食べ放題? それとも単品?
あなたはいま、彼氏と二人で焼肉屋をおとずれたとしましょう。
すっかり乾燥して凍えるほどの街路から一歩店へとはいるや否や、すぐさま四人席へと案内されて腰をおろし、ふうっと息をつきながら彼をむいて、
「あったかいね。おそと寒すぎるよ」
やさしく同意してくれるのにほほえみつつ指先から手袋を引っぱり、マフラーをとくと共にコートに身をくるんだまま早速メニューを取り上げます。
一ページ目をひらくと炭火きらめく七輪の上にはちょうど食べごろのカルビ。その隣には税抜と税込でならぶ値段。
わりと高いかもと思いつつ視線は別のカルビへとうつり、こっちが二百円高いのが、「熟成」のためだと気づいて、どっちにしようとほんのひと時悩む折から二品がひとつに載ったお皿。
あなたはそれならこっちにしようかしらと決めかけたそばから、皿にのった肉の枚数を目ざとく数えてすぐに六枚と見てとるや、二人で一皿なんて足りるわけがないと心づきます。
するとそこへ店員があらわれて、
「今日はどうなさいますか? 通常のメニューと食べ放題がございますけれど」と言って説明しはじめます。
彼女によると、どうやら一人当たり四千円をはらえば、九十分の食べ放題が利用できるとのことで、ドリンクは別途たのむことになるけれども、さらに追加で支払うと飲み放題も提供できるとのこと。
「決まったらまたベルでお呼びください」そう言い置いて店員が立ち去ると彼が口をひらき、
「どうしようか。どっちが得かなあ」と大食いでも少食でもない彼は指先にあごをつまみながら、「どっちがいい」
そう問われて、おなじく大食いでも少食でもないあなたは小首をかしげたまま、目を上げると、ぴったり出会った視線におもわず微笑んで、再びメニューをみつめるうち、ふいと感づきます。
そうです。
もし食べ放題をえらぶと、値段とにらめっこしながら一皿一皿食べたいものを吟味していくという楽しみがなくなるのです。
実際、食べ放題なら適当にあれもこれもと注文していくはずです。とりあえずこれにしよっか。あ、これも。それにこれも食べたいかも。ならこれも頼んじゃおう。
結果として本当に食べたいもの以外をたのんだり、食べたいものを必要以上にたのむことになりかねません。
ではお腹いっぱい食べきるのと、値段とにらめっこしつつ吟味したものだけを食べるのとでは、どちらがより満足度が高いのでしょうか?
よく腹八分目とはいいますが、なにもそれは太らないためだけにというわけではありません。満足度という点からみても、一考に値するものです。
たとえば、コーヒーとケーキについて考えてみましょう。
一杯目のコーヒーはとても美味しいです。
一皿目のケーキもとても美味しい。
これは個人の嗜好にもよるでしょうが、それから二杯目三杯目、三皿目四皿目とかさねていくうち、満足度はだんだんと減少していくのが想像できるのではないでしょうか。
つまり、だんだんと飽きてくるんですね。
これは焼肉でもおなじことが言えるはずですが、このことを経済学では難しい言葉をつかって、「限界効用逓減の法則」といい、U=√xの式であらわします。
いきなり数式がでてきましたが、とても単純なのでご安心を。
Uは満足度(効用)、xは消費量をあらわしていて、Uの値はxによって決まります。
たとえばxが1のとき、√がはずれて、満足度は1になります。
しかし、xを2つ消費しても満足度は二倍にはならず、満足度を2にするためには、xの消費量を4まで増やす必要があります(コーヒーやケーキの消費量を√xにあてはめてみてください)。
さらに満足度を3まで上げようと思えば、xの消費量は9まで増やさなくてはなりません。
この数式は最初の1つはとても美味しいけれど、消費すればするほど、そのものから得られる満足度は上がりづらくなるという私たちの実感をざっくりとした形で表現してくれているのではないでしょうか。
もし数式どおりに事が運べば、あなたは食べ放題でたらふく食べるうちにだんだんと焼肉に飽きてしまうことになります。
一皿一皿そのつど吟味してえらんだほうが安上がりになり、かつ満足度もそこそこ高くなるかもしれません。
それから単品注文であれば、値段とにらめっこしつつ色々と天秤にかけるという楽しみがあります。これほど楽しいこともないでしょう。
物事にはトレードオフがつきものです。
トレードオフとは、なにかを得ようとすると、なにかを失ってしまうような関係のことです。
今回の場合、食べ放題をえらぶと、楽しみがひとつなくなり、単品注文をえらぶと、値段を気にするあまり気ままに注文することができなくなります。
あなたは今日の満足度を最大にするために、どちらを選ぶべきなのでしょうか?
おや、自分のことばかりにかまけて、とても大切なことを忘れていました。
彼の気持ちです。
ひょっとすると、彼の気持ちに合わせたときに、あなたの心は満たされるかもしれません。
けれど、彼だって同じ気持ちではないでしょうか。あなたの幸せそうな顔を眺めることが、彼の至福だとしたら。
あなたはメニューをぱらぱらとながめる彼をそっとみつめます。
気づけば今がとても幸せなのです。
読んでいただきありがとうございました。