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21:公爵令嬢の謝罪



 (ライラ)の子ではなかった。


 十六年の間に心に積もった『どうして』は、その真実によってストンと腑に落ちた。


 あの人に愛されたいと望むのが間違っていた。きっと、実の娘でない己を愛してくれた父の方が異質だったのだ。


 父はいつから己が娘でないことに気が付いていたのだろう?


 産みの母(アイリス)にそっくりらしいこの顔は、いつから父を傷付けていたのか。


 己が生まれた時、何が起きたのかはわからない。

 あの人には、自分の娘と主の娘を入れ替えなければならない事情があったのかもしれない。


 しかし少なくとも父は、そんなことを望んでいなかっただろうと確信がある。


 突然自分が父にも愛される資格が無くなった気がして、目の前が暗くなった。


「……大丈夫ですか?」


 エスコートをしてくれている(ロクト)が隣にいることを忘れていた。

 無意識に力が入ってしまっていた手を慌てて離し、一歩下がろうと身体を引くと、考え事をしていたせいかバランスを崩してしまう。


「あっ!」

「すみません。声をおかけする間が悪かったですね」


 離した手を素早く引かれ、腰を抱き寄せて倒れそうになる身体を支えられた。


 背の高い彼の広く逞しい胸板に頬が触れる。まるで抱きしめられているみたいに。

 耳元で優し気に囁かれた声に心臓が跳ねる。


「ロクト様あああああぁぁぁぁっ!!」

「うるさいな、リザ。支えただけだろう。目くじらを立てるな」

「申し訳ございません、感謝いたします」


 みっともなく転倒してしまうところだった。エスコートに感謝を伝え、そっと身体を離す。


「あの、ベスティエ卿」

「ここはベスティエの家名を持つ者が多いですから、どうぞロクトとお呼びください」

「……では、ロクト様」

「はい」


 満面の笑みを浮かべる彼は、なんと懐が深いのだろうか。

 己に言いたいことはたくさんあるだろうに。

 一つたりとも恨み言をこぼす事もなく、責めるでもなく、真実を知る前と同じ態度で接してくれる。


 こんなに優しい方々を騙そうとしていた自分が恥ずかしい。


「誠に、申し訳ございません」

「おやめください!」


 膝をつき、頭を下げる。彼もすぐに腰を屈め腕を取り立ち上がらせようとしてくれるが、首を振る。


「こうして、跪き許しを請う資格すら与えられないと理解しております。ですが、どうか。謝罪の機会をいただけませんか」

「貴女に非は一切ない。謝罪の必要はありません」

「いいえ!」


 レース越しに真っ直ぐそのピジョンブラッドの瞳を見つめれば、彼は少し困ったように眉を下げた。

 改めて頭を下げ自らの罪を告白する。


「私は、自らの都合で嘘を吐き、ベスティエ辺境伯家に滞在を望みました。

 身分を偽ったわけではなかったことはただの結果論。私の認識では私はエーピオス男爵家の娘であり、公爵令嬢を名乗ったことは極刑に値する罪に変わりありません」

「……そのことで我が家は何か被害を受けましたか?」


 正面から降ってくる声は、諭すような、少し怒っているような、呆れているような、でも優しい声色をしている。


「こうして騒動になり、ご迷惑をお掛けしております」

「それに余りある恩恵をベスティエ領は受けました。今年のベスティエの食糧問題は解決し、根本解決の光も見え、多くの領民が飢えによる苦しみから救われました。貴女がベスティエにいらっしゃらなければこれからも不作に悩まされ、いずれ多くの死者を出していたでしょう。我々は貴女に感謝こそすれ、受け取る謝罪などあるはずがありません」

「私が魔法を行使したのは当然のことです。民の抱える問題を解決するのは貴族の勤めなのですから」

「他領の民の為に魔力を使い果たすほど献身的な貴族など他に知りません」

「それは私の魔力が低く、魔力の扱いが不得手なだけで……」

「それにこの瞳」


 言い募ろうとすれば頬に手を伸ばされ、ピジョンブラッドの瞳は切なげに細められた。


「貴女の瞳を冒す毒は魔力の流れを阻害している。そこに無理やり魔力を通せば耐えがたい痛みに襲われるはずです」


 そう言われ、あの痛みを思い出すと無意識に身体が震える。

 伸ばされた指先が宥めるように目の下を軽く撫ぜた。


「思い出させてしまって申し訳ありません……しかし貴女はその痛みすら厭わずベスティエの為に魔法を行使してくださったのです。それは『当然のこと』などではありません。本当に、ありがとうございます」


