6-2
部屋に招き入れると、果耀が小さくくしゃみをした。晏珠は慌てて、肩掛けを渡す。
「こんな雪の中……寒かったでしょう」
「ありがとうございます。大丈夫です、わたし、これでも体は丈夫ですから」
雪に解けてしまいそうな銀色の髪を揺らして、果耀は微笑む。鼻と頬が真っ赤だ。
静牙は用心深く外の様子を伺うと、音を立てないよう注意を払って扉を締めた。
「……それにしても、驚いたな。どうやって宮を抜け出してきたんだ?」
「四年もいれば、色々分かるよ。護衛の交代の時間とか、女官の動きとか、建物の死角とかね」
床に座り込んだ登毘が、悪戯っぽく笑う。
「果耀がどうしても、晏珠に会いに行きたいって言うからさ。脱出できる道筋を探したんだ。ごめんな、こんな時間に。今が一番安全だったから」
「最初は、女官の服を拝借して変装しようかとも思ったんですが。わたしの体には大きすぎて、裾を引きずってしまいました。それで、登毘と頭を捻ったんです」
「へ、変装って……そこまでして、どうして私に?」
あれほどの数の護衛に囲まれて、輝雪宮に閉じ込められている果耀が。危険を冒してまで、わざわざ真冬の夜にここまで忍んでくるなど、誰が思うだろう。
果耀は目を伏せて、胸の前で手を組んだ。
「……どうしても、謝りたくて。晏珠様に」
「えっ? あなたが謝ることなんて一つも……」
「いいえ、あります。神鎮めの儀のことです」
果耀は悲しげに眉を下げた。
「本来ならば、わたしが行かなければならなかったのに。代わりに行ってくださったことで、襲撃に遭ったと聞きました。そのせいで今も体調を崩されていると……本当に、ごめんなさい」
「そんな、あなたが責任を感じることじゃないのよ。私は神託で選ばれたんだし……そもそも、あなたを外に出してくれないのは神官長でしょう?」
ここに来るのさえ、護衛や女官の目を掻い潜って夜にひっそり抜け出してこなければいけないのだ。不自由な生活を強いられている少女に同情こそすれ、責めるつもりなど毛頭ない。
「……わたしは、神鎮めの儀に一度も行ったことがありません。いつも他の方が代わりに行ってくれて……御鳥児なのに務めを果たせていない。それがずっと、気がかりでした」
「果耀……」
「神官長様は、わたしが国の命運を握っていると仰います。万が一にも何かあったら、国が滅ぶかもしれない。だから外に出てはいけない、と」
思わず晏珠は眉を顰めた。何てことを言うのか。それでは国を盾にして脅しているようなものだ。
「でも……その結果、他の方に危害が及んでしまうのなら。わたしは、何のためにここにいるのだろう。そう、思ってしまって」
「……そうよね。きっと、私でも同じことを思うわ」
果耀の歌声が特別なのは分かる。一度聞けば、彼女こそ天主様に愛された歌姫だと、誰もが思うだろう。この地の平和のため、あらゆる危険から遠ざけて守るべき存在だという主張も分からなくはない。
――けれど、それは裏を返せば、一種の「犠牲」だ。
今回の襲撃は晏珠個人を狙ったものだが、神鎮めの現場は天災が起こった場所だ。多少なりとも危険はあるし、民も傷ついている。翠芳が神経を擦り減らしてしまったように、行けば精神的に負担がかかるのは間違いないだろう。
危ないから外に出るな、それが国のためだ。そう吹き込んで閉じ込めて、代わりに他の者に負荷を負わせることが、果たして本当に彼女のためなのか。逆に心苦しくなり、無力感に囚われてしまうのではないか。
俯いてしまった果耀を見やり、登毘が口を開いた。
「元々、果耀はずっと晏珠に会いたがってたんだ。こんなことになる前からね」
「え、私に?」
「うん。よく、庭で歌ってただろう? 輝雪宮にも、声が聞こえてきた」
晏珠は苦笑した。気分転換のための鼻歌は、他の宮まで届いていたらしい。
「ごめんなさい。煩かったわね」
「いえ、全然! むしろ、いろんな歌が聞こえてくるのが楽しみで……いつか、教えてもらえたらと思っていました。わたしはあまり、流行りの歌を知らないので」
無理もない。わずか10才で御鳥児に選ばれ、以来ずっと宮で過ごしている少女だ。朱角は庶民の歌を好まないようだし、触れる機会もなかっただろう。
「私もあなたと話してみたかったわ、果耀。泉玉――私の前任もあなたのことは気にしてたし、翠芳も、桜喜も、そう思ってるわよ」
「皆様が……? わたしを?」
「ええ。心配しているの、皆。あなたが一人で、辛い思いをしていないかって」
――今だから分かりますが……特別な力を持っているというのは、それはそれで辛いことなのでしょうね。
翠芳は前からだが、桜喜も自身の心が落ち着いてきてからは、そう言って果耀のことを案じていた。
才能に恵まれた姉の影に隠れ、自信が持てずにいた桜喜にとって、当初果耀は羨望の対象でしかなかったのだろう。だが、今はもう分かっているのだ。能力の有無は、幸福に直結するものではない、と。
「こんな形になるとは思わなかったけど……それでも、あなたと話せて嬉しいわ。来てくれてありがとう、果耀」
「いえ、そんな……わたしは謝罪に来ただけで」
「謝罪なら、もう十分してもらったわ。良かったら、あなたの話をもう少し聞かせてくれない? まだ時間があれば、だけど」
せっかくの機会だ。一人で重い責を負わされているこの少女が、少しでも荷を下ろせる場になればいい。
すっかり冷えている小さな手を握って礼を言うと、果耀は戸惑ったように目を伏せた。横から登毘が口を挟む。
「時間なら大丈夫だぞ、果耀。次の護衛の交代まで、まだ結構ある」
「登毘……でも、晏珠様はまだお体の調子が良くないと聞いてますし」
「平気平気、ちょっと風邪気味なだけよ。少しの間なら問題ないわ。いいわよね、静牙」
一応お伺いを立てると、静牙は「駄目だと言ったって聞かないだろう」と笑った。
「ちゃんと暖かくしていろよ。それと、具合が悪くなったら無理やりにでも寝かせるからな」
「ええ、それでいいわ。……ねえ、果耀。あなたには、好きな歌はないの?」
「えっ? ……好きな歌、ですか」
「そう。子供の頃に好きだったとか、よく歌ったとか」
できれば、一緒に何か歌えたらいい。この状況ではあまり大きな声は出せないが、女官たちもそろそろ寝床に就く頃だ。小声なら外には聞こえないし、問題ないだろう。
問われて、果耀は忙しく瞬きをした。思い出そうとするように、目が泳ぐ。
晏珠が辛抱強く待っていると、やがて、ぽつりと呟きが落ちた。
「……ごめんなさい、思い当たりません。わたしは……歌うと親に怒られたので、あまり歌えなかったんです」




