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神の小鳥は遅れて集う  作者: 糸尾 文
5 割れた薄氷
44/75

5-6

 重い瞼を上げると、光が差し込んできた。

 思わず眉を寄せて手で遮ろうとすると、顔に影が落ちる。


「気が付いたか、晏珠」

「……静牙?」


 深く安堵したような声に、晏珠は思い出した。

 神鎮めの儀に向かう道中、何者かに襲撃されたこと。馬が暴れて馬車が揺さぶられ、冬の湖に転落したことを。


「私……助かったのね」


 水に落ちる瞬間、死を覚悟した。全く泳げないわけではないが、凍りつくような冷たい水面に服を着たまま落ちて、まともに泳げるわけがない。

 だが、今、こうして目覚めたということは。誰かが水中から助け出してくれたのだ。それは、きっと。


「……あなたが助けてくれたのよね?」

「そうだ、と言いたいところだが……」


 言い淀んで、静牙は苦い顔を浮かべた。


「そもそも、こんな事態を招いたのは俺の落ち度だ。もっと早く敵の目的に気づいていれば、こんなことにはならなかった。すまない」

「そんなの、あなたのせいじゃないわ。ありがとう、静牙。助けてくれて」


 晏珠が笑いかけると、静牙は少しだけ表情を緩めたようだった。




 体はまだ熱っぽく怠いが、静牙にも手伝ってもらって何とか上半身を起こした晏珠は、改めて部屋を見回す。知らない場所だ。


「……ここは?」

「街の天主廟だ。君は昏睡状態だったからな、新たに手配した馬車でここまで運んだ」


 聞けば、既にあの襲撃から二日も経っているらしい。随分長いこと眠っていたものだ。

 ここは、あの日に泊まる予定だった街だという。襲撃をなんとか退けた後、護衛たちが医者を呼びにこの街まで来た。彼らは無事に医者を見つけて、翌日馬車で森まで戻ってきてくれたのだ。


「手間を掛けさせてしまったわね。ごめんなさい」

「いや、気にするな。君はひどい熱を出していたし、動かすのは危ないかとも思ったんだが……居たのは粗末な猟師小屋だったからな。街できちんと療養させた方が良いだろうと判断した」


 知らせを聞いたこの街の天主廟は、大騒ぎだったらしい。無理もない。神鎮めに向かった御鳥児が襲撃されて瀕死など、地方の神官にとっては手に余る事態だろう。


「一緒に落ちた馬は、助からなかったのよね……」

「ああ、気の毒なことをした。俺は君を助け出すだけで精一杯でな」

「あなたは大丈夫なの? あんなに冷たい水の中を泳いだんでしょう?」


 自分を助けるために水に入ったなら、静牙も体調を崩していてもおかしくない。

 心配した晏珠に、静牙は「大丈夫だ」と答えた。


「泳いだと言っても短時間だし、服はできるだけ脱いで水に入ったからな。護衛たちがすぐに小屋を見つけて火を起こしてくれたし、大事はない」

「それなら良かったわ。そういえば、この服……」


 今は清潔な寝間着を身に着けているが、水に落ちた時の服はどうなったのだろう。女官が着替えさせてくれたのだろうか。

 すると、静牙が言いにくそうに切り出した。


「……その、服は……俺が、着替えさせた」

「えっ?」

「ここに連れてくる前、小屋で火に当てて温めていたんだが……濡れた服は体温を奪うからな。そのままにはしておけず……」


 驚いた晏珠に、静牙は「すまない」と頭を下げた。


「一応、毛布はかけていたから……見てはいない。護衛たちも誰もいなかった」

「そ……そう。仕方ないわよね」


 今回、女官は同行していない。目的地がさほど遠くないのと、途中立ち寄れる街にすべて天主廟があるので不要と判断されていた。元より自分の世話くらい自分で出来るので、何も異論はなかった。


 まさか、こんなことが起こるとは思っていなかった。いや、女官の身の安全を考えれば、いない方が良かったのだろうが。


 静牙がいつものように淡々としていてくれればいいのに。何やら落ち着かない様子なので、こっちまで余計に気恥ずかしくなる。

 本当に見てないのかと聞きたくなるが、たとえ見ていたとしても、あくまで救助の一貫だ。助けてもらったことに感謝こそすれ、文句を言う筋合いはない。いちいち蒸し返すのも藪蛇である。


 晏珠は咳払いをして、話題を変えることにした。


「……神鎮めの儀は?」

「一旦は中止だろうな。今の君に無理はさせられない。しばらくはここで療養して、回復したら王宮に戻ると伝えてある」

「そう……大丈夫かしら」


 自分のせいではないとは言え、務めを果たせなかったのは事実だ。朱角が何か言ってこないとも限らない。

 顔をしかめた晏珠に、静牙は「神官長のことか?」と問いかけてきた。


「あの人、何でも口実にしてきそうだもの。こんな事態になったのは御鳥児としての資質に欠けるからだ、とか言われないかしら」

「……流石に、そこまで強引な屁理屈は通らないと思うが。今回、君に非は一つもないだろう」

「ないけど、皮肉の一つくらい言われそうじゃない」


 就任以来、顔を合わせたのは導きの儀の時くらいだが。露骨に好意的とは言えない目を向けてくる男だ。未だに、晏珠の御鳥児としての資質を疑っているのは間違いない。


「今回のことだって、あの人が仕組んだかもしれないでしょう?」

「ああ。それは俺も考えている。十分に有り得るな。……だが、その話はまた後だ」


 静牙は苦笑して、側机に置いてあった水を手渡してきた。


「君はまだ熱がある。今はゆっくり療養してくれ。色々考えるのは、王宮に戻ってからでいい」

「……ええ、そうね」


 水を口に含むと、心地よい冷たさが喉を潤してくれた。未だに体は気怠く、少し話しただけでも疲れてしまっている。本調子に戻るまで、時間がかかるかもしれない。


 静牙に助けられて体を横たえると、晏珠は再び眠りに落ちていく。熱い額を、大きな手が撫でてくれた。

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