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33:辺境伯後継はプレゼントを贈る




 帽子の鍔をきゅっと掴んで俯いた彼女の手を引いて門をくぐり、目当ての商店が並ぶ通りに向かってゆったりとしたペースで歩いてゆく。


 彼女は街歩きは初めての経験だと言っていた。目に入るものすべてが新鮮なのだろう。眼下でワインレッドのリボンがひらひらと蝶のように動くのが微笑ましい。


「わぁ……聞いていた通り、すごい人ですね……!」

「ええ。ですから、手を離さないでくださいね」

「確かに……一度はぐれたら中々合流出来なさそうです」


 たとえはぐれてしまってもすぐに見つけ出せる自信はあるが、離れないに越したことはない。

 先ほどまでより少しだけ握った手に力を込めて。行き交う人の流れにぶつからないよう、さりげなく誘導しつつ通りを進んで、目的の店の前までたどり着いた。


「こちらです」


 硝子のはまった木の扉を押し開ければ、扉上部についたドアベルがカランカランと音を立てる。


「はーい!いらっしゃいませー!」


 店の奥から聞き馴染みのある女店主の声が響くのを聞きながら、扉を抑えて彼女の入店を促した。


「ええと……ロクト様、こちらは何を扱うお店なのでしょう?」


 店に足を踏み入れ、彼女は興味深そうにきょろきょろとそう広くはない店内を見渡している。

 店内には三人ほどが並んで座れる程度のカウンターが設置され、店の奥から出てくる店主と対面するつくりだ。


 侍女二人は存在感を消して店の隅に並んで控え、ツェルはどうやら店の外で待機するらしい。


「俺とお揃いのものをお贈りしたいと思いまして」

「お揃い、ですか?」


 疑問符を浮かべる彼女ににっこりと微笑んだタイミングで、女店主が現れた。


「あっらー!ロクト様じゃないですか!お久しぶりですねぇ!今日は修理ですか?それとも新作をお買い求めに?」

「今日は俺じゃなくて、彼女にぴったりなものを作ってもらいに来た」


 彼女をカウンターの椅子に座るよう促してから、彼女の隣に腰掛ける。


「まぁ!すっごい美人さん!ロクト様も隅に置けないわねぇ!えぇえぇ、任せておいてくださいな!さぁて、ではお顔をよーく見せてくださいねぇ」


 彼女は女店主の喋りの勢いに若干引き気味ではあるものの、カウンター席に座っている状態では女店主から逃れることは出来ない。

 女店主は彼女の帽子をそっと外して隣に座るロクトに手渡すと、彼女の目の前に人差し指を立てて見せる。


「はーい、ではこの指を視線で追ってくださいよ!」

「は、はい……」


 彼女はまだ状況が掴み切れていないようではあるが、素直に指示に従って、その視線を動かしている。

 女店主は確認するように何度か指を動かしてから、終了の合図にパチンとその手を合わせて頷いた。


「はい、いいでしょう!詳しい検査は後ほどさせていただきますけどね!まずは形のご提案から!」

「ああ」


 この女店主は母が嫁いできた時にジニー領にある本店から引き抜いて連れて来たお抱えの職人だ。

 腕も見る目も確かで、ロクトも幼い頃から世話になっており、全幅の信頼をおいている。


「お嬢様には就寝時以外ずっと両目の矯正が必要そうです。なので長く着けていても疲れない、軽くてしなやかなタイプであることが最重要ですね!多少耐久性を犠牲にすることにはなりますけど、落としたり踏んだりしなければ問題はありませんからご安心を!それからデザインですけれどね。お嬢様はお顔も小さくて驚くほど美人でいらっしゃるから!正直どんな形のものでも似合うはずですけれど顎もしゅっとしていらっしゃいますからね!一番のオススメはこれ!セントラ様もロクト様もご愛用の、ラウンドタイプの丸眼鏡ですわ!」


