38:公爵は調査経過を確認する
ベスティエ辺境伯家から二通の書状が届いてから五日が過ぎた。あれからシルトは出仕を休み、書状の内容を伝えるのはシルトの側近のカルムと執事長のケネス、侍女長のニコラの三人のみに留めた上で、自ら調査の指揮を執っている。
まず初めに、娘の出生時に何が起きたのかを調べた。しかし当時呼んだ医者は大分前に亡くなっており、担当した産婆は引退して王都を去ったらしく、行方は杳として知れなかった。
ニコラから話を聞けば、あの日は邸中が混乱に陥っており、あちらこちらに呼ばれ対処しているうちに娘の出生とアイリスの訃報を聞いたらしい。カルムは己の側に居た為己の知らないことは知らないし、ケネスは別の仕事をしていた。
十六年も前の事で、当時いた使用人のほとんどはすでに邸から去っている。侍女長であるニコラが詳しくわからないのであれば、あの日何が起きたのか知る者はいない可能性が高い。
そもそも、入れ替わっていることに誰も気が付かなかったのだ。父である、己を含めて。
娘とモイラの入れ替わりについての調査はすぐに手詰まりとなり、それであれば三年前からこの邸で暮していたという娘について、まずは真実を伏せた状態で家人への聞き取り調査を行うことにした。
出てきた内容は酷いものだった。
彼女はライラの継子として三年前にこの邸に来た時から、離れにある下働きの使用人が使う四人部屋で生活していた。同室の使用人達に話を聞けば、朝起きればすでにその姿はなく、夜は他の全員が寝静まった頃に部屋に戻っていたので、同室とはいえ顔を合わせたのは数えるほどで、ほとんど喋ったこともないと言う。
その仕事内容は、朝夕モイラの部屋への湯運びに、広い庭園への水やり、邸に住む大人数分の洗濯、厩の掃除、食材の移動、食器洗いなど多岐に渡る。
通常グランツ公爵家の下働きは、洗濯なら洗濯メイドというようにそれぞれ専門に仕事が割り当てられている。各部署に於ける一番重労働の部分を寄せ集め、さらに他の使用人の分の仕事まで押し付けられることもよくあったらしい。
彼女が休憩している姿を見た事がある者はほぼおらず、食事も仕事の合間につまむ程度。休日は週に一日与えられていたはずだが、休むことなく毎日働いていたという目撃証言もある。
彼女が出発した時のままの状態であるというベッドとベッド下の物置には私物はほとんどなかった。支給されたお仕着せ二着と遮光用レースの代えが数枚。毎日休まず働いていたら貯まっていくばかりのはずの給金は何に使われているのか。
彼女にいくら支払われていたのか確認すれば、彼女は使用人名簿に名がなかった。載せる為の名が無いからだ。それでは彼女が働いた分の給金はどこへ?答えは、給金は支払われていないということだった。
これが、仮にも後妻の娘である男爵令嬢への扱いなのか?
同僚達は、彼女がライラの娘だと認識していなかった。貴族の娘であることに気付いている者すらいなかったそうだ。顔を隠した陰気な少女。痩せぎすの身体に艶のない髪。貧しい家から出稼ぎにでも来たのだろうと誰もが思っていた。
邸に来た当初は、哀れな同情を誘う姿の不慣れな新人の少女に優しく接しようとした者もいたようだ。しかし、彼女の代わりに湯桶を運んだメイドがモイラから理不尽な叱責を受け、突然解雇された事で、彼女には関わらない方がいいという見解が広がったのは早かったという。
彼女はただひたすらモイラに嫌われている使用人で、優しくすれば主家の反感を買う存在。むしろ、一部の怠け者にとっては雑にこき使っても誰にも文句を言われない都合のいい相手だった。
ぐしゃり、と調査報告をまとめた紙を握りつぶし、「全員解雇しろ」と口から出そうになるのを、シルトは必死で押しとどめた。
