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彼と繋がらない、秋の日。

作者: イリ

 ピアスを失くした。今年に入って4個目だった。お気に入りだったピアスだったのに、キャッチがいつ外れたのかも気付かなかった私は、どこで落としたかなんてわかるはずもなかった。

 もっと大事にしていたら落とす前に気付いていたのだろうか?



 久しぶりに電話をくれた翔太が、私をドライブに誘った。最近はお互いの休みがなかなか合わずにいた事もあり、彼と会うのは3週間ぶりで、私はいつもよりも大分浮かれていたと思う。

 車内から見ても外の木の葉はもう赤や黄色、そして茶色に色を染めて、風は冷たく今にももう雪が降ってもおかしくないような季節になっていた。


「翔太、車に灰皿なくなった?」

 鞄の中からシュガーケースを取出したはいいが、いつも私が使っていた灰皿が車内には見当たらない。よく見ると、いつも定位置にある翔太の煙草も今日はどこにもない。

「俺、煙草やめたから」

「何でいきなり?」

「いきなりでもないけど。澪もやめれば?」

「何で翔太がやめたからって私もやめなきゃいけないのよ」

 私は鼻で笑った後に、やめたばかりの翔太に遠慮して、手に持っていたシュガーケースを鞄の中にしまった。

「いいよ、吸って」

「別に。吸わなくても大丈夫なだけだよ」

 禁煙したばかりの人は、人が吸っている煙を吸うだけでも苛々すると誰かに聞いたことがある。せっかく会えたの些細な事で喧嘩をしたくはなかったのだ。


 車はもう街を離れて40分くらい走っただろうか? 平日のせいもあるせいだろう、私達の車以外には殆ど車はない。いつも決まって渋滞する道すらも今日は円滑に動いていく。

「懐かしいよね、紅葉見に行くとか。翔太が車買って以来じゃない?」

「あぁ。そうかもしれないね」

 最近のデートは専ら、どちらかの家に行きレンタルしていたDVDを見たり、ごろごろとしているだけで、外出する事すらも少なくなっていた。お互いにそれに満足していた訳ではないと思うけれど、それすらも特に気にならなくなっていたので、こうやって何処かに出かける事が新鮮に思えてしまう。

「3年ぶりってとこかな?」

「うん。それぐらいだろうね」


 翔太とは高校の終わり頃に付き合い始めた。元々は友達の内の一人で、突然の告白に私も最初は悩んだけど、何より責任感があった翔太なら私を大切にしてくれると思えたのだ。

 あれから4年。私達はお互いを傷つける事もなく過ごしている。

「あ、私さ今日カメラ持ってきているの。一緒に撮ろうよ」

「いいよ、今更」

「えぇー。最近全然撮ってないじゃん」

 思えば、最近は全く写真やプリクラを写すことが無くなった。それは、翔太があまり気乗りしないからだ。付き合い始めた頃は毎日のように写していたのに。何年も一緒にいても変わらないで仲良くいたいと思っているのは私だけなんだろうか? 車内には少し気まずい空気が流れてしまい、黙り込んだ彼の機嫌を取るように私は違う話題を振る。

「翔太、今日は泊まって行けるの? ご飯何がいい?」

「あー」

 翔太は、長いカーブの先に目線を置いたまま私の声だけに反応してしばらく間をあけてから答えた。

「……今日は泊まらないから」

「仕事忙しいんだ?」

「ちょっとね」

 今日の彼の態度は何かを考えているような煮え切らない態度だ。私の言葉にもどこか上の空で、気の無い返事をただ返しているようにも感じてしまう。

 先月会った時はどうだっただろう? 私の目線と合わせて話してくれていただろうか? 翔太がどんな話題にどんな風に笑っていたかが思い出せない。

「澪」

「何?」

「もうすぐ頂上だよ」

 一瞬だけ私の方を見た翔太の表情は少しだけだが笑っていた。そうだ。彼は笑うときに下唇を噛む癖があるんだ。私はそんな翔太の癖すら久しく見ていない気がした。

「最後に遊んだ日って、何してたっけ?」

 膝の上にある退屈な指で遊んでいなかった日数を数えながら翔太に尋ねた。

「……俺が仕事明けの日で借りたDVD二人で見てて、……たしか、俺が途中で寝たんじゃなかった?」

「あ。そうだった。私、怒って帰ったんだっけ」

 翔太は少し首を傾げていた。そうだ。私が怒っていた事も翔太は知らないのだ。何日も連絡を取らないことが最近では当たり前になり始めていたせいで、私の怒りも矛先がなく何処か消えてしまったのだ。