 彼の言葉は胸を優しく包んで締め付けた。

 心が歓喜に打ち震える。誰かに認められて、感謝されるというのは、こんな気持ちになるものなのか。


 きゅっと下唇を噛んで、滲んだ涙が零れないように堪える。


「……駄目ですよ、そんな顔をしては」


 困ったように微笑んだ彼は顔を背けて、こちらを見ないまま手を取りながら立ち上がった。


「しかし、ロクト様……私、他人に成りすましてあなたに輿入れしようとベスティエ領にやってきたのです。それは簡単に許されることではありません」

「貴女が来てくださると知っていたなら、見合いなどではなく花嫁としてこちらから婚姻を申し入れていましたよ」

「え、いえ、でも、私は公爵令嬢としての教育も受けておりませんし、高位貴族の妻としてお役に立てないのではないかと……いや、そもそもそういう問題でもなく、私が嘘を吐いたことが問題なのであって」

「混乱している貴女も可愛らしいですが、とにかく俺は貴女以外と婚姻を結ぶつもりはありませんので、どうぞこれから口説かれる御覚悟をなさってください」


 ニッコリと極上の笑みを浮かべて一礼すると、彼は「名残惜しいですが、母がうるさいので」と自室へと戻って行ってしまった。



 頬が熱い。心臓がうるさい。

 これまで、あからさまな好意を向けられたことなどなかったのだ。


 暗い、地味、陰気。エーピオス家を出てから自分に掛けられる言葉は大体その三つで。

 仕えていた少女からは目障りだ、役立たず、と蔑まれてきた。自己肯定感は皆無に等しい。


 からかわれているのだろうかと思い浮かんで、そんな悪趣味な方ではないはずと首を振る。


「わぁ、熱烈ですねぇ!あんなロクト様初めて見ました」

「……はじめて?」

「これまでずーっと恋人もいらっしゃらなかったし、お見合いも初めてですからね!」

「廊下で立ち話はお体に障ります。どうぞ部屋にお入りください」


 客間の扉を開けながらキャサリンが中へ入るようにと促す。

 ホールを出てから彼女の刺々しさは抜けていたが、視線は一度もこちらに向けられていない。


「二人にも、謝罪させていただきたいのだけれど」


 そう口にすれば、キャサリンはぎょっとしたように眉を顰め、エリザベスは顔の前で大きく手を振って言葉の続きを遮った。


「受け取れません!絶対にやめてくださいね!私まだクビになりたくありませんから!」

「お嬢様は正統なるグランツ公爵令嬢なのですから、侍女に謝罪をしてはいけません。

 ……むしろ、謝罪をしなければならないのは私の方です。これまでの不敬の数々、大変申し訳ございません。まだ処罰は受けておりませんのでこうしてお嬢様に仕えさせていただいておりますが、ご不快でしたらすぐに城を辞します」


 そう言って深く頭を下げるキャサリンに、慌てて彼女の手を取ってすぐに顔を上げさせる。


「やめて!私の方こそ謝罪は受け取れないわ!キャシーは職務に忠実だっただけ。私はグランツ公爵令嬢を名乗る不審者だったのだから、当然の対応です」

「それでもお嬢様はベスティエを救ってくださった御恩のある方ですのに……」

「私が何者であろうとも、あなたの主家の方々を騙していたことに変わりはない。そんな人物を警戒するのは褒められこそすれ、決して罰されることではありません」

「そうよ!キャシーがそれを謝罪しては、まったく気が付かなかった私の立つ瀬がないでしょう!」

「……確かにリザはもう少し警戒心を持つべきね。今回はお嬢様が途轍もないお人好しでお優しい方だったから良かったものの、悪意のある人が来る可能性だってあるのよ」

「人には向き不向きがあるもの。その時はキャシーやチェーニ様に任せるわ!」


 二人の息の合った掛け合いにクスリと笑ってしまった。それを見た二人も気が抜けたように笑顔を浮かべ、三人揃って客間に入ってゆく。



 この部屋を出た時、死地へと向かうような心持ちでいたのが嘘のよう。

 まさかここへ笑顔で戻ってくることができるとは。


 正直に言えば、まだ自身がグランツ公爵家の令嬢という事実は突然すぎて飲み込めていない。


 わかったことは(ライラ)の本当の娘ではなかったことと、ベスティエ辺境伯家の面々は懐が深く、優しい方ばかりだということ。



 ふと、父の言葉を思い出す。あれは父が亡くなる少し前だったか。


『君のお母様は誤解されやすいけれど、一生懸命な人なんだよ。ごめんね。今度こそきっと説得してみせるから、もう少しだけ待っていて』


 聞いた時は、家に帰ってこない母を呼び戻すという意味だと思っていたけれど、今同じ言葉を聞けば別の意味に聞こえる。


 父はきっと、入れ替えられた二人の娘を元に戻そうとしていたのだろう。


 簡単なことではない。

 愛する人の子を奪われた公爵も。公爵令嬢として育てられた実の娘も。きっと許し難いだろう。認め辛いだろう。


 その志半ばで、不慮の事故により突然父は逝ってしまった。

 きっと、父は実の娘に会いたかっただろうに。




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