39:辺境伯夫人は軍務に勤しむ
「随分と好き勝手したみたいじゃないか」
多忙を極める中、有能な部下でもある一番上の息子に丸一日の休みを与え、可愛い未来の義娘の街案内をさせてみたら。
彼は門限を大幅に超えて帰城した挙句、馬車の中で眠ってしまった彼女を抱きかかえたまま城内を闊歩し、彼女の客室のベッドまで運んだ。
鳩で帰城が遅れる旨の連絡は受けたし、事情が事情なのは理解するけれど。恰も彼女の婚約者に決まったかのように振る舞うのは如何なものか。
深夜執務室に訪れたキャサリンから詳しい報告を受けたが、街での立ち回りもそれはもう見事な囲い込みだったようだし。
しかも?街ではずっとエスコートと称して恋人繋ぎで?衆目の中子供みたいに抱き上げ?事故には到底見えない幸運なキスをして?お姫様を攫うかのような疾走を見せたって?
まったく。やりたい放題極まりない。
「カー騎士爵夫人を城に招いた事ですか?何か問題でも?」
もちろん彼はセントラの言葉の意味を正しく理解している。それでもにっこりと笑ってその返しをしてくるのだから、本当に己そっくりで腹立たしい。
「それは全く問題ないよ。彼女の良い話し相手になってくれるだろうし、懐妊中の妻を一人で家に残しておくより、城に滞在してもらう方がカー副隊長も安心するだろうからね」
「ですよね」
「そうじゃなくてさ。君、いつから彼女の婚約者になったつもりなの?」
「彼女が受け入れてくれたらいつからでも」
「今は違うとわかっているよね?それなのに彼女の選択肢が無くなるよう外堀を埋めていくのは感心しないな」
すると彼は場都合が悪そうに目を逸らして、ンンッとわざとらしく咳払いをした。どうやらやりすぎた事は自覚しているらしい。
「彼女の意識がある時ならまだしもさ。寝ている彼女を君が運ぶのは本当に駄目だと思わない?」
「……彼女を起こして歩いてもらうか、父上を呼ぶべきでした。自省します」
「直接謝りに行く時間はしばらく取れないのはわかっているよね」
「はい。謝罪の手紙を送ります」
「よろしい」
とは言え。普段の彼女の様子だったり、侍女たちの報告から鑑みれば、息子が彼女を想うほどでなくとも、彼女も息子に好意を抱いてくれているのだろうと感じる。
会えない時間が愛を育てるとも言うし、暫くは息子には反省の意味も込めて仕事をたくさん頑張ってもらうとしよう。
息子と並んで歩いていたのは調査拠点の廊下。突き当りにある会議室の扉を徐に開け中を確認すれば、調査部第一から第三小隊までの隊長、副隊長が揃って起立し敬礼でセントラとロクトを迎えた。
「すまない、待たせたね。では早速『森の主対策会議』を始めようか」
素早く議長席に腰を下し、皆に着席を促しながら会議を始める。
「まずはフルティム隊長から今回の経緯説明を」
正面に用意された大森林の地図には、いくつかの鋲が打たれ、印が書かれている。これまでに目撃された警戒する魔物の位置をまとめたものだ。
その地図の横に立ち、先日斥候隊の隊長も務めた第一小隊隊長のヴァルカイン・フルティムが指示棒を手に説明を開始した。
「はっ!自分達は斥候の任務を受け、三人で小隊を組み、森の奥へ向かいました。警戒する魔物達の間を気配と姿を消して進んでいけば、西へ行くほど魔物の数は多くなっていきました」
指示棒は鋲と鋲の間を縫って西の方を指し示して進んで行き、ばつ印が記された地点で止まる。
「千七百ペスほど進んだこの地点で洞窟を発見。しかしこちらの存在に気付かれ、突如物凄い威圧を受けました。周囲を凶悪な魔物達に囲まれもはや絶体絶命、どうにか一人だけでも撤退させ情報を持ち帰らせようと交戦の覚悟したのですが、洞窟の方から声が響いたのです」
「『声』、ね」
「その地を這うような低い声は『それ以上近寄れば殺す』とはっきりと言いました」
今回斥候隊が持ち帰った情報は、これまでの常識を覆すものだった。
「まさか意思の疎通を図れる魔物のご登場とは驚きだよね」
「人間の意思を理解していそうな魔物はこれまでも数体見た事はありますが、人語を解し、更には話せる魔物など見た事がありません」
そういった報告例が他にないか数日を掛けて過去の記録を洗い浚い調べてみたが、一つも見つからなかった。優秀な部下の事は信用しているが、正直未だに信じられていない部分もある。
識別眼持ちは総じて、自分の眼で視たものしか信じきれない性を持っているものなのだ。
「本当に魔物だったのかな?洞窟の中に人が隠れていたとかはない?」
