第六話
俺はゆっくりと銃を下ろした。
「……よそう。アンタの怖い相棒さんが、後ろから睨んでいるようだしな」
ちらりと後ろに目をやると、さっき物陰から出てきた豚がサバイバルナイフを咥え、さながら軍用犬のように俺を切り裂かんと構えを取っていた。軍用豚なんてモノは聞いたことが無いが、どうやら段ボールの中身は刃物類の山だったらしい。
俺は左手を挙げながら右手で床に銃を置き、降参の姿勢を示した。
「この豚は意思を持ってるのか? ジェームズ」
夕方の鴉が山奥で鳴く唐突さで、俺の金属の右頬を五〇口径の弾丸が掠める。銃口から少量の煙が上がる。ジェームズは、“それはよくない”という様子で首を横に振っている。名前を呼んだのがいけなかったようだ。自分から名乗った癖に。
「申し訳ない。俺はただ、女性を探しに来ただけなんだよ御仁。楊・冬ってんだが知らないか?」
楊・冬の名前を聞き、サー・スミスはクックックと笑い声を漏らす。背中の二丁のガトリング・ガンが仲の良い兄弟蛇のように顔を見合わせ、頷き合う。生きているのだ。
「さあ……どうだろうね陳の知り合いとやら。仮に俺が楊という“女の子”を知っていたとして、お前さん――陳の知り合いとやら――、どうしようって魂胆なんだい?」
答対了だ。こいつは確実に楊・冬を知ってる。「何とかしてアンタから聞き出すよ。オ・ン・ナ・ノ・コの情報をね」
サー・スミスが真顔になる。
軍用豚が、いきなり背後から飛び掛かってきた。俺はしゃがんで躱した。頭上を切り裂いていくナイフの風切り音。くるくる尻尾の生えた豚の尻が前方の視界を塞ぎ、豚が着地してそれがひらけた瞬間、デザート・イーグルから五発。右に飛び退き二発躱し、左に飛び退き一発躱す。四発目が俺の生身の方の半面を掠める。無我夢中で段ボール箱を持ち上げ、ブン投げる。中に入っていたナイフ類が万華鏡のように散乱する。スミスがカウンターの裏にしゃがんで隠れる。距離を詰めた俺は豚の腹を蹴り飛ばし、古き良きハリウッド・スターのようにカウンターを乗り越え、ナイフを一つ拾いしな、上向きに拳銃を構えていたスミスの顔面を殴りつけて組み伏せ、軽量金属のガトリング・アームが埋め込まれた背中から伸びる筋肉質なスミスの首筋に、ナイフを突き立てた。
「もう一度言うぞ。何とかして、アンタから情報を聞き出す。楊・冬ってコの情報をな」
スミスは観念した様子か、組み伏せられたまま拳銃を放り出し、「ああ、わかった。陳の知り合い」と言った。ゲヒッ、ゲヒッと、俺の蹴り飛ばした豚が苦し気に咳払いしているのが聞こえた。
× × ×
スミスをして、楊・冬について知り得たのは「福利会なら何か掴んでるかも」といった程度のことだった。
スミスは、九龍区どころか香港随一の流通コネクションを持つ武器屋だ。警察の目が届かない無法地帯である九龍城は、違法な重火器を保管しておくのに都合が良く、十数年前からこの城に住んで仕事をしているのだという。
「住むのに必要な条件は簡単だった。しっかり賃料を払うこと、しっかり税金を納めることだ。上納金と言ってもいい。俺の場合、上納金の代わりに商品を納めているのさ。<城砦福利会>のお偉方にな」
<城砦福利会>。九龍城内の様々なこと――住民台帳管理、インフラ設備管理、店舗運営管理(監視)、防衛など――を一手に担う自治組織。防衛というのは要は、城外のマフィア組織や警察に対抗するための武力を用意するということだ。その為の武器装備類をこのスミスを通して入手しているのだという。
正直に言おう。俺は元九龍区警察刑事として、恥ずかしいことこの上なかった。“ヤバイ”ってことだけは周知されているこの九龍城について、わけても九龍区警察ならその無法地帯の事情にもある程度は詳しくなければならなかったのに、俺は全くと言っていい程この城について無知だった。
理由は想像に難くないだろう。王署長の思惑だ。
王署長は瓜豆頭派だった。今はもうあの組織は壊滅したとはいえ、かつて九龍区警察と、九龍区の界限街以北を統治していた瓜豆頭は、密接な関りを持っていた。
対して、九龍半島東側の界限以北にポツンと孤立する九龍城砦。九龍城の中には<城砦福利会>。瓜豆と福利会は長く対立していて、そこに警察が加わったトライアングルが、絶妙なバランスを保って『二二世紀アジアの火薬庫』の爆発を防いでいたのだ。
王署長が配下の署員たちに福利会の事情を教えるのを渋っていたのもひとえにそれが理由だ。署内が無用に福利会通になって、万が一福利会撲滅の気運が高まってしまえば、後に必ず瓜豆頭と警察との衝突の種となる。それに、善良な署員には『打倒瓜豆』に意識を向けさせた方が、署長はかえって瓜豆と連携を取りやすかったのだろう。
そういう訳で、九龍区警察の署員ですら、この城の内部の組織についてはほとんど何も知らなかったのだ。あれから三年経った今の現役署員は、大分違うかも知れないが。
俺はスミスに尋ねた。「<福利会>ってのはどんなとこだ。楊・冬の情報が掴めるとしたらそこなんだろう? どこにある。この城の中に本部があるのか?」
スミスは店の床にあぐらをかいて座ったまま、「そりゃそうに決まってるじゃねえか」と答えた。
「陳の知り合い。<西城路>にはどうやって入った。<東頭村通り>から来たんじゃないか? そう、北側の外界に面した通りだ。<西城路>を戻って<東頭村通り>に出て、東に行くと、<老人街>に入る道がある。その隣に、<城砦福利会>の入り口があるのさ。デカデカとした赤看板があって階段が伸びてるからすぐにわかる。でも、福利会のIDでMRを起動しないとゲートの隠しパスワードは表示されないから、再起動は忘れずにな。あとコイツも」
スミスは豚を指差す。
「福利会に行くなら、コイツも連れて行ってくれ」
「献上するのか?」
「違う。実はこいつは上層階のどっかの肉屋から逃げ出した豚なんだよ。下に降りてくる途中で生ゴミかなんか食べたんだろうな。ゴミの中に混じってた情緒模塊も一緒に喰っちまって、感情が芽生えてた」
「それで?」
「拾得物の一定割合は福利会に納める決まりがあるから、模塊だけ取り出して福利会に渡したんだ」
「……ふーん」
「所有者が現れず、昨日でマーガレットは俺の物になったから、模塊を返してもらってきてくれ」
「俺をお遣いにしようってのか? そして待て、マーガレットっていうのはひょっとしてこの豚のことか?」
「他にどの豚がいる?」スミスは答え、そしてこれ見よがしに店内を見渡した。弾丸と弾痕と散乱したナイフで滅茶苦茶になった店内をだ。
「因果応報。瓜豆頭は嫌いだったが、“瓜の種からは瓜がなり、豆の種からは豆がなる”の信念は嫌いじゃなかった。全ては自分に返ってくるのさ、陳の知り合い。お前さんが散らかしてくれたこの店の報いも、きっとお前さんに返ってくるぜ。なあ、陳の知り合い」
俺は、溜息をついて立ち上がる以外になかった。