2-7
突然の呼びかけに、翠芳が目を丸くする。が、返事はどこからも返ってこなかった。
晏珠は一つ息をつく。まぁ、これは想定内だ。気を取り直して、別の名を呼ぶ。
「静牙。いるわよね」
「ああ」
こちらは即座に反応があった。自分と翠芳の会話の邪魔をしないようにと思ったのだろう、見えない場所に控えていたのは分かっていた。
「柳星をここに連れてきて」
「承知した」
短い返事の直後、「ちょっ、何すんだよ! 離せ!!」と威勢のよい声が聞こえた。
斜め前の茂みががさがさと音を立て、二人の鳥番の姿が現れる。柳星は静牙に首根っこを掴まれて喚いていたが、身長でも力でも敵わないと見えて、ずるずると晏珠たちの前まで引きずられてくる。
「おま、さっきまで黙って一緒に隠れてたじゃねーか!! 一体誰の味方なんだよ!!」
「愚問だな。俺は、俺の御鳥児の味方だ」
――お前はそうじゃないのか、柳星。
静牙に問われ、柳星はぐっと詰まった。翠芳をちらりと見て頭を掻き、不貞腐れたような表情を浮かべる。
「……悪かったな。言葉が足りてなくて」
「柳星、どうしてここに……付いてこないでって、言ったのは私なのに」
「あ? どうしてってお前、決まってるだろうが。おれはお前の鳥番だぞ」
――お前を守るのは、おれの役目だろ。
翠芳の疑問に、柳星は当然のように言い切る。晏珠は苦笑した。
この少年は口は悪いが、決して翠芳をぞんざいに扱っているわけではない。喧嘩をしようが口論になろうが、たとえ付いてくるなと言われようが。彼女の側を離れることはしないのだ。
「……そいつの言った通りだよ。お前、寝る時間削ってまで練習してっから。やり過ぎだろ。ちゃんと休め、って言ったつもりだった」
決まり悪そうに白状する柳星に、翠芳は首を振った。
「ううん。私の方こそ、ごめんなさい。あなたは導きの儀なんてどうでもいいって思ってるのかと……勘違いしてたわ」
「堅苦しいのは確かに好きじゃねーよ。でも、だからって、どうでもいいとも思ってねえ」
やっと静牙から開放された柳星は、翠芳の前にやって来て膝を付いた。翠芳の首元の徴が、淡く光を帯びる。
「前に言ったけどな、おれもお前と同じ孤児だ。両親を亡くして、猟師のじじいに育てられた」
「ええ、聞いてるわ」
「そのじじいが言うには、おれの両親は山津波に呑まれて死んだらしい」
翠芳が息を呑んだ。どうやら、初めて聞いた話らしい。
「山津波……それじゃあ」
「ああ。お前が必死に抑えようとしてる、天災の一つだよな。でもな、じじいはおれに言うんだ」
――いいか、柳星。天を恨むなよ。
「……自分の息子夫婦を亡くして、じじいが悲しくなかったはずがないだろ。おれだって同じだ。でも、恨むなって言うんだよな」
「そんな、どうして……」
「猟師は、天の恵みで生かされてるって自覚があるからだ」
柳星の言葉には迷いがない。彼は彼でちゃんと信念を持っているし、考えてもいるのだ。
「山津波の後、天を鎮めるために御鳥児が村に来たんだと。犠牲者にも深く祈りを捧げてくれた。ありがてえこった、ってじじいは言ってた」
「恨んでいなかったの? あなたの両親を、助けられなかったのに……?」
「ああ。おれもそう言った。防げもしねえのに祈る意味があんのか、って。そしたら、拳骨を喰らった」
――防げねえから、祈るんだろうが。この馬鹿が。
「……その時は意味が分からなかったんだけどな。今なら少しは、分かる気がする」
「柳星……」
「祈るってのは、こう、なんかの効果を期待するってんじゃなくて。祈るってこと自体に意味があるんだろ。うまく言えねえけど……お前や他の御鳥児を見てると、そんな気がする」
言葉を選びながら慎重に話す柳星に、晏珠は内心舌を巻いた。一見粗野な印象を受けるが、流石は鳥番に選ばれた少年だ。物事の本質をきちんと捉えている。根が素直なのだろう。
「だから、導きの儀を軽く見てるつもりはねえ。お前がすげえ練習してるのも知ってるし。けど、やれるだけのことをやったら、あとは天主様とやらに任せるしかねーだろ」
「天主様とやらって、またそんな言い方して……。でも、そうよね。私、自惚れていたのかもしれない」
翠芳は力が抜けたように笑った。
「私は天主様じゃないんだもの。歌ですべての天災を防げるなんて、思い上がりだわ。できることをして……後は、結果を待つしかないのね」
結果を待つしかない、というのはある意味怖いことでもある。どんな結果になろうと引き受ける覚悟を持たなければならないからだ。
柳星の祖父のような出来た人間ばかりではない。もし天災で甚大な被害が出たら、御鳥児に恨みをぶつけてくる人も中にはいるだろう。過去に御鳥児が責任を取って殺されていたのも、そういう負の感情を御鳥児が一手に引き受けていたせいだ。
だが、命を捧げずとも、悲しみに寄り添うことはできる。そしてそれは、一人で引き受けなくてもいい。
「それでもなんか言ってくる奴がいたら、おれに言え。自分だったらできんのかって、言ってやる」
「柳星」
「忘れんなよ、翠芳。おれはお前が無茶してたら怒る。けど……お前の、味方だ」
――最後まで。何があろうと。
きっぱりと断言した柳星に、翠芳がありがとう、と頷く。その表情は明るく、笑顔は年相応にあどけなかった。
晏珠はほっとして、静牙に笑みを向ける。静牙もまた、わずかに口元を緩めて頷き返してきた。




