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31:専属侍女は進展を切望する




 玄関ホールに向かう長い廊下。

 少し前を歩いていたお嬢様がくるりとこちらを振り返って小首を傾げた。


「ねぇ、やっぱり変じゃないかしら?レースがないと落ち着かないわ」


 ワインレッドのバックリボンがあしらわれた広い鍔のついたベージュの帽子に、大きな白い襟のついたスモーキーピンクのロングワンピース。足元は革の編み上げブーツで装って、帽子の鍔をきゅっと摘まんで引き下げようとしながら朝から何度目かの同じ質問を投げかけてくるお嬢様はとても可愛らしい。


 今日はお嬢様がロクト様の案内でベスティエで一番大きなペリヤという街を観光する予定の日だ。


 ベスティエでは後継であるロクト様の顔は広く知られており、貴族らしい格好で歩いていては目立って仕方ない。その為お忍び町娘風コーディネートを用意したつもりだったが、お嬢様は可愛すぎた。

 立ち居振舞いも洗練されていて、どこからどう見たって町娘には見えない。


 まぁどうせロクト様も平服を着たところで顔が良すぎて目立つのだ。隣を歩くお嬢様が可愛すぎることくらい何の問題にもならないだろう。


「もう眩しさはだいぶ緩和されたのですよね?それならレースはない方が視力の回復に良いとサナーレ卿もおっしゃっていたじゃないですか!」

「そうですよ。お嬢様は瞳も綺麗なのですから隠したらもったいないです」


 お嬢様が毒された瞳にコンプレックスを感じていることはエリザベスもキャサリンも気付いていた。

 けれど知って欲しい。貴女の瞳は本当に綺麗なのだと。


 治癒が進んできて、瞳孔の調節が出来るようになってきたその瞳の虹彩は、美しい紫色をしていた。


「けれど焦点が合わない瞳を見ていると不安に……」

「「なりません!」」


 エリザベスとキャサリンが綺麗に口を揃えると、お嬢様は少し顔を下げ「そう……ありがとう」と申し訳なさそうに微笑んだ。


「でも道中眩しく感じたら帽子の鍔を下げてしっかり遮光してくださいね。無理は禁物ですから」

「ええ、そうね。気を付けます」


 もう一度お嬢様がレースを取りに部屋に戻りたがる前に玄関ホールにたどり着いてもらうため、まだ少し遠くに見える影に向かって手を振って声をかければ、こちらに気が付いた己の婚約者がロクト様の肘を小さくつついた。


「おはようございます」

「おはようございます、お待たせいたしました」


 ロクト様は黒いキャスケットにいつもの伊達眼鏡。白いシャツに茶色のベストを合わせて、濃灰のパンツに革のショートブーツといった装いだった。 

 いつもの街に行く時の格好よりも気合が入っていると感じるのはきっと気のせいではないだろう。


 ロクト様はお嬢様の愛らしい姿に一瞬瞳を細め、にっこりと笑ってエスコートの手を伸ばした。


「今日が来ることをとても楽しみにしていました。貴女のエスコートが出来て光栄です」

「私の方こそ、今日が楽しみで夜は寝付けず、朝方に目が覚めてしまいました!本日はよろしくお願いいたします」


 街の観光が楽しみなのか、ロクト様とのお出掛けが楽しみなのか。どちらともとれる言葉で蕩ける笑顔を見せるお嬢様は中々に無自覚で危うい。

 その様子にロクト様も少し動揺を見せたが、気を取り直してお嬢様の手を取った。


「どこか見たい場所や行きたい場所は決まっていますか?」

「もし時間があれば……ペリヤで一番大きな教会に、ベスティエを一望できる高い鐘塔があると聞きました。遠くを見ると視力の回復にもいいと伯父様も仰っていましたし、登ってみたいです」

「よかった、鐘塔もご案内予定でした。では出発いたしましょうか」

「はい、ありがとうございます!」


 玄関の前に用意されていた四人乗りの馬車にロクト様とお嬢様が隣合せに座り、エリザベスとキャサリンがその正面に乗り込む。御者の隣にツェルが座って、馬車を出すよう指示を出した。


 あまり目立たないように家紋の入っていない一般的な馬車ではあるが、乗り心地は悪くない。……普段であれば。


「……あの、ロクト様?」

「はい、なんでしょう?」

「手が……」


 呆れたことに。ロクト様はエスコートで取ったお嬢様の手を馬車に乗ってからも離さず、寧ろかたく繋いだまま自身の膝に置いていた。

 顔も体も視線も意識も。全てがお嬢様の方向に向けられており、正面の二人の侍女の存在など完全に目に入っていない様子だ。


「ペリヤはとても人が多いのです。人混みではこのように手を繋いでいないとはぐれてしまう恐れがありますから、今日一日は我慢していただけませんか?」

「ええと、けれど今は……」

「今から慣れておきましょう。街で手を繋いでいることが自然である状態を作るために」

「なるほど……?」


 まったく。純粋で素直なお嬢様を詐欺師のような完璧な笑顔で言いくるめるなんて。紳士としていかがなものかと思うところではあるのだが。

 奥様の目の届かない今日に限っては、度を越さない限りは目を瞑ろうと決めている。


 何故ならば。お嬢様とロクト様の婚姻は、己の婚姻の時期に関わるからだ!


 婚約者であるツェルから婚約者を申し込まれたのは、もう五年前のことだ。

 エリザベスは今年二十歳になった。同年代の友人知人たちは十五で成人してからどんどん婚姻を結んでゆき、気が付けば貴族社会において立派な行き遅れ令嬢と呼ばれるようになってしまった。


 自身が家を継がない続柄の場合、キャサリンのように家を出て主家に尽くし、生涯独身を貫くという意志を持った貴族女性も存在はする。


 けれど。エリザベスには婚約者がおり、彼に嫁ぐことを望み、早く彼との子だって欲しいのに。

 主であるロクト様が婚約者すらいない状態だった為に、ずっと先延ばしになっていたのだ。


 しかし。この度めでたくロクト様はお嬢様に出逢った。

 この機を逃せばエリザベスの婚姻はいつになるかわからない。絶対に逃してなるものか!


 と、いうわけで。今日はお嬢様がお嫌でなさそうなら口付けまでは見ない振りをしよう……というより、どんな劇団の役者たちより美男美女であるお二人のキスシーンはとても絵になるに違いない。個人的に見たいまである。


 黒い笑みがもれそうになって、お嬢様の目に留まらないようにと隣の席に目をやれば。


「……」


 そこには完全に置物と化したキャサリンが空気のように存在していた。

 これがプロの侍女か……!と尊敬の念を新たにして、己も見習って置物の振りをするべく息を殺す。

 ロクト様は監視の目があろうとなかろうと気にしないだろうが、お嬢様はそうではないだろうから。


 おそばで見ている限り、脈ありなのは間違いないと思う。女の勘が、お嬢様の心にも恋が芽生え始めていると囁いている。

 問題はお嬢様が押しに弱いタイプなのか押されると逃げたくなるタイプなのかだが、残念なことにまだお嬢様と恋愛話をするまでの間柄には至らず、どういった異性がお好きなのかわからない。


 ロクト様にとってもお嬢様が遅咲きの初恋相手だ。けれどロクト様は特殊な形態ながらとても仲睦まじいご両親を見て成長された。どちらかと言えば旦那様寄りのストレートな愛情表現の仕方を嬉しく感じる女性は多いと思う。


 どうにかして!お嬢様の心をグっと掴んで!お二人には幸せになっていただきたい!


 出来れば、一刻も早く。己の幸せの為にも。そう切望してやまないのだ。

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