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神の小鳥は遅れて集う  作者: 糸尾 文
4 冬の波紋
30/75

4-1

 その歌声を言葉で表現するのは、非常に困難だった。


 天聴宮の大祭壇の前で歌うのは、冬の御鳥児――雪鴒である果耀だ。

 銀色に輝く髪に真白の正装を身に纏った小柄な少女は、まるで雪の精のように儚げで、どこか彫像のようにも見えた。


 だが、その小さな体から発せられた声が、空気を震わせた時。晏珠は一瞬で鳥肌が立った。


 ――あの子は特別。本当にすごいの。それしか言えなくなるわ。


 泉玉の言葉は真実だった。人の言葉では形容しきれない、妙なる歌声だ。優美で清冽でありながら力強く、圧倒的かつ神秘的で、聞いた者に問答無用で畏敬の念を抱かせる。大いなる自然を前にして、人間が己の小ささを感じるのと似ているかもしれない。


 神官長の朱角が、満ち足りた微笑を浮かべているのが見える。彼にとって、果耀はまさに理想通りの御鳥児なのだろう。まだ幼いと言っていいほどに若く、清らかで、神から与えられた稀有な歌声を持つ歌姫だ。秋の導きの儀の際は、あれほど無表情だったのに。

 他の御鳥児のなどどうでもいい、果耀がいれば十分――そんな声さえ聞こえてきそうだった。


 導きの歌はいよいよ最高潮に達しようとしている。秋の歌とほぼ同じ旋律なのに、全く違う歌に聞こえるのが不思議だった。

 果耀が腕を伸ばす。大きな羽を広げた白い鳥が、水面から飛び立とうとしているかのようだ。そうして、最後の声が終わる。


 雪がひとひら地面に落ちたように、静寂が満ちた。

 振り向いた果耀が、皆に告げる。



「……雪鴒の名の下に。ここに、冬の到来を宣言します」



 先程までの歌声の迫力とは打って変わって、囁くような声だ。人間離れした雰囲気が霧散し、線の細い小さな14才の少女がそこにいた。


 天聴宮を満たす透き通った冬の気は、紛れもなく彼女が作り出したものだ。朱角はこれ以上ないほど誇らしげにしているし、導きの儀としては大成功に違いない。それなのに、当の果耀があまりにも寂しげに見えて、晏珠は胸を打たれた。


 鳥番の登毘と共に階段を降りた彼女と、一瞬だけ視線が交わる。

 何かを訴えかけるような心細げな目は、すぐに大勢の護衛に囲まれて見えなくなってしまった。






 導きの儀を終えて陽光宮に戻ると、女官たちが首に巻く布を渡してくれた。

 御鳥児は首元の徴が見える装いをするのが原則だ。寒くなると一応首元が透けた服を下に着込むものの、やはりそれだけでは冷える。そのため、冬の導きの儀が終わったら首巻を付けても良いことになっているという。

 ありがたく受け取って、晏珠はすぐに身に付けた。ちょうどよい温もりに思わず顔が緩む。


「はー、あったかい……」

「嬉しそうだな、晏珠」

「首元が冷えると全身寒くなるのよ。良かったわ、そろそろ辛くなってきたところだったの」

「そうなのか。泉玉はまだ今の時期は平気そうにしていたが」


 首を傾げる静牙に、晏珠は「あのね」と睨めつけた。


「年が違うのよ、年が。若い子は多少薄着でもいいかもしれないけど、私はそうはいかないの」

「……そういうものか? 君も十分若いだろう」

「御鳥児の中では、ってことよ。そもそもこの服、私みたいな年齢の女が着ることは想定されてないと思うのよね。似合わないもの」


 羽ノ国の女性は、晏珠くらいの年齢になると胸元が開いた服は着なくなるのが普通だ。若いうちはさほど煩く言われることはないが、既婚者になると夫以外の男性にあまり肌を晒さないという慣習があるため、良い年をして胸元がはだけていると遊び女のように思われる。


 そのため、徴がはっきり見えるよう胸元が開いた御鳥児の装束は、晏珠にはいささか抵抗のあるものだった。今はそれなりに慣れたが、首巻で隠して良いと言われると少なからずほっとする。

 元々晏珠は胸が豊かな方であり、酒楼では絡まれるのが面倒で晒で潰していたくらいだ。華奢な少女ならよく似合うが、自分が着ると身体の線が出過ぎて、どうにも落ち着かない気分になってしまう。


 今更ながらため息を吐いた晏珠に、静牙は分かったような分からないような顔をした。


「確かに首元は寒いかもしれないが……似合わないことはないだろう」

「あなたね……翠芳や果燿と比べてもそう思うわけ?」

「……比べる意味が分からんが、俺はよく似合っていると思う」



 ――その輝く御鳥児の徴も、白い肌によく映えて美しいと、いつも思っていた。



 酔った彼が陶然と呟いたのを思い出し、晏珠は慌てて静牙から顔を背けた。よりによって今思い出さなくてもいいのに。


 あれ以来、約束通り静牙は酒を口にしていない。素面の彼はやはりひたすら実直で生真面目で、あれほど情熱的に口説いてきた男と同一人物とは思えなかった。酒を飲んで人格が変わる人間はいるが、彼もその手の性質なのだろう。

 出会ったばかりの頃に比べると、表情は多少読み取りやすくなったものの、これは晏珠の方が僅かな変化に気付くようになっただけかもしれない。それだけ、彼のことを意識しているのは否定できなかった。


 あの日のことを彼が思い出す気配はない。それに安堵する反面、一抹の切なさも感じて、晏珠は自分自身に戸惑っていた。

 急に視線を逸らされて、静牙が不思議そうに尋ねてきた。


「晏珠? どうし……」

「晏珠様、静牙様。ご歓談中のところ、失礼致します」


 女官の声が静牙の問いかけを遮る。これ幸いと晏珠は応じた。


「気にしないで。何かあったの?」

「はい。お二方に面会を希望される方がおられます。お通ししても宜しいでしょうか」

「えっ、面会? どなた?」


 鳴鈴のことを思い出して若干身構えた晏珠だが、女官が出した名前は意外なものだった。


「風鴒――翠芳様と、鳥番の柳星様でございます」

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