「澪は怒って帰ったの?」

「どうだろう? つまんなくて帰ったのかも」

「ごめん」

「でもいいよ。今日久々に翔太と出掛けれて嬉しいもん」

 そう笑うと、翔太はハンドルを右手で支えながら左手で私の頭を撫でた。しばらく感じていなかったその温もりは私の気持ちを高ぶらせる。

「……今日ずっと一緒にいたかったな」

 呟いた私の一言が聞こえていたようで、翔太は少し困った顔で左手をハンドルへと戻した。

「着くよ、ほら」

 右へウインカを出した車の先には、三年前とはがらりと変わってしまったお店がならんでいた。

「前来た時とお店が違うね」

「結構経ってるから仕方ないよ」

「あ! でもあっちのベンチとかは同じだよ。写真撮ろうよ」

 三年前は彼が車を買いたての時で、二人共慣れないカーブの続く峠の道に緊張していた。やっと休憩できる場所を見つけたと、肩の力が抜けて撮った写真は後で二人でお腹を抱えて笑うくらいの写真だったのを今でも覚えている。あの頃と同じようにまた思い出を作っていけたら。そんな事を考えながら、鞄からカメラを出そうとした瞬間に車のエンジンを止めた彼が口を開いた。

「澪」

「何? 具合い悪いの?」

 せっかく到着したと言うのに、シートベルトを一向に外そうとせず、彼は隣で浮かない顔をしている。言葉を吐き出そうとしているのか、口元が二、三度動いたけれど翔太は次の言葉をなかなか言おうとしない。

「俺、浮気してたんだ」

 一瞬、彼が何を言ったのか理解出来なかった。思考回路が全く働かないのだ。ドアを開けようと伸ばしていた手がそのまま止まり、翔太の言葉が頭の中をぐるぐると回っている。

「いや、いきなり意味がわからないんだけど」

「……浮気をしてた」

 さっきまで目線を合わせてくれなかった翔太の瞳が、真っ直ぐに私を見ている。どうやら冗談ではないらしい。

「い、いつから?」

 聞くべき事は沢山あったはずなのに、やっとの思いで口から出た言葉は意外にも普通過ぎる言葉でそれしか出てこないくらいに私は動揺していた。

「今年の夏前くらいから」

 私達が仕事で会わなくなり始めた時期なのだろう。連絡が疎かになっていた時だ。

「相手は誰なの?」

「職場の事務している子」

「同い年?」

「いや、二つ上」

 意外だった。面倒見のいい彼だから、もしかすると新入りの子を世話している内に魔がさしてしまったのだろうかなど考えていたのに、私達よりも二つ年上の人だったなんて。疲れていて甘えたかったのだろうか?

「ごめん。ちょっと落ち着きたい」

 堪えられないほどの空気に、今にも窒息してしまいそうで私は車を降りようとした。

「別れたいんだ」

「なっ」

 彼から出た言葉に反応しきれない。

 私の考えは甘かった。浮気を告白し私に謝ってそしていつもの二人に戻ろうとしているんだと思っていたのだ。私はそのまま頭を抱え込むように顔を伏せた。

「どうして別れなきゃならないの? 私まだ怒ってるとか言ってないよ」

「……澪」

「今はまだ言われたばかりで頭がうまく回らないけど、私は翔太の事好きだもん」

「そうじゃないんだ」

「どうして? お互い仕事とかで会えなくてそれで浮気したんでしょ? そしたら私にも悪かった所があるよ。翔太だけのせいじゃない」

「澪は悪くない。俺が悪いんだ」

 伏せている私を起こさせようと腕を掴む。あまりにも強力で腕を伝わり身体に激痛が流れる。思わず顔を上げると翔太はただ私を見ている。さっきまで視線が合わなくて悲しかったのに今は彼と視線が合っている事が辛い。

