23:サナーレ侯爵の来訪
王都での社交シーズンも終わり、フィオーレ王国の南西に位置する自身の領地で過ごしていたクラティオ・サナーレ侯爵の元に早馬の報せが届いたのは、見張りの門番以外寝静まる深夜のことだった。
寝室で休んでいた侯爵に執事から届けられたベスティエ辺境伯家の家紋が捺された封蝋で綴じられた封筒には、インクが渇く前に仕舞った為であろう、『緊急』の文字が擦れて霞んでいた。
ベッドサイドテーブルの灯りをつけて中を確認すれば、そこに書かれていたのは予想だにしない内容だった。
「モルドー!」
「は。ここに」
「深夜にすまない。急ぎ馬の用意を!すぐに出る!」
扉の外で控えていた執事に指示を出し、深夜に起こすことになってしまった妻に着替えを手伝われながら、手紙の内容をかいつまんで説明した。
妹の娘が今ベスティエに滞在していること。それは自分の知る『モイラ』ではないこと。十六年間ずっと入れ替わっていたこと。そして、渦中の姪の瞳が毒に冒されていること。
クラティオの胸中は複雑だった。どうしてそんな事態になっているのかという疑問と、実の姪が受けた仕打ちに対しての怒り。
そして、己の知るモイラという少女に対しての、憐憫。
「行ってくる」
「お気を付けて」
妻と執事に見送られて出立する。これから休まずベスティエへ向かえば二日後の朝には到着するだろう。
馬を駆りながら、頭に浮かぶのはモイラのことだった。
モイラとは数回しか会ったことはない。彼女と会うと、毎回同じ質問をされた。
『伯父様、治癒の特質魔法の修得のコツを教えていただきたいの。前の方法では駄目だったわ。だから別の方法で』
幼い頃から最近に至るまで。彼女はずっと、ひたすらに特質魔法の修得を目指していた。
そのせいで通常魔法の修練や、貴族としての勉強を後回しにしていたとも聞いている。
『私がお父様の結界の特質魔法も、お母様の治癒の特質魔法も修得できないから……だから愛していただけないのよ。そうじゃなかったら愛されないはずないでしょう?
だって、私は公爵家の一人娘よ!お父様とお母様に似なかったのは私のせいじゃない!お母様が私を産んで儚んだのも、私にはどうしようもない!』
公爵に愛されないことを嘆き、そのストレスを高額な買い物や下の者に当たることで発散する。
姪が哀れで何度か公爵と話をしたこともあったが、彼は妹と似た己の姿を見るのも辛いようで、うまく説得することはできなかった。
そもそもライラは何故このような事を?
実の姪の瞳が冒された毒は、ライラの実家であるニーヴ子爵家の毒の特質魔法による魔力阻害だという。彼女がこの事実を知らないはずはない。
ライラはアイリスの侍女としてよく仕えてくれた。アイリスにとってはただの侍女ではなく、かけがえのない姉のような存在だったはずだ。
己にとってもある意味身内のような存在で、彼女の所業に気が付けなかった自責の念に駆られる。
言われてみれば、モイラの顔はライラの結婚式で会った新郎の男爵とよく似ていた。
「……」
首を振る。今後悔しても詮無い事だ。
とにかく馬を駆る。一刻も早くベスティエにたどり着くように。
◇
「サナーレ卿!よく来てくれた。急がせてすまない」
二日後の早朝。途中の街で馬を数頭乗り換え、乗り継ぎで借りた馬車の中で数時間の睡眠をとりつつ、予定通りベスティエの領主の城に到着した。
玄関の前には遠目からも目立つ辺境伯夫妻と、他数人が後ろに控えて出迎えてくれた。
馬を降り、馬丁に預けて乱れた服装と髪を手早く整えてから頭を下げて礼をとった。
「ベスティエ卿、ご無沙汰しております。この度はうちの身内の者がご迷惑を……」
「クラティオ殿、お久しぶりです」
まずは謝罪を、と膝をつこうとしたが、驚くほど昔と変わらない妹の親友がそれをやんわりと拒む。
「ああ、セントラ……いや、ベスティエ辺境伯夫人」
「みずくさいですねぇ。どうぞこれまで通りセントラのままで。
堅苦しい挨拶は抜きにして、うちの嫁を診てもらっても?」
「嫁……?」
セントラの言葉に困惑して周囲の様子を伺えば、ベスティエ辺境伯はやれやれと首を振り、その後ろでセントラそっくりの青年が満足そうに頷いていた。
その隣に控えている、目許をレースで覆ったプラチナブロンドの少女。
ああ、この子が。
「こちらがクラティオ・サナーレ侯爵、君の伯父上だよ。そして彼女が将来の私の義娘。貴方の実の姪にあたるグランツ公爵の正統なる嫡子です」
そんな紹介を受けた少女は反応に困った様子で少し慌てて、しかしとても美しいカーテシーをして見せた。
「お初にお目にかかります、サナーレ侯爵……」
少女がその先を言い淀む理由は、セントラの紹介のせいだけではない。
彼女には、真名が与えられていないと聞いた。それはこの貴族社会においてあり得ない話だ。
さらに数日前まで彼女にとっての家名は『エーピオス』で、そう信じて生きてきたのに、突然君は『グランツ公爵令嬢』だったのだと言われても、簡単に受け入れられるはずはないだろう。
「堅苦しい挨拶は省いて良いと言われているからね。早速君の目を治そう」
「しかし侯爵は長旅を終えられたばかりでお疲れなのでは……」
「君を一刻も早く治癒したくて不休で来たんだ。早く君を治して一息つかせて欲しいな」
そう言って微笑めば相手が断れない事は知っている。
彼女の言う通り長旅の疲れがないと言えば嘘になるが、彼女の目の毒をそのまま放置して休憩など出来るはずもない。そう思うからこそ、夜明けを待たず出立したのだ。
「治癒魔法の行使には直接患部を見る必要があります。彼女が眩しくないように暗い部屋を用意していただけますか?」
「もちろんだ。案内しよう」
辺境伯の案内で城内の廊下を進みながら、少し前を歩く彼女の後ろ姿を眺める。
線が細く小柄に見えるが、身長はモイラと同じくらいだろうか。背中に真っ直ぐ降ろされたプラチナブロンドがかすかに揺れて、公爵家に輿入れが決まった頃の妹の姿と重なって見えた気がした。




