7-5
悠然と入ってきた鳴鈴は、縛られた晏珠を見下ろして嘲るように笑った。
「無様な姿ですわね、晏珠様」
「……鳴鈴。これはあなたが仕組んだの?」
つとめて冷静に尋ねると、鳴鈴は不快そうに眉を寄せた。
「わたくしを呼び捨てとは……これだから育ちの悪い女は困りますわ」
「こんなことをする相手に払う敬意なんてないわね。それで、何のつもり? わざわざあなたがお越しになるなんて」
彼女が直々に姿を見せたということは、ここにいる全員、生きて帰すつもりはない、ということだろう。いっそあからさまで、清々しいくらいだ。
「もちろん、この目できちんと見届けるためよ。『今回こそ』ね」
「……何を、って聞くまでもないわね」
「あら、察しは悪くないようね。感心だわ」
前回は湖に落とすところまでは確認したものの、晏珠の命は奪いそこねた。故に、今回は徹底して始末するつもりなのだろう。
だとしたら、自分のすべきことは一つしかない。できるだけ、鳴鈴の話を引き伸ばす。そして。
――静牙。
たった一人の鳥番の名を、心の中で呼ぶ。
御鳥児の助けを求める声は、鳥番に届く。
鳥呼び唄は、国中どこにいても鳥番に聞こえるという。果耀の泣き声は、登毘に届いた。泉玉が弱っている時、王太子の燕月が必ずやって来たのも。酔い潰れた静牙が、晏珠の声なき呼びかけに目を覚ましたのも、きっと同じ理屈だ。
歌っても、歌わなくても。声に出さなくても。御鳥児の叫びを、鳥番は聞き取ることができるのだろう。ならば。
静牙との約束の一つを、自分は破った。宮で大人しくしていることはできなかった。
けれど、もう一つの約束なら。今からでも守れる。
――俺を呼べ、と彼は言った。
何処にいても、何をしていても、絶対に助けに行く、と。
勝ち誇った顔の鳴鈴を見上げつつ、晏珠は心を決めた。鳴鈴の話に適当に相槌を打ちながら、心の中で静牙に呼びかけ続けることなら、できる。
今まさに妹の式に参列している彼を呼びつけることに、罪悪感はある。だが、今呼ばないでいつ呼ぶのか。
――静牙。
――静牙、気付いて。
「あなたのような下賤な女が御鳥児になったせいで、わたくしの人生が台無しにされるなんて、あってはなりませんわ」
「……あなたの人生、ね。そんなに静牙と結婚したかったの? お姉さんの婚約者を奪ってまで?」
鳴鈴の顔が歪んだ。お姉様、と憎々しげに呟く。
「そうよ。許せるわけがないでしょう? 結婚なんてしそうになかったあのお姉様が、わたくしを差し置いて幸せを掴むなんて。泉玉もよ。正妃になれないなら、王太子に嫁ぐ意味なんてないわ」
「呆れた……そんな理由で? あなた、静牙を慕っているわけではないの?」
「そんなことはどうでもいいのよ。わたくしは負けることが我慢ならないの。お姉様にも、泉玉にもね」
傲然と言い切った鳴鈴は、さらに話を続けた。
「静牙様の正妻になれば、泉玉はわたくしの義妹だわ。そして、いずれは王妃の義姉という立場になれるのよ」
「そう……泉玉に『負けない』ために、静牙の存在は都合が良いってことね。あなたにとっては」
怒りが沸々と込み上げてくる。静牙を真に愛しているなら、自分を恨むのも分からなくはない、と思っていたのに。
――静牙。あなたの疑問は正しかったわ。
心の中で呼びかけながら、こっそり謝罪する。鳴鈴は静牙を慕ってなどいなかったのだ。
「あなたさえいなければ、わたくしは今頃静牙様の妻になっていたわ。調家からの申し出なら、お断りなどされなかったはず」
「私がいなくなったところで、静牙があなたを選ぶと本気で思ってるの? だとしたら随分おめでたいわね」
ぴしゃりと言い切って、晏珠は鳴鈴を見据えた。
――静牙。静牙、聞こえる?
「家の力で無理を通したとしても、その先に待つのは虚しさだけよ。あなたが満たされることはない。永遠にね」
「……黙りなさい」
「彩鈴様も、泉玉も、あなたのことなんて相手にしてないわ。あなただけが、勝ち負けに拘ってる。その時点で、あなたはもうとっくに『負けてる』のよ」
「うるさい! 黙りなさいよ! 文達、さっさとこの女を黙らせて!」
従者が音もなく動き、晏珠の口を布で塞いだ。そのまま首の後ろで結ばれ、喋れなくなってしまう。文達の目は虚ろで冷たい。あの晩の愛想の良さが噓のようだった。今の姿が、本来の彼なのだろう。
それにしても、失敗した。もう少し時間を稼ぎたかったのに。
晏珠は鳴鈴を煽ったことを悔やんだが、どのみち時間の問題だ。代わりに、心の声に集中する。
――静牙。
――静牙、お願い、届いて。
静かになった晏珠を睨みつけて、鳴鈴は肩で息をしながら言った。
「……あなたは、父親の病気の知らせを聞いて、ここにやって来た。父親は無事に回復して、酒楼はまた客で賑わう。そこで、お祝いだからと特別な酒が開けられる」
喋る鳴鈴の背後で、男たちが大きな酒壺を運んできた。晏珠たちの側まで来て蓋を開けると、強い酒精の香りが漂う。かなり度数の強い酒だ。
「炎酒よ。知ってるわよね、あなた方なら」
「炎酒だと……? なぜ、そんなものを……」
口のきけない晏珠の代わりに、父の丹渓が答える。鳴鈴は恍惚と笑った。
「これの名前の由来は、度数が強すぎて、火を近付けると炎が上がること。それを利用して、余興に使われることもある。さあ、祝いの席で羽目を外した客が、うっかりこれに火をつけたとしたら……どうなるかしら?」
晏珠は目を見開いた。まさか、彼らの目的は。
丹渓が苦々しく吐き出した。
「この店ごと……娘と儂らを焼き殺すつもりか」
「ご明察ね。恨むなら、思い上がった娘を恨みなさい!」
鳴鈴はころころと笑う。晏珠は目を閉じて、一際強く、彼の名を呼んだ。
――静牙。静牙、静牙。
――助けて。皆を助けて、お願い……!