「姿は見えませんでしたが、到底人の声とは思えませんでした。嗄れていると言いますか、動物の呻り声に似てると言いますか……大声を出しているような語気でもないのに、すごく響いて、空気が震えて、何と言うか威厳のようなものを感じました。恐らく、相当なデカブツなんじゃないかと……」
「ふぅむ……なるほどねぇ」
「斥候隊が三人共無傷で帰還した所を見ると、その声の主に魔物が従っていると判断出来そうですが」
ロクトがそう問えば、フルティムが頷く。
「ええ、その通りです。周囲を取り囲んだ魔物は強く警戒してこちらを威嚇していましたが、その声が響いた瞬間、僅かに身体を伏せようと動かしました。あれは従属するものの動きです」
「魔物の中にも時々群れの中で指揮を執る個体がいるけれど、他の魔物が従属しているという感じには見えない。それとは明らかに異なると言うことだよね?」
「はい。自分達がゆっくりと撤退を始める時も、取り囲む魔物達の中には不満そうな態度に見える魔物もいました。それでも襲ってこなかった事こそ従属の証かと」
人と見れば見境なく襲い掛かってくる森の東側の魔物達と、近寄れば殺すと警告を発し人を見逃す森の奥の何者かと、それに従属の意志を示す魔物達。
果たして大森林の中で何が起こっているのか。
物言わぬ魔物の生態を地道に調査するしかないと思っていたのに、聞けば答えてくれるかもしれない存在が森の奥に居たとは。
「さて、それじゃあそろそろ本題に入ろうか。今フルティム隊長が話してくれた何者か……これを我々は一旦『森の主』と仮称することにした。私はその『森の主』と……どうにか交渉がしたいと考えている」
その為の、対策会議だ。
「やはり危険です!!我らを取り囲んだ魔物達はいずれも危険度Aクラスの猛獣揃いでした!!将帥であればまだしも、大佐は参謀であり戦闘員ではないのですから!」
「そうは言ってもさぁ。彼を連れて行くと目的を忘れて開戦しちゃいそうじゃないか」
「危険度Aクラス揃いともなれば嬉々として戦り始めるでしょうね」
「その時点で交渉決裂だろう?彼には予定通り東側の掃討の方を任せようよ」
実際、王国を守るという意味でも東側の凶暴化している魔物の脅威は取り除かなければならないのだ。今は小隊が交代でこまめに哨戒し、発見次第各個討伐を行っているが、ここの所その数が増え続けている。近いうちに大軍を投入し、掃討作戦を実施する必要がある。
その指揮はもちろん魔物討伐軍の長である将帥、アドムが執らねばならない。
「本来であれば戦闘員としても優秀な君もそちらの作戦に参加してもらう予定だったけれど、こちらに加わるよね?」
「そうですね。人語を話す魔物が存在するなら『視て』おく必要がありますから」
将来ベスティエ辺境伯を継ぎ、魔物討伐軍を束ねる立場となるロクトにとって、それは必須事項だ。
「あまり人数を割くと警戒している魔物を刺激してしまうだろうし、今回も少人数で行くべきだね」
「大佐!それでは御身の安全がっ」
「わかってるよ。私だって死にたくないからね!まずは遠くから『視』に行くだけさ」
「フルティム隊長、洞窟の入口が視認出来る地点はどの辺りですか?多少木や草が邪魔でも構いません」
「それだと……入口の方角的にこの辺りでしょうか」
フルティムが指したのは警戒する魔物の目撃地点分布の比較的外側、洞窟がある場所からは南西に二千ペス位の位置だった。
何も視界を遮るものがない場所なら五千ペス先でも『視』えるが、魔物がうろつく大森林の中でとなると話は別だ。
木や草、動物に加えて虫。識別眼を通して頭の中に読み込まれていく情報量は膨大で、さらに周囲の魔物への警戒も同時に行うというのは中々の高難度が予想される。
「洞窟がそんなに深くないといいんだけれど」
「自然に生まれたもののようでしたし、周囲の地形から見てもそんなに深くはなさそうでした。それでも中は真っ暗だったので確認は難しいと思いますが……」
「それは良い」
「視界にさえ入れば明かりは重要ではありませんので」
もちろんそこまで使いこなす為には相応の修練が必要だが、セントラとロクトが使う識別眼は暗所でも直接視界に入れば識別することが可能だ。
「まぁでもそうなると識別眼の行使で手一杯になりそうかな。護衛は二人欲しいところだね」
「少なすぎます!せめてその倍は連れて行ってください!」
「大所帯になればなるほど発見されるリスクは上がるよ。妥協案として案内役にフルティム隊長、護衛は二人のまま。第二第三小隊から各一人ずつ選出してくれ」
「では第二小隊からは自分が」