わかっている。多くの使用人達は働く家の令嬢に逆らえなかっただけだ。紹介状もなく不当に解雇された者を目の前で見たら彼女に手を差し伸べようとは思わないのは理解できる。
けれど、それで何の罪もない同僚の少女に仕事を押し付けて平気な顔でいる者が公爵家で働いているなど言語道断だ。
「……彼女に仕事を押し付けていた者どもを洗って一人残らず解雇しろ。紹介状も出さなくて良い」
「かしこまりました。確認作業が終わり次第そのように」
「そもそもこの仕事内容はどうなっている?誰が何を思って十三の幼気な少女にこの様な重労働のみを寄せ集めた仕事を割り振った?」
報告書には娘がこの邸でどう扱われどう過ごしてきたのか、その事実しか記されていない。読むだけで怒りに狂いそうになるこの状況に至った経緯は一体どうなっているのか。シルトは鋭い視線で家人の総括を担っているケネスを睨んだ。
「ロベリアという平民の女です。ライラ様が家政の差配をなさるようになった時に、下働きのメイドの纏め役に任命されました。勤続十年を超えており、仕事の報告まとめも率先して行う、表面上は真面目なメイドでしたので、下働きの実情を知らないライラ様からすれば順当な人事ではあったでしょう。
しかし、実際のロベリアは権力におもねることが得意で、要領だけは良い最低な女でした。今回の調査の中でメイド達が一番多く口にしたのは、纏め役となったロベリアへの不平不満です。普段は自分は何もせず人に仕事を振るだけ振り、上への報告時にはさも自分が一番働いたかのように虚偽の報告をし、侍女や執事などの自分より上の立場の者が見ている時だけはきびきびと働いて、その目がなくなった途端に周りのメイドに八つ当たりをするそうです。特に、若いメイドや見目の良いメイドにきつい仕事を振るのは、一緒に働いていた若いメイドに結婚を予定していた男を盗られた所為で行き遅れてしまったことを逆恨みしているからだと」
愚かな。その女は娘の事がなくとも厳罰が与えられる事をしでかしている。それを三年も放置してしまったとは。
「……誰も彼女のレースの下を見た事はないと証言していると聞いているが、ソレは見たのか?」
それだけのことをした女だ。普通に話を聞くだけでは口を割る事はないだろう。恐らくその女の聞き取りを担当したであろうカルムへと視線を移す。
「初めはそんな子知らない、覚えていないと嘯いていたのですがね。少しばかり話したくなるように丁重に扱ったら正直に全部話してくれましたよ。
三年前、纏め役に就任したばかりの自分の所にモイラ様の侍女が少女を連れてやってきたこと。モイラ様の命で下働きのメイドをさせることになったので、朝夕だけはモイラ様に働いている姿を確認させるようにと言われたこと。ただし、下働きはさせるが彼女は貴族令嬢であるのでそれ以外は人目に付かない所で楽な仕事をさせればよいとも言われたこと。侍女が去った後で彼女にレースを取るように言えば母からの言いつけで外すことは出来ないと言われカッとなって無理やりレースをむしり取ったこと。その顔が憎い女の顔に似ている気がしたのでつい重労働を振り分けたこと。目に問題があるのは分かった上で仕事の覚えが悪いと体罰を与えたこと。仕事に文句のつけようがなくなっても顔を合わせれば何かしらの暴言を浴びせたこと。彼女の分の給金が支給されていないことには気付いても黙っていたこと。休日をわざと伝えなかったこと。休憩を与えなかったこと。食事もゆっくりとらせなかったこと。早朝から深夜まで働かせて、他の人からも仕事を押し付けられていてもいい気味だと思っていたこと」
ダンッ!!