「何でいきなり別れたいなんて言うの?」

「澪」

「私が悪くていいから、別れたくないよぉ! 別れたくないぃ」

 溢れてしまいそうな涙を必死で堪え、吐いた言葉はかすれていた。目線も合って翔太の体温も伝わっているのに彼が遠い。翔太は私の言葉を聞いて下唇を噛んだ。それは笑うときにする癖の筈なのに彼の顔は悲しそうな表情だった。



「……彼女、妊娠してるんだ」



 全身の力がすぅーと抜けていく音がしたような気がした。指先から、足のつま先まで全く力が入らないのだ。力いっぱいに掴まれていた私の腕から、温もりが消える。

「俺の事は許さなくていいから」

 その言葉を最後に車にエンジン音が響く。思い出の場所に来たはずなのに私達はそこの空気を吸うこともなくその場を去った。その場所の天気も、風も、景色も何も知る事なく、車は私達が来た道をただ静かにくだって行くだけだった。

「ねぇ、翔太。相手が妊娠したから煙草やめたの?」

「……うん」

 悲しくてどうにかなってしまいそうなのに、涙が零れないのはもう別れる意外に選択肢がないことをきっと悟っているんだ。

「私の事は好きじゃなくなったの?」

「違う。それは違う! 澪を嫌いになった事なんて一度もない!」

「……あは。説得力ないよ」

 このまま家に着かなければ私達は別れなくて済むのだろうか? もっと遠回りして二人だけの場所を見つければ他の人なんて出てこなくなるんじゃないだろうか? 無言の車の中でそんな事ばかりを考えていた。どっちにしたって私一人が考えている事には変わりないのだけど。

 行きよりもずっと早くに感じた帰り道はあっという間に終わってしまい、いつもの少し古ぼけたアパートが目の前にあった。

 いつもであればエンジンを止めて一緒に車をおりて部屋に入って行くのに、翔太は車のエンジンを止めようとはしなかった。

「上がってかないの?」

「……うん」

「そう」

 もう車をおりてさよならを言わなきゃならないと思うと、尚更シートベルトを外せなかった。

「最後に聞いてもいい?」

「何?」

「私と、私と一緒になる方法を翔太は考えなかったのかなぁ?」

「……作った俺には責任とらなきゃいけないから」

 告白してくれた日から、責任感のある翔太をずっと好きだった。でも私が求めた責任感はこんな終わり方じゃなかったはずだ。彼が気持ちを伝えてくれた言葉や表情すべてが薄れていく。

 私は無言でドアを開け車をおりた。そして彼の方を見ずに歩き始めた。

 部屋に入ると同時に車が駐車場を出ていく音が聞こえた。その音がだんだん遠くなって行く。


「やだっ、やだぁ」

 もう一度だけ話したいと、終わらせたくないんだと、何でもいいから引き止めたくて、階段を下り、走って道路にでたけれどもう翔太の姿はどこにもない。今までの二人の時間が蘇っても彼がどうやって私に触れたのかが思い出せない。零れ出す涙をどうして翔太の前で流さなかったんだろう。どんな形であっても、少しでも引き延ばせたならそれでも良かったじゃないか。



 ピアスを失くした。今年に入って4個目だった。お気に入りのピアスだったのに、キャッチがいつ外れたのかも気付かなかった私は、どこで落としたかなんてわかるはずもなかった。

 もっと大事にしていたら落とす前に気付いていたのだろうか?


 いいや、どんなに大事にしていても落とす時は落とすんだ。

 いくら自分が大事にしていても些細な事で、簡単にキャッチは外れてしまうのだから。

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