そう申し出たのはカーだった。第二小隊随一の実力者だ。隊長であるエヴァ・アイスティマも隣で腕を組みコクリと頷いて同意を示す。
アイスティマは植物の研究を専攻している根っからの研究者だ。己と同じく非戦闘員である。
「じゃあ第三小隊からはアタシが!!」
ドンッと力強く自分の右胸を叩いて名乗りを上げたのは、第三小隊隊長のミュース・ムスクロだ。アドムほどではないが背が高く、屈強な身体をしている女性剣士で、肉体強化の特質魔法を使う為、戦闘時は更に筋肉が大きくなる。
難しい事を考えるのが苦手で本来であれば調査部隊に配属されるはずないのだが、研究者として働き始めてから出会い、らしくない貴族令嬢同士馬が合って、セントラがベスティエに嫁いで来た際も一緒に付いてきた昔馴染みなのだ。せっかくなら己の下で剣を振るいたいと調査部隊を希望してくれて配属が決まったのだが、未だに彼女が調査部隊にいるのは勿体無いのではないかと思うことがある。
「ムスクロ隊長は駄目です!!いっつもいっつも事務仕事サボるせいで隊長が決裁しないといけない書類が山ほど溜まってるんですから!」
「何言ってんだクリス!これは大事な任務だぞ!セントラ大佐の護衛なら隊で一番強いアタシが出るべきだろ!」
「脳筋ゴリラは引っ込んでろください!僕が行きます!」
「はっ!?お前今なんつった!?」
「ここ十年以上模擬戦で僕に勝てた事ないでしょう!?」
「ぐっ!!」
「ということは僕が隊で一番強いので、僕が行きます!!」
調査部隊という頭脳労働多めの部隊に余りにも向いていない彼女の補佐として付けたクリス・メイは当時は平民の少年だったが、彼女の尻拭いに奔走しつつ剣の腕を磨き、年に一度王都で行われている爵位を持たない騎士限定の剣術大会で見事優勝し自力で一代騎士爵を叙爵してきた実力者だ。
最初の頃から今までもずっと、実質メイが隊長職を全うしているのだが、ミュースはアレでも御年六十を超えても矍鑠として現役であるムスクロ伯爵の嫡子であり独身を貫いている為、身分で言えば未だ伯爵令嬢である。隊長の責任を押し付けるにはちょうど良く、メイも副隊長の方が動きやすいらしい。
相変わらずのでこぼこコンビは本日も仲がよろしくて結構だ。これで第三小隊がうまく回っているので、結局の所人事はこのままでいいかと思えているのだ。
ちなみに実力は二人の言葉通り、力でねじ伏せられる対魔物であればミュースの方が強いが、二人が直接戦えば小柄で素早く頭脳戦が得意なメイがミュースを翻弄して圧勝する。実際は相性の問題なだけでその実力に差があるわけではない。
「そうだね。今回の任務は基本隠密だし、メイ副隊長の方が適任だと思うよ」
彼女は声も身体も大きいし。
「なんでだよ!!」
「そういうとこかな?」
「どういうとこだよ!!」
清々しいほど馬鹿だし。
「うん、全部」
ニッコリ微笑んではっきり言ってやれば、分かりやすくショックを受けて固まった。
しかし「君には君にしか頼めない任務があるし」と言えば「なんだ!それを先に言ってくれよ!!」とすぐに上機嫌になる。
昔からこういう所が素直で可愛らしく好ましい。
「今回の任務は数日は帰還出来ない遠征となるわけだけど、先程言った東側の掃討作戦は二、三日後には開始すると思う。それまでに調査部隊の中の戦闘員を纏めて本隊に合流し、将帥の指揮下に入ってくれ。あちらは人手はいくらあっても困らないだろうし、何より調査部隊にも強い戦闘員がいると証明してきて欲しい」
「なるほど!そりゃ確かにアタシにしか出来ない任務だな!」
もちろん調査部隊にそんな証明は必要ないし、ミュースにしか出来ない任務というわけではないけれど。掃討作戦に人手が必要なのは事実だし、彼女が参加すれば必ず大活躍するだろう。これこそ適材適所というものだ。
「よし。ではこれより森の主偵察及び交渉小隊を結成する!小隊長は私セントラ・ベスティエが務め、副隊長にロクト・ベスティエ大尉を任命する!」
「はっ!」
「ヴァルカイン・フルティム准尉は行軍ルートの設定と確認、クリス・メイ曹長とリット・カー軍曹は小隊の装備と兵糧の準備を本日中に遂行してくれ!」
「「「はっ!」」」
「明朝、調査拠点正門に集合!夜明けと共に出発する!では解散ッ!」
掃討作戦の方も気掛かりではあるが作戦概要は組み終わっているし、後はアドムに任せておけば問題ないはず。
調査は識別眼で気合を入れて臨まねば。
人語を解し操る森の主。いったい何者で、交渉が叶えば果たして何を語るのか。知識欲が疼いて、正直楽しみな気持ちも大きいのである。




