チェブラーシカの涙
僕の名前はチェブラーシカ。耳の大きなサルに似たキャラクターのぬいぐるみだ。ゾウさんみたいにね、顔と同じぐらいの大きさの耳が横についているのが特徴なんだ。顔以外の全身が茶色の毛でおおわれているから、一見、サルっぽいけど、顔は人間に近いよ。大きくて真ん丸の目、三角の鼻、軽く微笑んだ小さい口元。とても友好的な表情をしているよ。
チェブラーシカってのは、ルージア帝国で一時期流行した童話に出てくるキャラクターの名前なんだ。もともとわき役だったんだけど、主役より有名になっちゃったみたい。当時、チェブラーシカのグッズが作られて、国中で販売されたんだ。
僕はそのチェブラーシカのぬいぐるみなんだけど、コーリャっていう、ルージア人女性の手作りなんだ。手作りって、いいよね。作る人によって表情が微妙に違ったりするんだよ。
コーリャは金髪のストレートヘアに、細い目をした優しいお姉さんだった。僕は彼女のバッグに括りつけられたて、近くの公園やショッピングに出かけたものだ。
僕が作られてから3か月ぐらい過ぎてからかな、突然、別れが訪れたんだ。
彼女は小学校の先生をしていたんだけど、国際交流の機会があってね、お隣のウークレナ共和国の学校を訪れたんだ。コーリャと僕が住む町はウークレナ共和国との国境付近だった。僕たちはバスに乗って出かけた。ウークレナの首都にその小学校はあった。
コーリャがそこで世話していた子供たちの中にエレナって名前の黒髪の少女がいてね、その子が僕をあまりにも気に入ったみたいで、コーリャは僕をその子にあげちゃった。
「この子はチェブラーシカっていうの。ルージア語で『ばったり倒れ屋さん』っていう意味。倒れないようにしっかり抱いてあげてね。」
僕はもちろん寂しかった。でも、コーリャらしいな、って思った。僕を作ってくれたことへの感謝と彼女のこれからの幸せを祈って、別れを告げた。エレナのほうも僕をよく抱いてくれたし、彼女の両親も僕を歓迎してくれた。温かい家庭だなって思った。
そんな平和な日常は突然終わりを告げた。
翌年、ルージアがウークレナへ侵略し、戦争が始まる。大国のルージアを相手にウークレナは抵抗を続けたんだ。戦争は長引き、ウークレナは多くの国民を殺された。ウークレナ人の心にルージアへの憎しみがつのっていくのを僕も感じていた。
戦線は都市部まで拡大し、エレナの家でも一次避難することになった。エレナは僕を避難場所に連れて行こうとしたが、母親に止められた。
「だめよ、そんなルージア産のぬいぐるみ見られたら、非国民扱いされるわよ。本来なら燃やさないといけないんだから。」
僕は一人家に取り残された。誰もいなくなって静まり返った冷たい部屋で一晩を過ごした。夜が明けると、騒がしくなった。遠くで爆破音が聞こえた。
ドアが破られる音がした。二人の兵士が入ってきた。一人は背が低くがっちりした男性、もう一人は背が高く細身の男性だった。二人は部屋の中で何かを探しているようだった。背の低いほうが、髭面の厳つい顔で僕を睨みつけて言った。
「おい、イゴール。こっちのほうがいいぞ、大切にされていそうなぬいぐるみだ。」
「どれどれ」
イゴールと呼ばれていた、背の高いほうの兵士が僕をつかんだ。
「これは、チェブラーシカじゃないか。」
「我が国のキャラクターがヤツらを木っ端微塵に吹き飛ばす。逆に痛快じゃないか。」
イゴールは僕をじっと見つめていた。コーリャが分かれ際に僕に括りつけたメッセージカードと一緒に。
「おい、イゴール、さっきまでの闘志はどうした?さっさと始めろよ。まさか、ここにきて怖気づいたんじゃないだろうな。忘れたのか、ウークレナ軍に愛する彼女を殺されたんだろう。ヤツらも同じ報いを受けるべきなんだ。」
家屋に浸入し、ぬいぐるみの中に爆弾をしかける。一時避難から帰ってきた子供がそのぬいぐるみを抱きしめると、爆弾が爆発し、子供とその近くにいる大人たちを殺す。遠く離れても効率よく大勢を殺戮できるこの戦法はルージア軍が考えたものだ。
僕は恐怖に慄いた。ぬいぐるみじゃなかったら、顔が真っ青になって、冷や汗がだらだら流れるところだろう。コーリャ、僕はこんなことに使われるために生まれてきたのかよ。しかし、ルージア兵のこの男、どこかで見たことがある。あれは確か・・・
