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22:エーピオス家執事の決意




 グランツ領の端。人里離れた林の中、こじんまりとしているがよく手入れされている邸が建っている。


 普段鳴る事のないノッカーの音に、いつでも完璧に着用している燕尾服のスリーピースに皺がない事を確認してその玄関の扉を開いた。


「久しぶりね、パッセン」

「ご無沙汰しております、グランツ公爵夫人。ご健勝のこと何よりでございます。どうぞ中へ。すぐに部屋をご用意いたします」

「部屋の準備は一人分でいいわ。しばらく滞在するからそのつもりで。世話を頼むわね」

「畏まりました」

「お義母様、本当にここに住むと言うの?私一人で?」


 三年前から邸の管理を任されていた老執事、パッセン・アウロフは、この邸に来てから初めての客人を出迎えることになった。

 幾分か派手になったかつての主の奥方が連れて来た少女は、確かに主の面影が見て取れた。


 胸に懐かしさがこみ上げて目頭が熱くなったが、老執事は伊達に歳を食っているわけではない。表情にはおくびにも出さず、その少女を観察する。


「私の侍女は?」


 不安に揺れる晴れた空色の瞳は主と同じ色で。しかしその気の強さの現れは主にはないものだった。


「元の侍女をつけるわけにはいかないの。わかるでしょう?すぐに新しい侍女を用意するわ」

「こんな林の中で……どこで買物すれば良いのよ!」


 よく手入れされたふわふわの髪は主と同じ太陽のような金色で、少女の身を包むドレスは一目見て最高級品であるとわかる。小さな領であれば、あのドレス一着で領民の一年間の食費を賄えるだろう。


「着飾ったところで披露の場もしばらくないわ。少しの間だから。我慢してちょうだい」

「何の娯楽もないこんな辺鄙な邸に置いていくと言うの!?こんなのあの田舎に輿入れするのと何も変わらないじゃない!お義母様ひどい!私が本当の娘ならこんな扱いをするはずがないわ!」


 目の前にいる婦人が自らの母とは知らぬ少女の言動が痛々しい。主が聞いたらどんな悲しむことだろうか。


「我儘を言わないで!あなたがそうだからこんな事になってしまったと何故理解しないの!?あなたが公爵令嬢に相応しい振舞いが出来ていればこんな選択をしなくて済んだかもしれないのに!」

「ひ、ひどいっ……!お義母様はいつでも私の味方だと言っていたじゃないっ!」


 激情に駆られ涙を流す表情は、お嬢様が寝静まった深夜、その穏やかな寝顔の前で苦悩していた主の姿を思い出させた。


「……あなたがちゃんと自分の役割を果たしてくれれば、一生優しくいられたわ」


 残酷なことを言う。


 今グランツ領ではグランツ公爵家とベスティエ辺境伯家の婚姻に関する噂話で賑わっている。

 公爵家の我儘令嬢がついに辺境に嫁に出されたとか、ベスティエ辺境伯家の野獣令息が美女を所望したのだとか、火のない所に煙は立たなかったり、根も葉もない噂話だったりが飛び交っているのだ。


 しかし。これはどうやら前者の噂が真実だったようだ。


 少女はグランツ公爵についに見放され、本人が望まぬ嫁に出されたのだろう。

 さすがに実の娘の不幸は見過ごせなかった夫人が密かに少女を逃がしここに連れてきたというところか。



 彼女は十六年前から何も変わっていない。行き当たりばったりに、周囲が不幸になることも構わず、己の欲望を叶えようと行動する。


 その所為で、旦那様は……


「では、王都に戻るわ。旦那様を説得できたら文を出すから」

「お義母様っ!!」


 少女が泣き叫んでも、彼女は振り返る事はなかった。

 小さな馬車に乗り込み、林道を遠ざかって行く。


 少女は絶望に似た悲嘆に暮れた表情をしている。公爵家を離れたのも初めてであるし、ライラに突き放されたのも初めての経験なのだろう。


 こんな表情を見るとお嬢様を思い出す。本来なら与えられたはずのものを全て奪われた、哀れな少女だった。

 主の一番の心残りであろう彼女は元気でいてくれているのだろうか。



 旦那様が亡くなりエーピオス家の取り潰しは決まったものの、行く当てのない娘がいる家の邸までは取り上げられはしなかった。

 しかし少女が一人で暮らすには広すぎる邸を維持し貴族の義務である納税を続ける為には、旦那様が遺した遺産を使い切り、ドレスや宝石類、家財道具まで売り払らわざるをえなかった。