 立て板に水を流すような話振りにいつもながらに舌を巻く。


 女店主がカウンターの下からレンズの入っていないフレームを一つ取り出して、蔓を彼女の耳にそっとかけてみせた。

 彼女はそのまま数度瞬くと、こちらに顔を向けて小首を傾げた。


「……っ!」


 あまりの可愛らしさに心臓が止まりかける。

 オーバーサイズのフレームが彼女の形の良い鼻梁をするりと滑り落ちかけたのもご愛嬌。思っていた通り、眼鏡をかけた彼女もとても魅力的だ。


 彼女に眼鏡を贈りたいと思ったきっかけは、彼女がルーペを用いて本や書を読み、ベスティエについて学んでいる姿を度々見かけることに起因する。


 これまでの彼女が眼鏡を着用していなかったのは遮光の為のレースが必須だったこともあるが、一般的に流通している眼鏡の使いづらさも大きく影響していただろう。従来の蔓のない眼鏡は眉と頬骨の間に挟んで使用するものだったが、彼女のように顔が小さい女性に合うものは中々見つからなかったのかもしれない。

 いずれにせよ、様々な理由があって、眼鏡で視力を矯正するという選択肢はとれなかったのだと思う。


 けれど。識別眼を継承するジニー伯爵領では視力に問題がなくても眼鏡を必要とする人が多く、昔から眼鏡の使いやすさを上げる研究が盛んに行われていた。他領にはあまり知られていないが、ジニー領で生産される眼鏡はよそで作られるものより遥かに使いやすくなっている。

 硝子を加工し凹凸を細かく調整出来る技術や、金属にわざと弾性をもたせる技術。直接肌に触れる部分が痛くならないよう考案された樹脂由来の新素材。下を向いたり、長時間使用しても疲れないよう配慮された蔓。


 詳細な内容が流出すれば軍事利用されかねない技術が多数使用されているが、ジニー伯爵家の研究者の手にかかればその技術は眼鏡を作る以外にまったく役に立たないものだと納得させることは容易い。識別眼を行使できない者には理解の及ばない領域の技術ということだ。


 そのジニー領での研究成果と眼鏡作りに必要な技術をしっかりと継承しているこの店の女店主なら、必ずや彼女にぴったりの眼鏡を提供してくれるはずだと信じていた。


「いいですね、とても。よくお似合いです」

「ありがとうございます……自分ではわかりませんが、変でないのなら良かったです」

「えぇえぇ、本当にお似合いですよ!だけどやっぱり一般的なサイズのものでは大きいですねぇ。これじゃあ動く度にズルズルと落ちてしまって大変ですから、もちろんオーダーメイドでお嬢様にぴったりのフレームをこれから作成させていただきますよ!さぁさ、奥で詳しく検査いたしましょうねぇ!」

「今後解毒が進めば度の変更も必要になると思います。その時はまた一緒にこの店を訪れればよいので、今の貴女にぴったり合う眼鏡を作成してもらってください」

「かしこまりました。ありがとうございます、ロクト様」


 女店主に案内されて店の奥へと消える彼女を見送って、二人の会話が遠くなった頃。背後から感嘆の声が聞こえた。


「いやー、やりますねロクト様。自然に次のデートの約束まで取り付けるなんて」

「うるさいな。別にそういうつもりで言ったわけじゃない」

「へ~そうですか~。ねぇキャシー、お嬢様が照れてしまって恥ずかしそうに帽子で顔を隠していらっしゃる時、帽子の上を見上げてみればいいと思わない?」

「たしかに。ご自身以上に照れて赤くなったお顔を見れば恥ずかしさも緩和されるかもしれないわね」

「好きに言えばいい」


 ここぞとばかりにからかってくる二人の侍女の話は聞き流しつつ、自身の眼鏡を一度外し、曇りのないそのレンズを手持ち無沙汰に拭いてから再び掛けなおす。


「わぁ!」


 店の奥から小さな感嘆の声が響いて、つい笑みが零れた。


 彼女にとって初めての、鮮明な世界。

 それが、ロクトが贈りたかったプレゼントだ。




週一投稿難しそうです。来月までには何とか続き書きます!

もっと早く書けたら早めに投稿いたします。ブックマークしておいていただけると更新すぐにわかりますのでよろしくお願いいたします。

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[良い点] 続きを楽しみにしております。 とても
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