5-10
唇を噛み締めた晏珠を見て、燕月は「ま、これは全部推測なんだが」と肩をすくめた。
「朱角も鳴鈴も、証拠は一つも残してない。火を点けた犯人や、お前たちを襲った連中が捕まれば良かったんだが……そこは徹底しているようだな。一人も捕えられなかった」
「すみません。自分の責任です」
静牙が悔しげに呟く。王太子はひらひらと手を振った。
「お前は晏珠を助けるのに精一杯だっただろう。実際、死んでいてもおかしくなかったんだ。よくやったと思うぞ」
「しかし、証拠がなければ責任を問うのは困難です」
「その通りだ。朱角にも鳴鈴にも、今の時点では手出しができない」
燕月の言葉に、晏珠は青ざめた。つまりそれは、これからも狙われる可能性があるということだ。
「そんな顔をするな。大丈夫だ、俺に考えがある」
「考え……?」
「ああ。今はまだ話せないが……そのうち分かるだろう。それまで、陽光宮周辺の護衛は増やす。宮の外には出さないよう取り計らうし、接する人間も、口に入れるものも厳しく管理する。絶対とは言わないが、それでかなり防げるはずだ」
朱角たちを捕えることはできないが、今できる最大限のことはしてくれるらしい。晏珠は素直に頭を下げた。
「ありがとうございます。助かります」
「何、お前が危険な目に遭うと泉玉が煩いからな。それに、彩鈴もお前を心配していたし」
「彩鈴様が、ですか? 私を?」
会ったこともない人に心配されていたというのは不思議だ。そもそも、彩鈴は自分のことを知っていたのか。
首を傾げた晏珠に、彩鈴は僅かに微笑んだ。
「晏珠様のことは、殿下と泉玉様から聞いておりました。……同時に、妹が暴走していることも薄々気づいていました」
「暴走……ですか」
「はい。鳴鈴は、何と言うか……自分が一番でないと気が済まない子なのです。昔から」
彩鈴は眉を下げて、困った顔をした。
「元々、殿下の側室になる予定だったのは鳴鈴の方でした」
「そうだったんですか。それがどうして……」
「分かりません。突然、鳴鈴が言い出したのです。わたくしに、立場を交代してくれと」
「つまり、代わりに側室になってほしいと?」
晏珠の疑問に、彩鈴は「それもありますが……」と言い淀んで、静牙の様子を伺った。
静牙は一瞬迷った様子だったが、すぐに頷く。それを見て、彩鈴は続けた。
「わたくしはその時、静牙様と婚約したばかりでした。妹はそれを知って、自分が静牙様の妻になりたいと言い出したのです。子供の頃からお慕いしていた、と」
――婚約。
静牙と、この人が。
衝撃と納得が、同時に晏珠を襲った。
泉玉は、兄は結婚する気がないようだと言っていた。だが、この人――彩鈴の話をする時の静牙は、表情も声もいつもより柔らかく、慈しむような雰囲気を纏っていた。
婚約していたと言うなら、それも理解できる。先程静牙が言いかけたのも、「元々はあなたが俺の婚約者だったはず」ということなのだろう。
「それで、交代を……?」
「はい。両親は妹にとても甘かったので。しかし、調家としてはどうしても王太子殿下に娘を嫁がせたかったようです。代わりにお前が側室に入れ、と」
「そんな……じゃあ、二人は引き裂かれたってことですか」
少なくとも、婚約には同意していたのだ。静牙も彩鈴も、お互いに好意はあったのだろう。それを無理やり妹と交代させるなんて、親の神経を疑う。
だが、彩鈴は苦笑して首を振った。
「静牙様とわたくしは、親が決めた相手でした。わたくしは子供の頃から書物に夢中で、結婚に興味がありませんでしたし。失礼ながら、静牙様もあまり積極的ではなかったかと」
「ええ。俺も同じです。このままだとどちらも結婚できないと思った親同士が、内々で決めたようですね」
「でも、お互いに異論はなかったんでしょう?」
「それは、まあ……彩鈴殿なら昔から知っているし、信頼できる方なのは分かっていたし」
どこか居心地が悪そうに頭を掻く静牙に、彩鈴が軽く笑った。
「わたくしも、静牙様なら不満はありませんでした。ですが、晏珠様が考えておられるような悲劇的な話とは少し違います。わたくしは、側室になることにそこまで抵抗はありませんでしたから」
「えっ? そうなのですか?」
「ええ。後宮に入れば、王宮内の書物をいくらでも読めます。それに、殿下が泉玉様一筋なのは有名でしたし、かえって気が楽でしたね」
涼しい顔であっけらかんと話す彩鈴に、晏珠は目を丸くした。姉妹なのに、鳴鈴とは随分印象が違う女性である。本当に、結婚には拘りがなかったらしい。
燕月が、どこか面白そうに口を挟んできた。
「お前が輿入れしてきたのは、確か五年前だったな。泉玉が御鳥児になって、俺もあまり王宮にいなかったから、書物も読み放題だっただろう」
「おかげさまで。ですから、泉玉様はわたくしたちの婚約のことはご存知ないと思います。内々で決まって、内々で破棄されましたから」
「はあ、なるほど……でも、鳴鈴様は、どうしてその後すぐに静牙に嫁がなかったのですか?」
「静牙様は殿下の代わりに、泉玉様の護衛を務めることがよくありました。あまり家におられず忙しくされていたので、今申し入れても断られるだろうと思ったようです。泉玉様が御鳥児を終えられたら、調家から改めて申し入れるつもりだったのでしょう」
つまり、やっとこれで静牙と結婚できる、と思ったところで。よりによって、彼が新たな御鳥児の鳥番に選ばれてしまった、ということらしい。
「……何か、ごめんなさい。わざとではないんですけど」
「もちろん分かっています。晏珠様は何も悪くありません。それに……妹が本当に静牙様をお慕いしているのか、私としては少々疑問なんです」
意外な言葉に、晏珠は目を瞬かせた。