 パッセンも少女に悟られないよう表向き執事として雇われながらも、旦那様の遺産の中に自分の蓄えをこっそり加えて支援していた。それでも生活は苦しかった。

 貴族であるからこそ市井で働くこともできず、他の貴族の家に奉公に出る事も元夫人(ライラ)が許さず、満足な食事すら出来ない程に少女は困窮していた。


 旦那様が亡くなって二年。とても見ていられず、少女を連れてアウロフの親類の元に身を寄せようかと本気で悩んでいた頃、二年間一度も顔を出さなかった元夫人が少女を迎えに来たのだ。


 彼女に対しては怒りの感情など疾うに振り切れ呆れしか残っていなかったが、その時彼女を責める言葉を飲み込めたのは奇跡に近い。

 父を喪い、唯一遺った身内である母に二年間放っておかれたにも関わらず、人前では恨み言の一つもこぼさず涙も見せなかった少女が、二年振りに再会した母親(ライラ)を見て嬉しそうに微笑んだのをレースの下に見てしまったから。あまりにも哀れで、胸が痛み、何も言葉にならなかった。


 ライラはグランツ公爵家の後添えに入る事になり、公爵が連れ子が外で暮らすのは醜聞になる可能性があるから公爵家で暮らすようにと命じられたので少女を迎えに来たと説明した。

 公爵の命がなければ少女はずっとこのまま放任され、この邸に軟禁されていたのだろう。


 当然だ。少女はアイリス様に似すぎている。アイリス様を知っている者が少女を見れば一目で分かる。少女こそが、アイリス様の血を引く正統なるグランツ公爵令嬢であると。


 公爵家に連れてゆく前に「あなたの焦点の合わない瞳は見る人を不安にさせるので絶対に人前でレースを外さないように」と念を押すライラを見ていると旦那様の遺言を守れなくなりそうで、どうにか見ない振り、聞かない振りをして耐えた。


 旦那様は最期まで彼女を信じていたが、パッセンは疑いを払拭できていない。


 ライラの特質魔法は、『毒』だ。


 少女の瞳は生まれつきなどではなく、毒に冒されているのではないだろうか。

 そう考えれば全て辻褄が合うのだ。


 産まれたばかりの赤子は金髪で、前日に産んだばかりの自分の娘と違いはそうない。まだ目は開かないので色はわからない。その子がもし(アイリス)と同じ色ならすぐに露見するが、もし(シルト)と同じ青色なら?例え母譲りの紫だとしても毒で色を変えてしまえばわからない。そう考えて、無力な赤子の瞳に毒を盛ったのでないか?


 事実二人の娘は入れ替わっていて、少女の瞳には疾患があるのだ。そんな邪推をしてしまう。


 しかし、そんな考えを口にしたパッセンに、旦那様は初めて本気で怒った。


『ライラはそんな人の道に外れるような事をする女性じゃない!彼女を侮辱するのはパッセンであろうと許さない!』


 旦那様は二人の赤子が入れ替わってしまったのは事故で、しかし気が付いた時にはもう取り返しのつかない状況だったというライラの言い分を信じていた。


 ただの使用人であれば通った言い訳かもしれないが、彼女は片方の赤子の母親で、もう一人の赤子は自分の主の子だ。気付かないはずがない。万が一本当だとしても、気が付いた時点で自分の命を賭してでも公爵に詫び、間違いを正す義務がある。


 しかし彼女は公爵家で育てられている実の娘と、旦那様が溺愛するお嬢様の平穏を人質にとり旦那様を脅したのだ。

 旦那様はお優しい方だ。事態が発覚すればお二人の実の娘であるモイラ様はエーピオス男爵家共々処罰され、今まで慈しんできたお嬢様はこれまで公爵令嬢としての教育も受けていない上に目に問題があり、公爵令嬢として生きていくのは本人にとっても厳しいと言われればどうしたって悩んでしまう。


 責任をとるのが自分一人で済むように出来ないかと相談をされたが、それは不可能だ。


 悩んでいる内に時間だけが過ぎていった。

 お嬢様は日に日に健やかに発育を続け、アイリス様によく似た愛くるしく美しい少女へと成長してゆき、特質魔法まで修得された。

 お嬢様の特質魔法はアイリス様の治癒ともグランツ公爵の結界とも違うものだったが、草木の成長を促すなどいう類稀れな特質魔法だ。お嬢様ご本人の為にも、ひいては国の為にも、一刻も早く真名の祝福を受け魔力を増やし魔法を磨いた方が良い。


