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床に散らばった剣や槍を背にして、静牙が膝を付いた。
「陛下、ご覧の通りです。この者を御鳥児と認めていただくのに、不足はないかと存じますが」
「うむ。確かにな。……朱角よ、まだ何か申すことはあるか?」
王の問いかけに、神官長は数秒沈黙したが、「いえ」と短く答える。
「陛下がそう仰るのでしたら、異存はございません」
「よし。では、この娘――杜晏珠を新たな御鳥児に任命する」
呆然と座り込んでいた晏珠は、慌てて姿勢を正し、再び頭を深く下げた。
「つ、謹んで拝命いたします」
「そして、鳥番として奏静牙を任命する。以後、御鳥児の番人として務めを果たすように」
「はっ。承知致しました」
静牙もまた、隣で恭しく頭を垂れた。
王と王妃が退出し、神官や官吏たちも後に付いて出て行く。室内の緊張感が幾分和らいで、晏珠はやっと楽に呼吸ができるようになった。全く、なんて日だろう。今になって体が震えてきそうだ。
その場に残っていた王太子の燕月が、明るく口を開く。
「よし、じゃあ次は引継ぎだな。静牙、晏珠を陽光宮に連れて行くぞ」
「ようこうきゅう?」
聞きなれない単語に首を傾けた晏珠に、静牙が説明した。
「夏の御鳥児、光鴒が生活する離宮のことだ。春の御鳥児がいるのは慶花宮、秋の御鳥児は清風宮、冬の御鳥児は輝雪宮と呼ばれている」
「じゃあ、今はあなたの妹さんがその、陽光宮にいるの?」
「ああ、予定より長引いたからな。待ちくたびれているかもしれない。……大丈夫か、晏珠? 立てるか?」
差し伸べられた手を取って、晏珠はよろめきつつも何とか立ち上がる。
「……二度とごめんだわ、あんな体験」
「そうか? 貴重な体験だろう。兵士たちから蜂の巣にされるのなんて、一生に一度経験できるかできないかだぞ」
「ええそうね、一度経験したらそこで一生が終了するでしょうよ、普通は!」
晏珠は思い切り毒づいたが、言い返された王太子は能天気にけらけらと笑っている。この男、頭の回転が速く見目こそ麗しいが、相当癖の強い人物のようだ。先が思いやられる。
本日何度目かの深いため息を吐き、晏珠は震える足を叱咤して歩き出した。
御鳥児たちが住まう離宮は、王宮の一番奥にあった。
広い庭園を抜けた先に、五つの宮が渡殿で連なっている。中央にあるひときわ大きな建物は天聴宮と呼ばれ、特に重要な儀式を行う時に使われるという。その周りにある四つの宮が、御鳥児と鳥番の生活の場になっているようだった。
神官たちはどこにいるのかと聞けば、彼らは全く別の宮にいるらしい。儀式の時や特別な用がある時はこちらに来るが、それ以外は他の官吏と同様、表の建物で仕事をしているのが常だという。身の回りの世話は特別に選ばれた女官が行うようだった。
一応、御鳥児の管理も仕事のうちではあるので、外からの来客や贈り物は一旦神官が確認してから通される。驚くことに飲酒も節度を守れば許可されているという。これは晏珠にとっては数少ない朗報だった。もっとも、年若い少女が多いので、あまり酒を嗜む御鳥児はいないのかもしれないが。
夏の御鳥児が住まうという陽光宮は南東にあり、近づくと一人の女性が扉の前に立って待っていた。あれが前任者である静牙の妹だろうか。
晏珠が目を細めると、女性がこちらに気づいてぱっと顔を輝かせて「兄様!」と叫んだ。静牙が軽く手を上げ、「泉玉」と返す。
「すまない。待たせたな」
「本当よ。何かあったの? 本殿の方が騒がしかったけれど……」
「ああ、それはおいおい話す。とにかく、紹介しよう。こちらが次の光鴒――晏珠だ」
静牙に促され、晏珠は頭を下げた。
「杜晏珠と申します。このたびはご指導の程、よろしくお願い申し上げます」
泉玉と呼ばれた女性は快活に笑い、「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」と言った。高く結った髪が揺れる。まさに初夏に煌めく陽光のような、明るく爽やかな印象を与える女性だ。
やはり胸元の開いた服は着ているが、晏珠のそれよりも格段に動きやすそうな身なりである。首元の徴はかすかに残ってはいるものの、ほとんど消えて見えない状態だった。
「お初にお目にかかります。私は奏泉玉。六年間御鳥児を務めまして、今年で21になります。そこの奏静牙の妹に当たります」
「泉玉様。私は、その」
「大丈夫、あなたの年齢のことでしたら、聞いています」
泉玉は微笑み、晏珠の手をそっと握る。
「さぞかし悩まれたことでしょう。けれど、この徴が出ている以上、あなたが御鳥児であることを疑う余地はありません。堂々となさってくださいませ」
「……そうでしょうか」
「そうですとも。ねえ、兄様」
「ああ、そうだな」
頷き合う兄妹に、燕月が面白くなさげに口を挟んだ。
「おい、泉玉。俺に挨拶はなしか」
「あら、殿下。おられたのですね、失礼いたしました」
「白々しいな、まったく。それより、早く光鴒の引継ぎをしろ」
「あなたに言われなくてもそうします。さあ、お入りになって。王宮で何があったかも聞かせてくださいね」
王太子に対して随分と雑な扱いをするものである。いや、晏珠自身も大概無礼な自覚はあるので、人のことは言えないのだが。
静牙がやれやれと肩を落とした。
「……泉玉、殿下に無礼な振る舞いはやめろといつも言っているだろう」
「今更何を仰るの、兄様。いいのよ、昔からこの人、調子に乗るとろくなことをしないんだもの」
「そういう問題ではなくてだな。臣下の礼というものがあるだろう」
「ご心配なく、外ではきちんとしていますから。ご存じでしょう?」
泉玉はにっこりと笑って中に入っていった。燕月はと言うと、つれない態度に怒る様子もなく、むしろ喜色満面で後を付いて行く。
五名家のお嬢様となれば王族との交流も子供の頃からあったのかもしれないが、それにしてもかなり気安い仲のようだ。泉玉の方は鬱陶しがっているふしがあるが、燕月はむしろ構って楽しんでいるように見える。これは、もしや。
「……静牙。王太子殿下がここまで付いて来たのって、もしかして泉玉様に会いたいから、とか?」
「いや……まあ、他にも理由はある」
「他の理由?」
「ああ。それも含めて中で話そう」




