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神の小鳥は遅れて集う  作者: 糸尾 文
2 立秋の憂い
14/75

2-3

 秋の気配が少しずつ近づいてきた。

 その日、晏珠は朝のお祈りと食事を終え、渡殿から外を眺めていた。まだまだ暑いが、真夏のじめじめとした湿気は徐々に減り、風も涼しくなりつつある。季節が移り変わる時期に入ってきたのだ。




 泉玉は最終的に10日ほど陽光宮に滞在してくれたが、今は奏家に戻っている。王太子の燕月の求婚を受けて、後宮に入る準備を始めるのだそうだ。もっとも、泉玉自身はいまだに気が進まないようで、何度もため息を零していた。


「絶対に嫌とまでは言わないのよ、私も。でもね、殿下が私に拘るのは理由があるの」

「理由?」

「そう。これよ」


 言って泉玉が見せてくれたのは、左腕に走る古い傷跡だった。なんと、幼い頃に燕月を庇ってできた傷だという。


「もう10年くらい前のことなんだけど。たまたま私と一緒にいた時に、殿下が刺客に襲われてね」


 五名家の娘であり燕月とも年が近かった泉玉は、幼い頃から妃候補と目されていて、たびたび燕月と引き合わされて遊び相手になっていたという。王太子は当時から大層悪戯好きで、虫を服に入れるわ落とし穴を仕掛けてくるわ、それはもう苦労したわよ、と泉玉は遠い目をして語った。


 そんな子供であっても、やはり王太子である。刺客に狙われた時、泉玉は咄嗟に前に出て彼を庇った。体が勝手に動いた、という。


「顔を左手で庇ったせいで、刺客に腕を切りつけられちゃったの。幸いそこまで深くはなかったし、今は痛くもなんともないわ」

「でも、跡は残ってる」

「そう。殿下もそれを気にしたんでしょうね。以後、私を正妃にするって言い始めたのよ。他に年の近い貴族の娘はたくさんいるのに、誰が何を言っても受け付けないの。もう決めた、って言い張って」


 自分のせいで傷物になってしまった以上は責任を取る、ということか。少なくとも泉玉はそう思っているようだ。

 しかし、晏珠から見ればあの王太子がそこまで殊勝な性格をしているようには見えない。怪我をさせたことへの負い目が無いとは言わないが、今となってはむしろ良い口実くらいに思っていそうだ。


「じゃあ、側室も取らないの? 王太子なのに?」

「まさか。側室はむしろ積極的に迎えてるわよ。身分の良い、お綺麗な方々が既に何人もおられるわ」

「げっ……何それ。それで正妃の座は開けて待ってるから来い、って? 王族の感覚って本当、よく分からないわね」


 王太子という立場である以上、側室の存在自体はやむを得ないのだろう。燕月には他に兄弟もいない。正妃に万が一子供が出来なかったら、次の王位継承に当たって間違いなく紛糾する。燕月がいくら自由人であっても、そこまで拒むのは難しいのかもしれない。


 だが、庶民である晏珠から見れば理解できかねる世界だ。既に側室が何人もいる中に、正妃として嫁いでいくのは相当な覚悟が必要だろう。女の熾烈な争いに巻き込まれることも十分に考えられるのに、あの王太子はそれさえも面白がりそうで質が悪い。泉玉が渋い顔をするのは当然に思える。


「と言うか、あの人鳥番だったんでしょう? 御鳥児は清らかな体が要求されるのに、鳥番は妻帯が許されるの?」

「鳥番に関しては未婚という縛りはないの。とは言っても、実際にしている人はほとんどいないわ。まだ若い子ばかりだし、鳥番は基本、御鳥児と生活を共にしてるから。あの人が特殊なのよ」


 それはそうかもしれない。鳥番には年齢の決まりもないが、大体は御鳥児と同年代がほとんだという。今の鳥番たちも、静牙を除けば皆10代の少年ばかりだ。


 そういえば、晏珠はふと思い至った。静牙はどうなのだろうか。今年28になると言うが、名門の奏家の長男である。結婚はしていないと聞いているが、相手くらいは決まっているのではないのか。

 今、静牙は外で、家からの遣いを待っている。少しばかり声量を落として、晏珠は泉玉に聞いてみた。


「……ねえ、泉玉。静牙に婚約者はいないの?」

「それが、全然その気がないのよね」


 妹としては心配なんだけど、と泉玉は憂い顔になった。


「話が全く来ないわけじゃないのよ。うちは曲がりなりにも五名家の一角だし。でも、全部断ってしまうの。兄様本人が」

「ええ? それはまた、どうして」

「王太子殿下の近衛である以上、殿下のためにいつでも命を投げ出せる覚悟をしているから、って。要するに、妻を娶ってもその人を第一にはできなくて、悲しい思いをさせてしまうかもしれないから、ってことらしいんだけどね」


 いかにも静牙らしい考えだ、と晏珠は思う。彼自身、あまり器用な性格ではないことを自覚しているのだろう。


「でも、だからって一生一人ってわけにはいかないでしょうに」

「父も母もそう言って気を揉んでるんだけどね。いざとなったらもう、養子を迎えるしかないかって覚悟はしてるみたい。それに、今回、鳥番に選ばれたでしょう?」

「あー……なんか、そう聞くと居た堪れないわね」


 自分も人のことは言えないが、貴族の跡取りである静牙とは重みが違う。

 25で御鳥児に選出された自分が、何年役目を務めることになるのかは分からないが。通常なら五年程度と考えると、終えた頃には30だ。静牙も33になっている計算になる。二人とも、いわゆる適齢期からは相当外れるのは間違いない。


 王太子の近衛であることにそれほど責任を感じていた彼のことだ。鳥番となると、余計にその考えが強化されるだろう。御鳥児を守るべき立場だから妻は取らない、と。自分のせいではないにせよ、彼を今から何年も鳥番として拘束することに妙な罪悪感を覚えてしまう。

 晏珠の様子を見て、泉玉が「とんでもない」と慌てて手を振った。


「晏珠が気にすることじゃないのよ。これは兄様自身の性格の問題だし、鳥番に選ばれていなくても多分同じだったと思うわ」

「そうかしら……」

「そうよ。それに、兄様は鳥番のお役目を嫌がってるわけでは全くないの。近衛にしろ鳥番にしろ、それが兄様の生きがいなら、妹としてはそれでいいと思うわ。できれば気の合う『お義姉様』は欲しいけどね。晏珠みたいな」

「あはは、まさか!」


 静牙と自分がどうにかなることなど有り得ない。有り得ないが、泉玉みたいな妹なら、晏珠としても是非とも欲しいところだ。


 その後、遣いの者が到着し、泉玉は家に戻っていった。また定期的に遊びに来るわね、と言い置いて。

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