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神の小鳥は遅れて集う  作者: 糸尾 文
3 深まる夜長
25/75

3-5

 泉玉が出て行くと、鳴鈴は「さあ、晏珠様」と振り返って笑った。


「お座りになって、寛いでくださいな。まだ肴もお酒も残っております」

「いえ、もう十分ですので」


 元々、少しだけという話だったのだ。酒には強いとは言え、この状況でこれ以上飲み食いする気にはあまりなれない。

 だが、鳴鈴は「そんなこと仰らずに」と勧めてくる。


「晏珠様はお強いようですし、開けた後は酒精が抜けてしまいますから。もちろんご無理にとは申し上げませんが」

「でも、静牙がいつ起きるか分かりませんし」


 酔って寝てしまった人は急に吐くことがある。それで喉を詰まらせて窒息することもあるので、注意が必要なのだ。少量とは言え、あまり受け付けない体質ならば油断はできない。

 見たところ横向きに寝てはいるし、苦しそうな様子は見られないので大丈夫だとは思うが、起きたら水を飲ませた方がいい。その方が早く酒が抜けるだろう。

 危惧する晏珠に、鳴鈴は心得ているとばかりに言った。


「大丈夫、静牙様の介抱はわたくしが致します」

「えっ? でも、あなた様にそのようなことは……」

「貴族の娘でもそのくらいはできますわ。いざとなったら女官もおりますし。ですから、晏珠様は遠慮なくお楽しみになって。文達、私の代わりにお相手を」


 促されて、従者の文達が再び隣にやって来た。流石に申し訳なさそうに眉を下げている。


「先程は大変失礼を致しました、晏珠様」

「いえ、私は特に何も。静牙が起きたら、一言お詫びいただければ」

「もちろんです。静牙様の代わりにはとてもなれませんが、護衛も給仕も私が責任を持って務めさせていただきますので」


 そう言うと、文達は改めて盃に新たな酒を注いでくれた。


「……言い訳になってしまいますが、私もあまり酒に強い方ではなくて。無理に勧められると困ってしまうものですから、援護のつもりで申し上げたんです。ですが、言い方に配慮が足りませんでした」

「本当よ、文達。あなたはもう少し言葉を選ぶことを覚えなさい、って昔から言われているでしょう」

「返す言葉もございません、鳴鈴様」


 主人と従者というよりも、まるで姉と弟のようなやり取りだ。五名家筆頭の調家ともなれば、厳格な主従関係がありそうなものだが、そうでもないのだろうか。

 晏珠の視線を受けて、文達は苦笑を浮かべて言った。


「気安く見えてしまったらすみません。私は調家の遠戚の生まれで、幼い頃から鳴鈴様の側仕えをしておりました」

「遠戚……そうなんですか」

「はい。もちろん、それで無礼が許されるわけではないのですが……」


 文達の言葉を、鳴鈴が引き継いだ。


「側仕えと言っても、子供の頃は遊び相手のようなものでしたの。ですから、この年になってもまだその頃の癖が抜けなくて。もっと主従らしくしなさいと、お父様にもよく叱られてしまうのです。お気に障ったらごめんなさいね、晏珠様」

「いえ、とんでもない」


 もとより貴族の主従関係など、自分が口を出すことでもない。

 いつのまにか鳴鈴は寝入っている静牙の隣に座り、額に浮かぶ汗を拭っていた。その視線がどこか甘く愛おしげに見えて、晏珠はおや、と目を見開く。


 ――もしや、彼女がずっと慕っているというのは、静牙のことでは?


 鳴鈴の年は20、一方の静牙は今年28だ。そこそこ年齢は離れているが、あり得ない年の差でもない。五名家同士交流があったのなら、子供の頃から慕っているとしてもおかしくはない。

 この酒席に誘う時も、彼女は静牙をどうにかして同席させたいようだった。流石に一口で酔い潰れるところまでは予想できなかったにせよ、慕っている相手であれば少しでも時間を共にしたいというのは分かる。今は鳥番を務めていることを理由に、求婚を断られるというのも説明がつく。

 決めつけるのは早いかもしれないが、可能性は十分にあるだろう。


 だが、もしそうだとしたら。鳴鈴にとって自分の存在は好ましいものではないはずだ。

 少なくとも、このように良い酒を持参して歓待までしてくれる理由は全くない。毒殺でも考えているなら別だが、そんな気配もない。泉玉も、鳴鈴自身も同じ酒を飲んでいる。


 ――やっぱり、気のせいかしら。


 一人で納得した晏珠は、注がれた酒を再び口に含んだ。文達にも勧めたが、護衛が飲むわけにはいきません、と断られる。

 注がれるままに何度か盃を開けた後、文達が目を細めて呟いた。


「晏珠様が御鳥児に選ばれたのが、分かる気がします」

「え? それはどういう……」

「いえ。実は、酒楼で働いておられたと聞いていましたので……失礼ながら、大分想像と違っていて」


 先程のことがあってか、可能な限り言葉を選んでいる様子だが、言いたいことは分かった。もっと婀娜っぽい、色気のある妙齢な女を想像していたのだろつう。


「それは、ご期待に添えずすみません」

「あ、いえ! そうではなく! むしろ、実物の方がとても魅力的だったといいますか、その」


 しどろもどろになる文達に、晏珠は苦笑した。


「ありがとうございます。お気遣いいただいて」

「いや、違うんです! 本当に、御鳥児に相応しくお優しくて美しい方だなと……お声も、とても綺麗ですし」


 言い募る文達の顔が赤い。心なしか、さっきよりも距離も近い気がする。もしかして口説かれているのか、これは。


「文達様。お仕えする鳴鈴様の目の前で、他の女をその気にさせるようなことは言わないほうがよろしいかと」

「……その気になってくださったんですか?」

「えっ? いえ、そうではなく……」


 晏珠はやんわりと牽制したつもりだったが、文達の目は真剣な光を帯びている。いやいやいや、まさか。こんなところで何を言い出すのか。

 困った晏珠は鳴鈴に助けを求めようとしたが、急に頭がぐらりと傾いだ。まずい、酔いが回ってきたのだろうか。


「晏珠様? どうされました、眠いですか?」

「少し……でも、大丈夫です、から」


 言いながらも瞼の重さを感じて、晏珠は焦る。確かに強い酒だが、そんなに大量に飲んではいないはずなのに。少なからず緊張していたせいで、場に呑まれたのかもしれない。


「ああ、いけません。ご無理をなさらず。私が寝所までお連れしましょう」

「……いえ、結構、です」


 伸びてくる手を払おうとしたが、力が抜けて叶わない。

 手首を掴まれて、肩に手が回る。吐息がかかるほど、文達の顔が近い。ぞわりと背筋が冷える。

 やめて、言いたいのに口が上手く回らなかった。鳴鈴は、なぜ文達を止めてくれないのだろう。


 ぼんやりと霞み始めた視界に、眠りこけた鳥番の姿が映る。静牙。お願い、起きてよ。目を覚まして。



 ――起きて、静牙!



 瞬間、静牙の目がかっと開いた。

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