第四話
そして冒頭に戻る。
九龍城北側の〈東頭村通り〉から階段を降りて<西城路>に入ると、ネオンとジャンク映像の薄暗闇。一見すると人一人おらず、静まり返っているように見える。ぽちゃんと水溜まりに汚水が落ちる音が反響する。
俺は陳店主の言葉を思い起こした。
『あの西にある大通りは商店街だがよ、城外から来た客が揉め事を起こすのを嫌って敢えて地味を装ってるのよ。お前さんの右腕に<城砦福利会>が発行したIDをインストールしな。そのIDで九龍城システムにログイン。“ホンモノ”の商店街が現れるぜ』
道の脇に縮こまっている金属製の折り畳みゲート。その奥に隠されるようにして、黒いID認識端末が備え付けられていた。ゲートに腕をねじ込み、端末に右腕をかざす。
ピッ。
『福利会純製IDを認識しました』
<西城路>は、二二世紀の網膜神経励起システムがもたらす混合現実との融合によって、一気に別世界へと変貌した。
まさしく商店街だ。かつての日本の秋葉原があのまま一〇〇年を経ていたらと思わせるような、圧倒的な情報の奔流。
「そこのお客さん、寄っていきませんか! 飛車鼠定食が半額だよ」
<即時・電影〉。右手に地味に佇んでいるように見えた部屋の中で、包丁を握ってる料理人がまるで壁越しに俺を見ているかのように話しかけてくる。ドアにはいつの間にか目に痛い程のケバケバしい立体メニューが並んでいる。しかし飛車鼠はまずいので遠慮させて頂きたい。
上から凝ったフォントの繁体字が二つ落ちてくる。コンクリの地面に当たって割れ砕け、霧散する演出。これも電影法に縛られない九龍城ならではの広告か。『潮』と『州』だ。これだけではなんの店か分からない。
陳店主はこうも言った。『その通りの真ん中ら辺に、俺の昔馴染みが店を構えてるんだ。<美国>って武器屋だよ。もしなんだったらソイツを頼ってみな。楊冬とかいう嬢ちゃんが九龍城に逃げ込むなんてバカな真似をしたんなら、何か知ってるかも知れないぜ。言っとくがよ、お前、迷うなよ。違う違う人生にじゃない。道にだ。九龍城は迷路なんだぜ』
店の中には部屋の内部を透けて見えるようにしているものもあった。あらゆる店の中を覗くことが出来て、まるで屋外テラスの並ぶ大通りを眺めているようだ。
立ち話する者、作業に集中する者、本物の羊を自慢する者。電脳酔い特有の虚ろな目をした者。今流行りのファッションで角を生やした者と、それを生やしてはいけないところに生やした者。防弾し過ぎた鎧のような服を纏った男。全く防刃できない殆ど素っ裸みたいな女。ケンタウルスのような四本脚をした大男が、苦労して脚をたたんで床屋のリクライニング式チェアに寝そべっているのも見える。
どこもかしこも見渡す限り情報・情報・光・光・ホログラム・ネオン・ホログラム・ネオン。まるで昔のコンピュータが〇と一を並べてたみたいに、見境なくそれらが散らばっている。無機的でいて煩雑な人工物に溢れた箱庭。アナーキズムと表裏一体の活力に溢れた人々。
「それにしても美国なんてロクな名前じゃないな。あの陳さんにしてその昔馴染みあり。ってとこか」
俺は〈西城路〉を前に向かって歩き出した。