机に拳を叩きつけて聞くに堪えない報告をどうにか呑み込む。頭が沸騰しそうだ。血が逆流して降りてこない。歯を食いしばって耐えれば、唇の端から血が流れた。
五日前から何度も起こる魔力の暴走に身体中が悲鳴を上げている。豊かで艶やかだった金髪には白いものが混じり、肩に落ちる毛が増えた。何度も食いしばった奥歯が欠け、口内はいつでも血の味がするようになった。何を食べても吐き気が収まらず、けれど今は絶対に倒れる事は出来ない。文字通り血反吐を吐きながら生きている。
「……それで?今はどうしている?」
「お嬢様がグランツ公爵家の嫡子と認められるまでは大した罪には問えません。現状ロベリアの罪はグランツ公爵家に対する詐欺罪、及び同僚達への背徳行為、それから男爵令嬢への不敬罪。グランツ公爵家としては賠償の請求と永久解雇処分程度が妥当な罰でしょう。
ですので、彼女には未だ公爵家で働くメイドの一人として、邸の地下牢の掃除を命じました。床や壁に染み込んだ血痕や汚物が綺麗になるまで持ち場を離れないように厳命しておきましたので、次に外に出てくる時はお嬢様がグランツ公爵家に帰っていらした時になるでしょう」
「大人しく掃除をしているのか?」
「まさか!ずーっと自分はライラ様に与えられた権限の中で最善を尽くしただけで、彼女への執拗な嫌がらせはモイラ様の為にやったことだ!モイラ様に言えば褒めてくださるはず!ライラ様とモイラ様が自分が不当に牢に入れられていることを知ったらお前如き簡単に解雇されるだなんて妄言を吐いて看守を困らせているそうですよ」
瞳を閉じて、頭を振る。今の話を脳内でまとめて、最後に一つ確認をする。
「……モイラが指示したのは、下働きのメイドとして働くように。だけか?」
俯いたままそう呟けば、答えたのはニコラだった。
「おそらくは、そうでございましょう。モイラ様はメイドの仕事内容など詳しくご存知ありませんし、実際にお嬢様と顔を合わせるのも朝夕の湯運びの時だけだったようです」
「ロベリアに便宜を図ったことは?」
「直接話したことすらないはずです。……モイラ様は傲慢で我儘な所があり口が悪く暴言を吐くことはあっても、誰に対しても暴力を奮われたことはございません。ずっと、人を癒す力と守る力を手に入れたいと渇望されていた方ですから……」
安堵と共に、胸の奥がズクリと痛んだ。
正直な所、実の娘ではないと発覚したモイラとどう向き合っていいのかわからないでいる。
入れ替わりについては本人にまったく非が無いのは分かっているが、モイラがあの子にした仕打ちに対しては憤りを感じている。
しかし、モイラがそう育ったのは、紛れもなくシルトの所為だ。己の無関心がモイラを傷付け、己の冷淡さがモイラを歪めた。
全ての元凶となったあの女のことは絶対に許さないし何があろうと罪を償わせるが、あの女の娘であるモイラを、しかしこれまで己の娘であったモイラを。どうしたいのか、どうするべきなのか、わからないのだ。
「……モイラは今どこにいるか調べはついたか?」
「二週間程前、グランツ領の端の小さな村に公爵家の馬車に乗った一行が数刻ほど停留したそうです。通る予定のなかった場所での停留はその一度のみなのでおそらくその近くではないかと。現在も捜索は続けています」
シルトは王城への出仕がある為、領地であるグランツ領にはそうそう帰領出来ない。しかし領の管理運営はグランツ公爵家が行っており、身内の人間が誰かを隠したり匿ったりするには丁度良いということか。
今回も、もしベスティエで娘の事が発覚していなければ、多少帰還ルートは外れたところでその先がグランツ領なのであれば詳しく追及することはなかった可能性もある。ベスティエへの遠出のついでに様子を見に寄ってきただけだと言われれば、そのようなどうでもいい事をわざわざ報告してくるなとすら言ったかもしれない。
本当に思い知る。無関心とは、罪なのだ。
「それでその一行の現在位置は?到着は今日と聞いていたのだが」
「そうですね、おそらく……」
コンコン……
執務室に控え目なノックの音が響く。
「ちょうど、ご到着されたようです」
椅子から立ち上がり窓から外を見下せば、玄関から慌ただしく使用人たちが出て行く姿が見えた。
邸から離れた場所にある門がゆっくりと開いて、大きな盾を模った我が家の家紋入りの馬車が列を成して入ってくる。
護衛についている騎士達にも今回の件は伝えていない。彼らの態度に変化があれば、こちらが気付いたと悟り、逃亡を図る恐れがあったからだ。
けれど、あの女はこのグランツ公爵家の邸に帰ってきた。
己の所業が露顕したと気付いた時、果たしてあの女はどんな顔をして何を語るのだろうか。
二度とこの邸の床を踏ませるつもりはない。罪人には罪人に相応しい場所がある。
「丁度先客が会いたがっているようだし、その隣に案内してやるといい。すぐには話す気にならないかもしれないが、地下牢で数日も過ごせば話したいと自ら申し出てくれるだろう」
「かしこまりました」
「奴は毒の特質魔法を使う。拘束後すぐに魔封じの首輪を嵌めくれぐれも自死を許すな。聞かねばならない事は腐るほどある」




