3-9
――やはり、鳴鈴が想っている相手は静牙なのだろうか。
今の彼は鳥番である。婚姻自体は認められていても、実質的には結婚など不可能に近い。
だが、役目から解放され、五名家筆頭の調家から申し入れがあったら。いくら静牙でも容易には断れないはずだ。そうするには、晏珠を御鳥児から引きずり下ろすしかない。
眠り薬を入れることができたのなら、毒だって入れることができただろう。しかし、直接持ち込んだ酒で毒殺したりすれば、当然鳴鈴が疑われる。
静牙と結婚することを望んでいるなら、自らは潔白でなければならない。だから従者を使って、こんなやり方を取ったのではないか。
――去り際に鳴鈴が見せた、悔し気な表情が目に浮かんだ。
おそらく、静牙があの時点で目覚めてしまったのは、彼女にとっては予想外だったのだろう。手厳しい言い方で追い出されたのも。
彼女が単独で画策したことなのか、朱角も絡んでいることなのか、それはまだ分からない。だが、このやり口――二人が手を組んでいる可能性は十分にある。これで終わるとは思えない。
「……晏珠? どうした?」
急に黙り込んだのを訝しく思ったのか、静牙が怪訝そうに問いかけてくる。晏珠は慌てて思考を引き戻して笑った。
「何でもないわ、ごめんなさい。ぼうっとしちゃって。昨日は私も結構飲んだから、ちょっと寝不足なの」
この話を静牙にすべきかどうか。晏珠は一瞬悩んだが、すぐに却下した。やめておこう。証拠は何もないのだ。現時点では自分の憶測に過ぎない。
それに、もし本当だったとしたら、静牙は酔い潰れてしまった自分を責めるだろう。鳴鈴を信用して晏珠を託した泉玉も、気に病んでしまうに違いない。仮に仕組まれていたとしても、今回は未遂で済んだのだ。これから気を付ければいい。
静牙はまだ得心しかねる表情をしている。これ以上の追及を避けるため、晏珠は話題を変えることにした。
「あなたも泉玉も、鳴鈴様とは昔から交流があったの?」
「ん? ……ああ、泉玉はな。俺は年も離れているし、泉玉ほど親しくはない。姉の彩鈴殿の方が年が近かったからな」
「そういえば、お姉様がおられたんだったわね。どんな方なの?」
既に王太子の側室になっているという、調家の長女。ともすれば泉玉とは対立関係になってもおかしくない立場だが、どんな女性なのだろうか。
晏珠が尋ねると、静牙はふっと顔を緩めた。
「彩鈴殿は、君と同い年だ。書物がお好きで、あまり社交的な場に出てこられる方ではないが、とても博識でな」
「博識……それはすごいわね」
「ああ。活発な妹君とは対照的だが……知性的で、落ち着いた方だ」
静牙の目が、どこか遠くを見るように細められる。晏珠は胸が詰まる心地がした。
彼自身は自覚していないのかもしれないが、懐かしむような、慈しむような……愛おしむような。そんな目だ。
「……実は、殿下の側室候補は、妹の鳴鈴殿の方だと言われていた」
「えっ、そうだったの?」
「ああ。だが、実際には彩鈴殿の方が輿入りされた。五年前のことだ」
「どうしてかしら……確かに、年齢的には鳴鈴様の方が釣り合うわよね」
庶民なら妻の方が年上ということも普通にあるが、貴族社会は別だ。年下の妻の方が圧倒的に好まれ、10才以上離れた妻を迎えることも珍しくないという。
王太子より2つ下の鳴鈴なら、側室としてはまさに最適と言っていい。泉玉が後に正妃として輿入れしてきても、彼女なら互角に渡り合えるだろう。それなのに、わざわざ年上の姉を後宮入りさせるとは。調家の思惑は一体何なのか。
晏珠の疑問に、静牙も苦笑して首を振った。
「さあな。色々憶測は飛び交ったが……本当のところは俺にも分からない。だが、泉玉にとっては、その方が良かったかもしれん。彩鈴殿なら、泉玉とも上手くやってくださるだろう」
「……鳴鈴様だったら、苦労してただろうって?」
「いや、そこまでは言わないが。妹君はあの通り、なかなか強かな御仁だ。泉玉も気が強いし、何かあれば衝突してもおかしくないからな」
「まあ……それはそうね」
遠慮のないやり取りをしていた泉玉と鳴鈴を思い出し、晏珠も同意する。ただでさえ、常識外れの王太子を相手に疲弊するのが目に見えているのだ。少しでも心穏やかに過ごせる方が良いに決まっている。
「……後宮で、息災でおられるといいが」
未だ目を細めたままの静牙が、小声で呟く。また胸がざわついて、晏珠は思わず俯いた。
鳴鈴は知っているのだろうか。姉のことを語る時、彼がこんなにも優しい目をすることを。
――ひょっとして、静牙は。彩鈴様のことが……
静牙は求婚をすべて断っていると、泉玉は言っていた。
それは王太子の近衛という役目を考慮してのことだと言っていたが、本当は違うのではないか。
そう、もしかしたら――王太子の側室という、手の届かない相手を今も愛しているからでは?
……昨晩、酔っていた静牙は、自分は本気だと言った。
だが、酔った人間の愛の言葉がどれだけ軽いか、晏珠はよく知っている。
店でも戯れに口説いてくる客は多いが、全てその場限りの戯言だ。たとえお互い覚えていたしても、それ以上は踏み込まないのが暗黙の了解である。
酒の席での甘言を本気にすれば、自分が傷つくだけ。長年の経験から、晏珠はそれを学んでいた。
素面の彼が情を込めて見つめる相手は、晏珠ではない。彼は晏珠のことを「俺の御鳥児」とは言うが、それ以上のことは言わない。
あれは酒の席で起こった事故だ。それ以上でも、それ以下でもない。
静牙は忘れているのだから、自分も忘れてしまえばいい。それで終わりだ。自分たちの関係に、何ら変わりはない。
「……。忘れなきゃ、ね」
「ん? 何か言ったか?」
「ただの独り言よ。さあ、お祈りの時間だわ」
晏珠は顔を上げた。自分は御鳥児として此処にいる。今は粛々と務めを果たすのみだ。
目を閉じて膝を付き、祈りの姿勢を取ると、すっかり馴染んだ旋律を歌い始める。静牙が自分を見つめる気配は痛いほどに感じていたが、努めて気にしないように心がけた。
秋は次第に深まり、冬の気配が少しずつ近づきつつあった。




