5-2
異変が起こったのは、王宮を出て数時間後のことだった。
馬車で現地に向かっていた一行が、大きな湖のそばを進んでいた時、外から騒ぎ声が聞こえてきた。すぐに静牙が天蓋を捲り上げ、状況を確認する。
「どうした? 何かあったか」
「はい、野盗のようです。数が多いので少し手こずっていますが、じきに制圧できるかと」
護衛の一人が答え、静牙は「野盗か……」と呟いた。
「金目の物を狙ってきたか。あいにく、そんなものは無いが……御鳥児の存在に気づかれると厄介だな」
「……人質にされるってこと?」
「そうだ。まあ、天を敵に回すことになるからな。そこまで不遜な輩はそう多くないが……国を脅す道具にされたくはないだろう、君も」
「真っ平御免だわ、そんなの」
御鳥児を捕えて王家を脅すなど、大罪も大罪だ。本人は間違いなく死罪になるし、一族郎党にも咎が及ぶ。いくら金が欲しくても、流石に割に合わないだろう――理性的に考えれば。
しかし、相手の目的が分からない以上、絶対に大丈夫だとも言い切れない。青い顔をした晏珠を見て、静牙は安心させるように言った。
「大丈夫だ。野盗くらいは予想していた。天蓋付きの馬車に乗れるのは、貴族か富裕層くらいものだ。連中からすれば格好の獲物が通りかかった、というところだろう」
「でも……護衛の皆が心配だわ」
「それこそ問題ない。全員、腕の立つ護衛ばかりだからな。野盗などに後れを取る奴はいない。すぐに撃退できるはずだ」
自らが選んだ護衛たちの力量を信じているらしい静牙に、晏珠も「そうね」と応じた。きっと、しばらくの辛抱だ。皆、大きな怪我もなく再出発できるに違いない。
――だが、予想に反して、戦闘は長引いていた。
「……妙だな。まだ終わらないのか?」
静牙が訝しんで、再度外の様子を伺う。晏珠も不安になって覗き込もうとしたが、厳しい声で制止された。
「顔を出すな。危険だ」
「で、でも」
「――静牙様!」
先ほど報告をしてきた護衛が、馬車に駆けよってきた。細かい傷を負っているものの、大きな怪我はない。が、息はかなり上がっている。
「申し訳、ございません……! 未だ追い払うことができず……」
「そんなに数が多いのか? ただの野盗だろう?」
「はい。そう思っていたのですが……様子がいささかおかしいのです。本気でこちらを殺そうとしてくる様子はなく、少し攻撃してはすぐに引き、また別の者が襲ってくるという有様で」
馬車の左手側には湖があるが、右手側には森が広がっている。野盗と思われる男達はその森から現れて襲ってきたが、反撃を食らうとすぐに森に逃げ込んでしまうと言う。すると別の男達が森から現れ、同じ行動を取る。一体何人いるのか、何が目的なのか、今一つ分からないらしい。
「確かに、変だな。こちらを疲れさせようとしているのか?」
「そうとも考えられますが……ただ、金品を奪うのが目的なら、総攻撃をかけた方が手っ取り早いはずです。向こうに手練れはおらず、戦い方も素人同然ですが、こちらの方が少数なのは自明ですから」
護衛の分析に、静牙は少し考える様子を見せたが、やがて「よし」と頷いた。
「俺も出よう。ここに居ても状況が分からん」
「しかし、静牙様には御鳥児をお守りいただかなければ……」
「馬車の付近には留まる。それに、武器で力押ししてくるだけなら、天主様の力で弾き返されるだけだ。余程のことがない限り、大丈夫だろう」
静牙は晏珠に向き直り、視線を合わせてきた。
「晏珠、君はここから出るな。顔を出すのも駄目だ。息をひそめて、隠れていてくれ」
「ええ。……行くのね、静牙」
「ああ。どうも、単なる野盗ではなさそうだからな。心配するな、近くにはいる。何かあったら躊躇なく叫べ」
「分かったわ。静牙、気を付けて。あなたもね」
真冬なのに汗だくになっている護衛に声をかけると、青年は恭しく頭を下げた。静牙も大きく頷き、腰の剣に手を掛ける。
「よし、行くぞ」
「はっ!」
決然とした掛け声を残して、静牙は馬車を飛び出して行った。
――あれから、どれだけ経っただろう。
隠れて気配を殺していたせいか、時間の感覚は麻痺している。かなりの時間が経過したように思えるが、実際には短い時間だったのだろう。
外の喧騒は相変わらず続いており、心配が募る。静牙は、あの護衛の青年は。他の者たちは。無事だろうか。
様子を伺いたいのは山々だが、顔を出すなと厳命されている。自分にできるのは、ここでじっと待つことだけだ。不甲斐ないが、出て行ったところで足手まといになるのは目に見えている。それこそ人質にでも取られたら取り返しがつかない。
――本当に、何が目的なのかしら。
単なる野盗ではないとなると、狙いは御鳥児である自分だと考えるのが自然だ。静牙に言われてこうして隠れてはいるが、実はとっくに気取られているのかもしれない。
だが、それにしてはやり方が妙だ。
相手は、少し攻撃してはすぐに引くという行動を繰り返していると護衛は言っていた。馬車に近づいて自分を捕えに来るならともかく、そんな気配は今のところない。静牙たちが守っているということを差し引いても、だ。
吹き込む風に身を震わせながら考えていると、突然、馬の甲高い嘶きが鼓膜を打った。そして、馬車がぐらぐらと揺れ始める。
「え……何?!」
揺れに耐え切れず、晏珠は身を伏せる。馬車を引いていた馬が興奮して暴れているようだ。まさか、馬を狙って攻撃したのだろうか。
また、馬が高く鳴いた。揺れがますますひどくなり、外に放り出されそうになる。このままでは危険だ。潔くここから飛び出した方がいいのか、それとも――……
その時、馬車が左手側に大きく傾いだ。
晏珠は咄嗟に天蓋に捕まるが、とても体勢を整えることができない。そのまま、馬車ごと横倒しになっていく。
倒れる。叩きつけられる。地面に。
……否。馬車の左手にあるのは、湖だ。
薄く氷が張った、真冬の湖面に、落ちていく。
「……晏珠!!!」
水飛沫の音と同時に、ひどく焦った静牙の声が耳に届く。
それを最後に、晏珠の意識は闇に呑まれてしまった。




