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神の小鳥は遅れて集う  作者: 糸尾 文
3 深まる夜長
23/75

3-3

 女官に酒肴の用意を頼み、晏珠たちは応接の間で待つことになった。全員が席に落ち着くと、鳴鈴が「ところで」と切り出す。


「泉玉は、いつ後宮に入るのかしら?」


 にこやかな笑顔から発せられた言葉に、泉玉がむせ返る。晏珠は慌てて背中をさすった。


「……鳴鈴、あなたがそれを聞く?」

「だって気になるもの。純粋な好奇心よ」

「あのねぇ……あなたの立場でそれは無理があるでしょう、流石に」


 やれやれと肩をすくめた泉玉は、「まだ決まってないわ」と答えた。


「どうして? 王太子殿下からは催促されているのでしょう?」

「それはそうだけど、こっちにも色々あるのよ。あなたはお姉様のことがあるから気になるんでしょうけど……」

「お姉様?」


 晏珠が首を傾げると、鳴鈴が説明してくれた。


「私の姉の彩鈴(さいりん)は、王太子殿下の側室として既に後宮に入っておりますの」

「側室……ですか」

「もちろん、我が家としては正妃の地位を望んでいましたけどね。残念ながら、叶いませんでしたから」


 含みのある言い方に泉玉が顔をしかめる。なるほど、同じ五名家の中でも権力争いというものはやはり存在するらしい。将来の王妃がどの家の出身なのかは大変重要なことなのだろう。晏珠のような庶民には理解できない世界だ。


「……鳴鈴、あなたそれを聞きたくてここに来たの?」

「それもありますわ。確かに、調家としてはあなたの動向は気になるところですし」


 あっさりと認めた鳴鈴は、笑顔を崩さないまま続けた。


「でも、王太子殿下が昔からあなたにご執心なことは、貴族なら皆知っているわよ。もちろん姉だってそう。分かっていて嫁いでいったの。だから正妃だの側室だのと今更言うつもりはないのよ。それに……」

「それに?」

「子供が産まれたら、また状況は変わりますもの」


 側室であっても、跡取りを産めば逆転は可能。王妃になれなくても、権力は握れる、ということか。

 理屈は分かるが、それを本人の前で明け透けに言う強かさに晏珠は顔を引きつらせる。が、泉玉は特に気にした様子もなく「まあそうね」と鷹揚に肯定した。


「彩鈴様は殿下より年上だし、先に子供が産まれてもおかしくはないわ。それならそれでいいのよ、私は。別に争いたいわけじゃないもの。あなたの方こそ、どうなのよ」

「わたくし?」

「ええ。調家の次女なら引く手数多でしょうに。私が御鳥児を引退する頃には、とっくにお相手が決まってるだろうと思ってたわ」


 泉玉の切り返しに、鳴鈴は「そうね」と答えた。


「わたくしも今年で20ですから。父も母も気を揉んでいるわ。でもね、わたくしは……ずっとお慕いしている方がおりますの」

「えっ、そうだったの?!」


 初耳だったらしい泉玉が身を乗り出すと、鳴鈴はほう、と憂いを込めた息を吐き出した。


「ええ。でも、事情があってね。今はまだ縁談の申し入れができないのよ、断られることが分かっているから」

「調家からの縁談を断るってとんでもない強者ね……誰なのかしら。気になるわ」

「ふふ、まだ内緒よ。噂になったら恥ずかしいもの。でも、まあ、そのうち分かるわ」


 鳴鈴が意味ありげに笑ったところに、女官たちが酒肴を持って現れた。

 美しい陶器から、各々の盃に酒が注がれる。配膳が終わると鳴鈴は女官を退室させた。ごく少人数の身内の歓談なので給仕は不要だ、ということらしい。


「では、頂きましょう。皆様」


 鳴鈴の音頭で、ささやかな宴が始まる。

 晏珠が早速酒を口に含んでみると、香り高く深い味わいが舌に広がった。流石は五名家筆頭である調家が取り寄せた酒だ。一口飲んだだけで高級なものだと分かる。度数もかなり強い方だろう。


「如何ですか、晏珠様? お味は」

「……大変美味です。ありがとうございます、素晴らしいものを頂戴しまして」 

「気に入っていただけたのなら何よりだわ。さあ、どんどんお飲みになって」


 鳴鈴は「文達、晏珠様にお酒を注いで差し上げて」と従者に命じる。少し離れた場所で控えていた青年がすっと現れ、晏珠に会釈した。


「失礼します。晏珠様」

「あ、いえ、大丈夫です。自分でやりますので」

「まさか。御鳥児に手酌などさせられません。さあ、どうぞ」


 柔らかな声と表情だが、有無を言わせない空気に晏珠は「では……」と盃を差し出す。青年――文達は人好きのする笑顔を浮かべて酒を注いでくれた。

 本当に美味しい。芳醇で、ゆっくり味わって飲みたいお酒だ。

 至福の時間を過ごす晏珠に、文達が話しかけてきた。


「本当に美味しそうに飲まれますね、晏珠様」

「えっ? す、すみません」

「とんでもない。実はその酒は、私の故郷――露州産のものでして。鳴鈴様に是非にとお勧めしたのも私なのです。喜んで頂けて本当に嬉しいですよ」

「露州……そうですか。あそこは良いお酒を造られることで有名ですね」


 晏珠の店でも露州産の酒はいくつも取り扱っていた。多分水が良いのだろう、とは父の談だが、確かに質の良い酒が沢山ある地域だ。

 晏珠の答えが嬉しかったらしく、文達は破顔した。


「ご存知でしたか、流石ですね。さあ、もう一杯どうぞ。甘くて飲みやすいでしょう?」

「ええ、ありがとうございます」


 上機嫌で盃を傾けると、それまで黙っていた静牙がおもむろに口を挟んできた。


「――晏珠。あまり飲み過ぎるなよ」

「わ、分かってるわよ。程々にしてるわ」

「その割にはいつもより飲むのが速いぞ。いくら君が酒に慣れていても……」


 延々と続きそうな話を、鳴鈴の高い声が遮った。


「まあ、静牙様ったら、一口も飲んでいらっしゃらないのですか?」

「め、鳴鈴。兄様はその、あまりお酒は嗜まないのよ」

「でも、口を付けるくらいは……」


 泉玉が妙に慌てた口調で止めるが、鳴鈴は悲しげに首を傾ける。


「いや……すまない、俺はその、酒と相性が悪くて」

「ああ、なるほど、弱いってことですね!」


 文達のあっけらかんとした言葉が部屋に響き、空気が凍った。


「それは体質ですから仕方ないですよ。弱いのならご無理をなさらない方が……」

「……弱くはない。相性が悪いだけだ。一口くらいは飲める」

「ちょっと、静牙?」

「何を張り合ってるの、兄様! 落ち着いて!」


 もはや意地になっているようにしか見えない。晏珠や泉玉の制止にも関わらず、静牙は盃を一気に煽り、わずかに顔をしかめた。


「……甘いな」


 それだけ言って、静牙の身体がゆらりと傾く。そのまま、床にばったりと倒れてしまった。

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