5:公爵夫人の怱怱たる挨拶
『モイラ』の背に手を添え、要塞のような城の玄関の前で待つ、赤髪に赤目の大男の前へとライラは歩み出る。
あの男がアドム・ベスティエ辺境伯。無駄に大きい身長と筋肉は相変わらずのようだ。
貴族らしくない豪快な笑みを浮かべ、それでも軍人らしい規律正しい礼をとる。
それを受けてライラと『モイラ』も美しい淑女のカーテシーを返した。
「出迎え感謝します。私はシルト・グランツ公爵の妻、ライラです。こちら私の娘にございますわ」
確かに『モイラ』は元々ライラの娘だ。嘘はついていない。
もし今後身代わりが発覚したとしても嘘を吐いたわけではないと主張できるようにしているのだろう。
周到な貴族のやり口だ。名前すら紹介しないということは、嘘を吐いたのは『モイラ』だけだと、とかげのしっぽ切りをするつもりのようだ。
罪悪感が埋め尽くす胸中で謝罪の言葉を述べながら『モイラ』は『義母』の言葉を継ぐ。
「初めてお目にかかります、ベスティエ辺境伯。グランツ公爵家一子、『モイラ』を名乗らせていただきますわ。以後、お見知りおきくださいませ」
へりくだった言い方であればぎりぎり違和感がない挨拶をすれば、それを受けたアドムが意外そうに片眉を上げた。
「グランツ卿から聞いている印象とは大分異なるようだ。どうか頭を上げてくれ。
ベスティエ辺境伯家領主、アドムだ。爵位で言えばこちらから挨拶に伺うべきところ、遠方から足を運んでいただき感謝する」
「可愛い娘の輿入れですもの。こちらから伺うのが当然ですわ」
何の感情も籠っていない仮面のような笑みを薄く貼り付けて、ライラは『モイラ』の背をぐっと押す。
「甘やかして育ててしまったせいで至らないところもあるかと思いますけれど、どうか末永く可愛がっていただけますよう」
「いやいや完璧な淑女ではないか!謙遜なさらず」
表面上にこやかに挨拶を済ませると、ライラはその場から一歩下がりもう一度軽く礼をとる。
その様子を見た執事は主であるアドムをフォローするように恭しく頭を下げ、切り出した。
「旦那様。グランツ公爵夫人、グランツ公爵令嬢、どうぞこちらへ。ご案内いたします」
「おっとすまない!客人の出迎えには不慣れでな。こちらこそ至らないところばかりで申し訳ない!」
しかしライラはそれを固辞する。長居をしてボロを出すわけにはいかないのだ。
「いえ……私はこの子の母親としてベスティエ辺境伯家のご当主にご挨拶だけするつもりで参りましたので。これ以上は娘が婚家に慣れた頃に夫と共にまた改めてご挨拶に参りますわ」
「あ、いや……それなんだが……」
「それでは、失礼いたします。ごきげんよう」
「え、待っ、グランツ公爵夫人!」
止めようとするアドムの言葉を遮り、淑女らしく、優雅に馬車に乗り込んでゆく。決して振り返らず、後ろめたいことなど一つもないかのように振る舞って。
公爵家の一人娘の輿入れがこのように済まされて良いはずがない。それはこの場にいる全員がわかっているし、パカパカと蹄を鳴らし城門を出てゆく馬車に乗っているライラにもわかっている。
「……申し訳ございません。母の非礼をお詫びいたします」
「いや……」
「まさかベスティエ辺境伯のお言葉を遮りそのまま去るなど……無礼にもほどがありますわ」
「……まぁ、とりあえず中に入ろう。ここで立ち話を続けるわけにもいくまい」