 お嬢様がいつ公爵家に戻る事になっても苦労しないようにと、王族の教育係である実家のアウロフ侯爵家で教え込まれた事をお嬢様には学んでいただいていた。幼き少女には難しかっただろう。お嬢様は目も不自由であられる。文字を読むのも大変で、書くのは更なる努力を強いた。

 それでも勤勉で努力家なお嬢様は旦那様の文字を手本に、旦那様そっくりな文字をお書きになるようになった。旦那様とお嬢様に血の繋がりはなくとも、確かに父娘であると感じた。


 旦那様とお嬢様はそうだったが、公爵とモイラ様はそうではなかったようだ。

 王都に住み、公爵家の動向に注視していればいくらでも聞こえてくる噂話。美しいがちっとも両親に似ていない我儘令嬢。魔力は高いが特質魔法の修得は出来ず、そのことに固執するあまり通常魔法の修練はお好きではないらしい。

 勉強を教える教師は度々変わり、邸には日々代わるがわる高級品を扱う商人が出入りする。

 始めこそ愛する妻が遺した大切な一人娘を溺愛するが故()()()()育て方をしているのかと思われていたが、公爵本人は社交の席等で娘の話は一切しないと有名だ。公の場では表情や態度には出さないが周りも徐々に悟ってゆく。


 グランツ公爵家の父娘関係はうまくいっていないらしい。


 そんな状況に旦那様が胸を痛めないはずがなかった。ライラ様に強く呼びかけ、一刻も早く二人を元の居場所に戻すべきだと繰り返し説得し続けた。


 お嬢様に聞かれてはならないからと街で話をしていたのが良くなかった。言い募る旦那様から逃げる様に大通りに飛び出したライラ様が、運悪く暴走していた馬車に轢かれそうになった。旦那様はすぐに追いかけ、彼女を突き飛ばし、代わりに馬車に跳ね飛ばされて帰らぬ人となったのだ。


 ライラ様は旦那様の流す血を止めようと特質魔法を行使したが、目の前で起きた事故に激しく動揺し上手くいかない様子だった。そんな彼女の手を取り、旦那様は最期の言葉を遺した。


『どうか、娘たちを、正しく、導いて……君を、守れなくて、ごめん……愛して……ごめん……』

『もう喋らないでよ!血が止まらないじゃないの!ねぇ!』

『……あの子、たちを……どうか、しあわせに……君も……きっと……』


 旦那様は最期までご家族の幸せを願っていた。傍から見れば最低な女であっても、旦那様にとっては最愛の妻であったのだ。己が彼女の罪を公爵に密告すれば、旦那様は悲しむだろう。きっと自白して少しでも彼女の罪が軽くなるように願っている。



 しかしあれから五年が経ち、彼女は今や公爵の後添えにまでのし上がった。令嬢たちの扱いも変わっていない。彼女に少しでも罪悪感があればこうはなっていないはずだ。旦那様の御気持ちを踏み躙り、己の欲望にのみ忠実に生きている。


 全てを知る己をこの人里離れた邸に隔絶し、都合の良い時だけ主面して現れる。そのような扱いをされても旦那様への忠義から彼女を裏切らないと知っているからだ。


 今回は『お嬢様』の存在を知っていることも大きいのだろう。この『お嬢様』を匿うのは些か骨が折れそうだ。


「……いつまで突っ立ってんのよ。さっさと部屋に案内なさい」


 『お嬢様』のこのお言葉より早く声をかけていたら激昂されていたことだろう。長年人に仕えて来た経験は伊達ではない。


 この程度で腹など立つものか。旦那様の正統なるご息女だ。可愛らしい孫の我儘のようなもの。


「畏まりました」


 旦那様が亡くなって五年。お嬢様と別れて三年。ようやく、新たな仕えるべき主にまた出逢うことが出来たのだ。


「辺鄙な場所ではございますが自然も多く心安くお過ごしいただくことは出来るでしょう。どうぞご実家だと思いお寛ぎいただきますよう」

「……フン!」


 旦那様が生きていれば必ず与えたであろう愛情をもって彼女に接すると誓う。彼女もまた、被害者なのだ。


 彼女が真実を知った時、少しでも寄り添えるように。間違った選択をしようとするなら、止められるように。


 パッセン・アウロフは短い老い先を目の前の少女の為に捧げ、尽くすと心に決めたのだった。




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