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分かっている。これはただの八つ当たりだ。
ここに来たのも、最終的に決断したのは晏珠自身である。さらに神官長の振る舞いや鳴鈴の逆恨みに至っては、全く彼のせいではない。当たるのは間違っている。それなのに。
「あなたが……変なこと、言うから……!」
「そうか。すまない」
「何に謝ってるのよ……もう……」
啜り泣きながら呻くと、静牙は落ち着いた声で言った。
「君が俺を恨むのは当然だ。行きたくないと言っていたのに、無理に引っ張ってきた自覚はある。だが……すまん。後悔はしていない」
「……してないの?」
「ああ。こんな目に遭わせて申し訳ないとは思うが……それは自分の力不足が不甲斐ないだけだ」
静牙は揺るぎなかった。いかにも彼らしい、真っ直ぐで曇りのない言葉だ。
「君を見つけて連れて来たことに、後悔は一つもない。誰が何と言おうと、君は、俺の大事な――唯一無二の御鳥児だ」
「……酒楼働きの行き遅れでも?」
「前にも言ったが、それは、君の周りの男達に見る目がなかっただけだな」
試すような物言いをしても、きっぱりと言い切られる。そのまま胸元に引き寄せられ、鼓動が大きく跳ねた。
――本当に、狡い。これだから恨めないのだ。
鳴鈴が静牙に執着しているのも、分かる気がする。静牙の言葉には、嘘や誤魔化しが一欠片もないのだ。あまりに正しすぎて煙たがられることもあるだろうが、裏を返せばこれほど信頼に値する人間はいない。
そんな男に愛されて妻になったら、彼は誠心誠意、真心を持って接してくれるだろう。遊びがないので刺激には欠けるかもしれないが、安心感は抜群だ。それこそ、王太子の側室などという不安定で殺伐とした立場とは、真逆の平穏を得られる。
「……後悔なら、私もしてないわよ」
「そうなのか?」
「そうよ。だって、ここに来て、たくさんの人に会えたもの。泉玉にも、翠芳にも桜喜にも……果耀にも。鳥番の子たちにも」
御鳥児になんてならなければ良かった、という思いがあることは事実だが。だからと言って、彼女たちとの出会いを無かったことにはしたくなかった。
皆、御鳥児という重い責任を背負いながら、精一杯に役目を全うしようとしている子たちばかりだ。泉玉もそうだが、健気で、優しくて、大人しそうに見えても芯は強い。王宮に来なければ、見えなかった世界だ。
「御鳥児って大変なんだろうな、くらいにしか思ってなかったのよ。何なら昔は、歌うだけで毎日いいものが食べられていいわね、なんて思ってたわ。とんでもない思い込みよね」
「知らなければ、そんなものだろう」
「ええ。だから……知れて良かったの」
庶民は生活こそ大変だが、気楽な立場である。酒を飲んで適当にお上の文句を言って、役人の悪口を言ってこき下ろす。けれど、その立場にならないと分からない苦労というものは、必ずあるのだ。
「あの子たちに会えたことを、後悔なんて、したくないわ。だから、あなたのことも、恨まない」
「そうか。君らしいな」
「他人事みたいに言ってるけど……静牙、あなたも入ってるんだからね。会えて良かった人の中に」
最初は、なんて堅物で空気の読めない男だろうと思った。物言いが率直で、生真面目すぎて融通が利かない。やりにくい、と正直思っていた。
だが、静牙は小言は言うものの、晏珠を粗末に扱ったことは一度もなかった。単に役目に忠実なだけでなく、体調を崩してからは女官たちが苦笑するほどに甲斐甲斐しく気遣ってくる。
――君を見つけた、俺を信じてくれ。
出会った時からずっと、彼は自分を信じ、晏珠を信じていた。年齢も、育ちも、一切関係なく。
「正直、なんでこんな目に遭わないといけないの、って思うわよ。でも、矛先は、間違えたくないの」
「晏珠……」
「私は御鳥児だって、今でも自信を持って言うことはできないわ。でも、御鳥児だろうと何だろうと……理不尽に傷付けられてもいい人なんて、いないでしょう? だから、私は屈しない」
涙を拭いて、晏珠は顔を上げる。少しだけ身を離して、静牙をひたと見つめた。
「私が傷付いたら、私の大事な人たちが悲しむから。泉玉も、他の御鳥児の子たちも……あなたも」
「ああ。その通りだ」
「だからね、静牙。私を、見ていて」
鳥番は、御鳥児の番人。守ると同時に、見張る立場でもある。ただの護衛ではなく、御鳥児を傷付けることを天主様から許された、唯一の存在。
「私が自分を軽く扱ってたら、教えて。自分では分からないの、本当に」
「分かった。ちゃんと言うようにしよう。君ももう一度、約束してくれ」
「もう一度?」
「……何かあったら、俺を呼べ。何処にいても、何をしていても、絶対に助けに行く。湖での失敗は、二度と繰り返さない」
言葉の一つ一つが、とても重い。静牙が、あの日のことをどれだけ悔やんでいるか、伝わってくる。
「分かったわ。来てくれるまで呼び続けるわよ」
「ああ、それでいい。晏珠」
名前を呼ばれ、再びふわりと抱きしめられる。優しく、安心できる温もりだった。もう、夜も遅い。急に眠気が襲ってくる。
「……眠いか? 横になるか」
「ううん……このまま、もう少し」
子供のようにしがみついて、晏珠は呟いた。静牙は体の力を抜いて、背中をぽんぽんと叩く。
「……鳥よ、小鳥よ、今夜は月夜」
「子守唄……? 歌ってくれるの、静牙?」
「偶にはいいだろう。上手くはないが……俺も、昔母から歌ってもらったのを覚えている」
「私も、母さんから教わったの。早くに亡くなってしまったけど……」
母は、晏珠が七才の時に病で亡くなった。昔の記憶は曖昧だが、はっきり覚えていることもある。
「歌が好きな人でね。いつも店で歌ってて、私にもたくさん教えてくれた……病気で亡くなる直前、意識も途切れ途切れだったのに、私が歌うと手を握り返してくれたの。だから私、最期まで歌い続けたわ」
「そうか……君の歌声は、母親譲りなんだな」
「母がしていたように店で歌ったら、皆が喜んでくれた。変な客が来ても、好きな歌を歌えば陽気になって、危ない目に遭わずに済んだわ。歌はいつでも、私の味方だった……」
夢見心地で、晏珠はゆるゆると語る。背中を撫でてくれる手は、父だろうか、静牙だろうか――どちらにしても、自分を安心させてくれるものだ。
晏珠、と呼び掛けてくる声が愛しい。
「代わりにはなれないかもしれないが……俺も、ずっと、君の味方だ」
「ありがとう、静、牙……」
礼を言い終えたところで、意識が完全に沈む。離れがたい温もりは、最後まで側にいてくれた。
――愛し 愛らし かわいい子
――おいで この手に 抱かれて
――羽を伸ばしておやすみよ……




