは、選ばれたのかね」
「……は?」
「御鳥児だよ。晏珠は昔っから歌が上手くてなあ。儂らはいつも、この娘の歌に癒されてきた。ここにいる皆、実の娘みたいに思ってるのさ」
沃徳の言葉に、常連客たちが揃って頷く。
「お前さんが何と言おうと、晏珠は心根の綺麗な娘だ。だから、この年でも天主様のお眼鏡に叶ったんだろうよ。で? お前さんはどうなんだ?」
「どう、って……わたくしは」
「そこまで言うなら、きっちり選ばれたんだろうな。お前さんも『清らかな神の小鳥』に」
鳴鈴はかっと顔を赤くする。どうやら、痛いところを突かれたらしい。
一番に拘る彼女にとって、御鳥児に選ばれなかったのは屈辱的なことだったのだろう。どれほど欲して、どんな工作をしようが、こればかりは天主様に選ばれなければ絶対になれないのだ。
どう足掻いても敵わない泉玉ではなく、庶民で年上でありながら御鳥児に選定された晏珠の方を執拗に狙ったのも、それが原因なのかもしれない。
「口に気を付けなさい! 御鳥児には武器は効かないけど、あなた方ならいくらでも斬り殺せるのよ。文達、見せてやりなさい」
文達が無言で剣をすらりと抜くと、沃徳も常連客も流石に黙った。
皆の言葉に晏珠は胸がじわりと暖かくなったが、煽り過ぎは危険だ。事態は決して楽観できるものではない。
――静牙。静牙……!
何度も、何度も。繰り返し呼ぶ。来てくれるまで呼び続けると、約束したのだから。
――静牙。
天主様。どうか、自分を愛おしんでくれるなら。
――静牙。
この声を彼に届けてほしい。どうか。
全員がまとめて縛られている現状では、逃げるのは不可能だ。まして、ここは街の外れである。誰かが火事に気付くとしても、相当火が回ってからになるだろう。もちろん、朱角はそこまで読んでいるに違いない。
自らは一切手を汚すことなく、実行犯を鳴鈴に押し付けて、堂々と王太子の婚儀に参列していると思うと腹立たしい。鳴鈴ももちろん許せないが、朱角は輪をかけて卑怯だ。
離れた場所で自分を焼き殺しておきながら、しれっとお悔やみの言葉を述べるつもりなのだろう。そうして、新たな御鳥児の選定に入るのだ。今度こそ、彼の理想に叶った、若くて清らかな御鳥児を。
そうはさせない。彼の思い通りになんて、絶対に。
晏珠一人を排除するために、家族や知人を人質に取って。罪のない人々もろとも焼き殺そうとするなど。常軌を逸している。
――静牙。静牙!
呼びかけても、当然返事はない。それでも届いているはずだと信じて、一心に祈り続ける。
すると、小さな音が聞こえた気がした。
……ピィィィ。
小鳥が囀るような音に、思わず目を開けて辺りを見回す。父が怪訝そうに問いかけてきた。
「……晏珠? どうした?」
聞かれても答えられない。ふるふると首を振り、再度静牙の名を心の中で呼ぶと、また同じ音が聞こえた。
……ピィィ、ピュィィイ。
やはり、空耳ではない。確かに、笛のような音がする。だが、父も、他の皆も。誰一人気付いている様子はなかった。
もしや、この音は自分にしか聞こえていないのか。だとしたら。
――静牙? あなたなの?
彼が、何らかの合図を自分に送っているのだろうか。届いている、と。そう言っているのか。
御鳥児と違って、鳥番は特殊な力は持たない。あるのは御鳥児を傷つける力だけだと聞いていた。
だが、鳥番の主な役目は御鳥児を守ることだ。そのための力を持っていてもおかしくはない。御鳥児の叫びが何らかの形で鳥番に届くなら、逆があっても不思議ではないだろう。
笛のような音は、断続的に聞こえている。晏珠は名前を呼びながら、天に祈り続けた。
――静牙。
――静牙、ここよ。静牙……!
男たちが仕込みを終える。鳴鈴はすっかり静かになった晏珠を見下ろして、憐れむように嘲笑した。
「……可哀想な人。御鳥児なんかに選ばれたばっかりに」
言い終えた鳴鈴が外に出たのを見届けて、文達が炎酒に火をつけていく。男たちが荒々しく器ごと蹴飛ばすと、あっという間に木の机や壁に燃え広がった。
沃徳たちの悲鳴が木霊する中、父の無念そうな「これまでか……」という言葉が聞こえる。
だが、晏珠は落ち着いていた。
――もうすぐ。もう少しで、きっと。
あの音が、徐々に近づいてくる。煙る視界の中、晏珠はもう一度、心の中で叫んだ。
――静牙! 静牙、助けて!!
外が俄に騒がしくなった。怒号と悲鳴が響いている。
皆が呆然とする中、扉が壊れそうな音を立てて開かれた。
そして、呼び続けた彼の声が聞こえた。はっきりと。
「……晏珠!! 無事か!!」
涙が頬を伝った。煙の向こうに、待ち望んでいた人がいる。来てくれた。願いが、届いた。
声なき声に応えるように、たくましい腕が伸びてきて、縛られた体を包み込んでくれた。




