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神の小鳥は遅れて集う  作者: 糸尾 文
2 立秋の憂い
17/75

2-6

 晏珠の言葉に、翠芳は涙を溜めた目を忙しく瞬かせた。


「子供の頃に……好きだった歌?」

「ええ。孤児院の養母さんは元御鳥児だったのでしょう? それなら、歌もいろいろ教わったんじゃない?」


 問われて、翠芳はしばらく黙って空を見上げた。


「それは……はい。貞霞様は歌がお好きな方でした」

「そうでしょう。その中で、あなたが特に好きだった歌は何? 思い出してみて」


 孤児院という環境を晏珠は知らない。想像することしかできない。だが、幼い子供たちが集まっているなら、養母は歌で子供たちを慈しみ、愛おしんでいたのではないか。

 翠芳は時折目元を拭いながら暫し考えていたが、やがて小声で呟いた。


「一番、かどうかは分かりませんが、思い出に残っている歌なら、あります」

「なんていう歌?」

「……『虹が出るまで』という歌です」


 ああ、と晏珠は笑って頷いた。


「知ってるわ。有名な童謡よね」

「はい。恥ずかしいんですが、私は子供の頃、すごく怖がりで……特に、雷が大の苦手だったんです。雷が近づくと、布団に潜って震えていました」


 空を切り裂く鋭い稲光。どんどん近づいてくる轟音。怯えて縮こまっていた翠芳を、養母の貞霞は優しく抱きしめ、歌を歌ってくれたという。


「強がっていた他の子たちも、それを聞くと貞霞様の膝に乗ってきたり、服にしがみついたりして……皆で、嵐が過ぎるのを待っていました」

「そう。とても優しい方だったのね」


 翠芳は頷いて、囁くように歌い始めた。



 ――虹が出るまで いっしょに待つよ

 ――お空の涙が 終わるときまで……

 


 晏珠は続きを受け継いだ。懐かしい。子供の頃、母から教わった歌の一つだ。子供でも歌える、やさしい旋律と歌詞。もちろん今でも歌える。



 ――しおれたお花は ふたたび咲いて

 ――朝になったら おひさま昇る……



 翠芳の表情が少し和らいだ。

 そこから先は、二人で一緒に歌う。



 ――泣いてもいいよ 怒っていいよ

 ――虹が出るまで いっしょにいるよ……



 歌い終えた翠芳はほう、と息を吐き出した。涙は止まったようだ。

 少し落ち着くのを待って、晏珠は静かに尋ねた。


「翠芳。もし、あなたが貞霞様と同じ立場で、子供たちにこの歌を歌ってあげるとしたら……何を考えて歌う?」

「私が、子供たちに、ですか?」

「そう。外は雷鳴が鳴り響いてる。怯える子供たちが周りにいて、その子たちは不安そうにあなたを見てる。そんな光景を想像してみて」


 晏珠に子供はいないが、想像することはできる。雷に怯える幼子たちを抱きしめ、膝に乗せて、頭を撫でながら。養母の貞霞が何を考えていたのか。


「私なら……そうですね。ただただ、怖がる子供たちの心が安らぐように。祈ります」


 ぽつりと零した翠芳に、晏珠は「そうよね」と微笑みを向ける。


「音程や抑揚は、もちろん大事だわ。それがあってこその歌だもの。自然に歌いこなせるようになるまで、練習が必要なのは間違いない」


 でもね、と晏珠は続けた。


「技術は、伝えたい気持ちがあってこそ生きてくる。そうじゃない?」


 上手く歌わなければ。音を外してはいけない。調子も、抑揚も、すべてきちんと整えなければ。そう思い詰めれば思い詰めるほど、体も喉も硬くなり、伸びやかさが失われる。そして、子供たちは歌い手の緊張を敏感に感じ取るだろう。

 大切なのは、相手を思う気持ちの方だ。いくら技術が完璧でも、それだけではきっと、子供たちは安心できない。

 晏珠の言葉を受けて、翠芳は困惑した表情を浮かべた。


「それは、そうですが……でも、この歌はただの童謡で、導きの歌ではないでしょう。天主様は子供たちとは違いますし」

「そうかしら。私は、そんなに違わないと思うの」


 まだ導きの儀を経験したことのない自分が言うのはおこがましいかもしれない。お前は分かっていない、と言われても仕方ないかもしれない。けれど。


「天主様の御心が安らぐように。大きな災害が起こることがないように、ってお祈りするあなたと。怯える子供たちを慰めて、安心させようと歌った貞霞様と。私は、とてもよく似てると思う」

「……そう、でしょうか」

「技術的な部分については、あなたはもう十分出来ているのよ。それだけ練習しているんだもの。あとは気持ちを込めればいいだけ――柳星が言いたかったのも、多分そういうことだと思うわ。全く言葉が足りていないけどね」


 ――お前の歌は十分上手い。だから、そんなに自分を追い詰めるな。

 本来、彼はそう言うべきだったのだ。


「導きの儀が大事なのは、彼も分かっているわよ。でも、儀式以上に、あなたのことが大事なんじゃないかしら」

「え、私が?」

「そう。無理をしてほしくないのよ、きっと」


 翠芳が気を張って練習を重ねているのを一番知っているのは、鳥番の彼だ。だからこそ、言葉もきつくなってしまったのかもしれない。

 翠芳が思い詰めて倒れてしまったら、それこそ大変なことだ。秋の導きの儀を行えるのは、風鴒である彼女しかいないのだから。御鳥児の役目はあまりに重く、代わりはいない。

 その重圧は、まだ御鳥児になったばかりの晏珠にも痛いほど分かる。責任感が強くまだ若い翠芳には、尚更だろう。だが。


「翠芳、忘れないで。あなたは一人じゃない」

「ひとり、じゃない……」

「御鳥児の責任は重いけど、あなたが一人で背負わなくてもいいの。私で良ければいつでも話は聞くし、何より……私たちには『鳥番』がいるでしょう?」


 御鳥児を守り、共に役目を果たし、道を踏み外したら正すことができる、唯一の存在。

 ただの護衛なら、他の人でもできる。それなのに、鳥番が選ばれる理由は、重い責任を担う御鳥児を孤独な存在にしないためではないか。天主様は、そのために鳥番という存在を創ったのではないだろうか。もちろん、これは晏珠の推測でしかないが。


 翠芳の頬をまた新たな涙が伝う。だが、表情は先程の悲痛なものとは異なり、どこか目が覚めたようにすっきりしていた。


「私……戻らなきゃ。柳星に、謝りたい」

「大丈夫よ、それには及ばないわ」

「えっ?」


 目を丸くした翠芳に笑い、晏珠は声を張り上げた。


「柳星、いるんでしょう。いい加減に出てきたら?」

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