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イゴールの脳裏に1年前の記憶がよみがえった。戦争が始まる前のことだ。
「コーリャ、あのぬいぐるみ、どうしたんだ?いつもバッグに付けてる、サルみたいなやつさ・・・」
「この前、出張に行ったとき、ウークレナの女の子にあげちゃった。なんか、とっても気に入ってたみたいだったから・・・」
翌年、戦争が始まった。国力で上回るルージア軍の圧勝で早々に片が付くと予想していた。みんなが油断していた。ところが、ウークレナ軍の反撃により、イゴールとコーリャの住む国境の町が空襲を受けた。その爆撃を受けてコーリャは死亡した。
イゴールは変わり果てたコーリャの姿を見ると、怒りと後悔で胸を焼かれた。ウークレナへの復讐だけが彼の生きる力になった。
当時、学生だったイゴールは募集されていた民兵に志願した。戦争が長引き、兵士が不足していたので、難なく参戦することができた。陸上で精力的に戦い、無我夢中でルージア兵を殺してきた。このぬいぐるみ爆弾作戦にも躊躇することはなかった。家族ともども殺される苦しみを味合わせる。もう後に引けなくなっていた。
さらに、コーリャとの会話が蘇る。
「なんか、君らしいね。でも、力作だったんじゃないのか?」
「いいのよ。あの子に『もう少し大きくなったら家に遊びに来てね』って言っといた。『チェブラーシカを生み出したルージアの素敵な街をぜひ見てほしい』ってね。それで私の家の住所を教えたの。私はまたいつか、あのぬいぐるみに会えるのよ。」
今、目の前のぬいぐるみに括りつけられたメッセージカード。彼女の字だ。住所とメッセージが書かれていた。
『いつか、チェブラーシカと一緒に会いに来てね。コーリャより。』
同僚のザックの罵声が現実に引き戻した。
「おい、ぼーっとすんな!やらねーなら、俺がやるよ。こういうのは、いちいち考えたらダメなんだ。変な想像力は俺達には命とりなんだよ。淡々とやればいいんだ。」
イゴールは屈しなかった。そして叫んだ。
「もうたくさんだ!こんな戦争に何の意味があるんだよ!」
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男たちは何もせずに出て行った。どうやら僕は無事だったみたいだ。
レイナと家族が退避所から戻ってきた。レイナは以前のように僕を抱きしめていた。少なくとも僕らの住む地域では、ぬいぐるみ爆弾の被害を聞いていない。
そして、2年近く続いた戦争がやっと終結した。僕はそのニュースをレイナの部屋のラジオで聞いた。ルージア国内での反戦運動が激しさを増し、戦争どころではなくなったようだ。もともと大義のない戦争だったんだ。停戦合意が結ばれ、ルージア軍はウークレナから撤退した。
それから、5年が過ぎ、ルージアとウークレナの国交が回復した。レイナは癖のある黒髪のきれいな大人の女性になっていた。子供の頃のように毎晩、僕を抱くようなことはなかったけど、僕を大切に扱ってくれた。
風の穏やかな春の朝、レイナは僕を連れてバスに乗り、ルージアへ向かった。懐かしき、コーリャの街だ。
「君が来るのを待っていたよ。」
片足に義足を付けた男性が僕らを迎えた。あの時、エレナの家に侵入してきた背の高いほうの兵士、つまりコーリャの元婚約者の男だ。
僕たちは墓地に向かった。コーリャはもうこの世にいないのでは。なんとなくだけど、僕は前々からそれを感じていた。だから、それほど驚かなかった。
しかし、男から事情を聞いたレイナはずっと泣いていた。森に囲まれた静かな公共墓地の一角にコーリャは眠っていた。彼女の墓石の前に花束と一緒に僕が添えられた。
男が言った。
「戦争は酷いな。でもな、このぬいぐるみが君を生かしたんだ。君はコーリャの分も生きるんだ。」
レイナは墓石の前に跪いて、顔を覆った。
「ありがとう、コーリャ先生。どうか安らかに・・・」
ぬいぐるみじゃなかったら、こんなとき、目から涙が流れるんだろうな。コーリャ、もうすぐ僕もそっちに行くよ。
別の男性の声が聞こえた。背の低いほうの兵士だ。相変わらず髭面の厳つい顔をしている。
「よう、イゴール。これが例の娘さんか?ほんとにあんときは無茶しやがったよな。本来なら俺たち、軍に処刑されてたぞ。でもある意味、俺たち英雄だよ。こいつもご苦労だったな。」
男の手が僕の頭をなでた。その手はきっと温かかった、と思う。