2-8
お礼を言って清風宮に戻っていく二人を、晏珠は静牙と共に見送った。これで晴れて仲良く、とまでは行かずとも、少なくともわだかまりは解けただろう。
「……すれ違うことも、あるわよね。まだ若いんだし」
何やら年寄りじみた台詞になってしまったが、静牙は「そうだな」と応じてくれた。
御鳥児と鳥番という運命的な結びつきがあるとはいえ、生まれも育ちも違えば、価値観の不一致が起こるのは当然といえば当然だ。晏珠から見れば微笑ましくもあるが、当人たちにとっては深刻だろう。
「でも、あんなに環境が違うのによく出会えたわね、あの二人」
「ああ、それは『鳥呼び唄』を歌ったからだ」
「――鳥呼び唄?」
聞き慣れない言葉に目を瞬かせると、静牙が説明してくれた。
「鳥番は、御鳥児の近くにいる男が選ばれることが多い。今の花鴒と鳥番は幼馴染だと聞いているし、泉玉と王太子殿下も、恐れ多いがそれに近い」
「そうなのね」
「鳥番自身には徴が何もない。御鳥児の徴が光って初めて分かる。もし、周辺に誰も該当者がいない場合は、何処にいるのか分からない」
その時に御鳥児が歌うのが、「鳥呼び唄」と呼ばれる曲だと静牙は言う。
「鳥番に呼びかける歌ってこと? でも、遠くにいるかもしれないのに」
「ああ。鳥呼び唄は、鳥番が国の何処にいても聞こえると言われている。風鴒……あの娘も天聴宮で鳥呼び唄を歌って、それを聞いた柳星が宮まで来たんだ。歌が聞こえると言うよりは、文字通り呼ばれているような感覚になるらしいな」
「そんなことがあるのね……」
人の声が届く範囲には当然限界がある。御鳥児は総じて歌は上手いのでよく声は通るが、それでも国の隅々まで届くなんてことは有り得ない。これも天主様の力なのだろうか。
「じゃあ、私がその歌を歌ったら、静牙は何処にいても聞こえるのね」
「そうなるな」
「……不思議ね。御鳥児と鳥番の繋がりって」
しみじみと呟くと、静牙は晏珠の方を向いて言った。
「それにしても、さっきはよく分かったな。柳星が近くにいると」
「え、そう?」
晏珠からすれば、特別不思議なことではない。鳥番ならそうするだろうと思っただけである。要するに。
「あなたなら、そうするだろうなって」
「……俺が?」
「そう。静牙なら、私がどんなに怒って付いてくるなって言っても、役目はきちんと果たすでしょう?」
柳星とはほとんど会話したことがなく、彼の性格を熟知しているわけではないが、翠芳に対してあまり丁寧に接している印象はなかった。彼女が宮を飛び出しても、追い掛けるかどうかまでは分からなかっただろう――彼が、鳥番でなければ。
だが、どんなに育ちが違っても。彼は翠芳の唯一の鳥番なのだ。
「柳星はもう何年も鳥番を務めてるんでしょ。それなら、本能的に翠芳から目は離さないだろうって」
「……そうか」
「まあ、多少賭けではあったけどね。当たって良かったわ」
肩をすくめた晏珠をまじまじと見下ろし、静牙は呟いた。
「君は、すごいな」
「え、いきなり何?」
「まだ御鳥児になって間もないのに、ああして話を聞いて……風鴒の悩みを解消してみせた」
「やだ、そんなの大したことじゃないわよ」
何を言うかと思えば。晏珠はひらひらと手を振って笑う。
「これでも酒楼で接客業やってきた身だもの。人の愚痴や悩みを聞くのは慣れてるわ。それに、解決したのは私じゃない。あの子たち自身よ」
酒楼には日々の鬱憤を解消するために飲みに来る人が多いし、酔って悩みをぽろりと零す人もいる。もう随分前に亡くした娘を偲んで泣く、沃徳のような男もいる。父も晏珠も、そういう客にいつも付き合って、彼らの話に耳を傾けてきた。
「どんな問題も、解決できるのは本人たちだけでしょ。話を聞いた上で少しだけ助言したり、背中を押したりはするけどね」
当事者でない上に片方からの話しか聞いていない以上、どちらが正しいと判断できるような立場ではない。自分たちにできるのは、否定せずに話を聞くことだけだ。父の姿を見て、晏珠は自然とそれを学んできた。
「そもそも、解決できない問題だってたくさんあるわ。でも、誰かに気持ちを受け入れてもらえたと思うだけで、前に進めることってあるじゃない」
「……受け入れてもらえた、か」
「そう。静牙はない? そういう経験」
尋ねると、静牙は「どうだろうな」と首をひねった。
「悩みがないわけじゃないが、それを誰かに話そうと思ったことはあまりないな」
「そういう人こそ、酔うと箍が外れたりするものよ。そういえば、あなたはお酒は飲まないの?」
「酒は……そうだな。そんなに飲む方では、ない」
若干口ごもったところを見ると、あまり酒に強くない方なのかもしれない。それなら晏珠としても強く勧めるつもりはない。あの美味しさが分からないのは勿体ないとは思うが、体質ばかりは如何ともし難いのだ。
「そう。じゃ、仕方ないわね。でも、飲んでなくても愚痴くらい言ってくれていいのよ、別に」
「……男なのに情けない、とは思わないのか」
「思わないわよ。そりゃ、毎日文句ばかりだと嫌になるかもしれないけど。たまにはいいじゃない」
静牙が毎日のように愚痴を言う性格なら、そもそもこんな提案はしていない。
生真面目な鳥番はしばらく考えを巡らせているようだったが、やがて落ち着いた声で答えた。
「分かった。その代わり、君も言ってくれ」
「え、私?」
「一人で抱え込むなと、風鴒にも言っていただろう。そのために鳥番がいる、と」
真剣な眼差しが、晏珠を射抜く。
「鳥番は時に、御鳥児を傷つける存在になる。だから、俺はあまり君に近づかない方がいいと思っていた。もちろん側にはいるが、陰で守っているのが一番いいと」
「そう……」
「だが、君と柳星の言葉を聞いて……考えさせられた」
――私たちには、鳥番がいるでしょう?
――お前の味方だ。最後まで、何があろうと。
「話をするのは得意ではないが、聞くことならできる。困ったり、悩んだりしたら、話してほしい」
「静牙」
「柳星の真似になってしまうが……君も、忘れないでくれ。君が呼んだら、俺は何処からでも助けに行く」
いつになく熱がこもった視線と言い方に、一瞬胸が詰まる。
狼狽を悟られまいと、晏珠は慌てて答えた。
「分かったわ。何かあったらちゃんと言うから」
「よし。約束だ」
静牙の唇がゆるく弧を描く。あまり表情の動かない彼が見せた柔らかな笑顔に、晏珠は急いで顔を反らした。
「……天然でこれって、狡くない?」
「何か言ったか?」
「いいえ何も。それより、私たちも戻りましょ」
普段との印象が違いすぎて戸惑っただけだ。そうに決まっている。
早足で陽光宮に向かいながら、晏珠は顔の熱をつとめて意識の外に追い出した。




