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20:辺境伯夫人の激怒




 ホールの中央で愛しい子が跪き、頭を下げている。

 一体なにを謝罪しようというのだろうか。


「……ベスティエ辺境伯家の皆さまの御前で名を騙り、己の身分を偽った大罪を、謝罪させていただきたく存じます」

「何の冗談かな?」


 そうして左右を見れば夫と息子も困惑しているようで、まったく頼りになりそうにない。

 仕方なくセントラが『公爵令嬢を騙った』と跪く彼女にゆっくりと近づいてゆく。


「立って」

「いいえ」


 彼女に近寄って声をかけても頭を上げようとはしない。


「君が立たないのなら私も跪いた方がいいのかな?」

「そんなっ!」


 やっとこちらに顔を向けた彼女の表情はレースに隠れて見えない。


 腹立たしい。


 息子から報告を受けた時は我が耳を疑ったものだ。


 アイリスの娘である彼女の瞳が、毒に冒されているなど。

 あの男(シルト)は何をしていたのだ。許せない。


「瞳を『視』せて」

「……かしこまりました」


 渋々といった感じで立ち上がった彼女のレースをめくって片手で庇を作り、自らの眼鏡を外して識別眼を発動する。


「“識別眼”」


 彼女の父とも母とも色の異なる紺青の瞳。

 識別眼が分析した結果を自らの知識に照らし合わせていけば、その結果は明らかだった。


「……あいつ、殺してやる」

「っ!」


 しまった。つい、声に出してしまった。彼女を怯えさせたくはなかったのに。


「すまない。驚かせてしまったね」

「いえ、あの……」

「君はまだ人体に治癒魔法は使えないかい?」

「私の特質魔法は草木の成長を促すもので……」

「草木の病気を癒して、成長させる。それはサナーレ侯爵家の治癒魔法の亜種だよ。植物を治す方が難しいから使えたのはサナーレの先々代だけらしいのに、よくそちらから修得したねぇ。治癒魔法の使い手として優秀だったアイリスにも出来なかったことだよ。誇っていい」


 ここまでの報告から察するに、この子はそのことすら知らなかったようだけれど。


「自己治癒が難しそうならサナーレ侯爵家から人を借りるしかないかな。チェーニ」

「は」

「後で書状を書くから最速で届けるように。クラティオ殿としてもかわいい姪の治癒と聞けば協力は惜しまないだろう」

「い、いいえ。ベスティエ辺境伯夫人。そのような為業はどうかおやめください」

「うーん、それは他人行儀だなぁ。セントラと名で呼んでほしいところだけれど、義母上も捨てがたい。どちらがいい?」

「いえ、どちらも……私は、そのように接していただけるような者ではないのです!」


 アイリスそっくりの顔で、必死に力説する彼女はとても可愛らしい。

 しかし何故グランツ公爵家の者ではないなどと言うのか。それがわからない。


 夫であるアドムからシルト・グランツはアイリスを喪ってから憔悴してしまい、娘とうまくいっていないというような話は聞いた。

 大人げないあの男に腹が立ったものの、あれは己の次くらいにアイリスを愛していたし、その娘とすれ違いといっても、親子関係ではよくある程度で、大したことにはなりえないだろうと考えていたのだ。


 まさか娘に公爵家の者ではないと言われるまでにこじれていたのだろうか?そんなことになっているのなら、無理を通してでももっと早く引き取ればよかった。


 しかし、彼女の口から発された言葉は。


「……私は、ライラ・グランツの娘です」

「……は?」


 この子は、何を言っているのだろう。こんなに真剣な顔をして。


「……名乗る名を持たず、申し訳ございません。先ほどの夫人の言が正しいなら、今度こそ本当に『モイラ』と名乗るべきなのでしょう。しかし、今それはグランツ公爵令嬢の名。恥ずかしながら、私に真名は与えられておりません」

「……何を、言ってるんだ……」


 それは、なんだ?


 この子が、あの女の娘として育てられたと?祝福である真名を与えられず?男爵家の娘として?


 理解(わか)ってしまう。己の頭脳は無駄に良く回り、この子の受けた仕打ちが目に浮かぶ。


 怒りが、抑えられない。


「セントラッ!」

「母上っ!」


 夫と息子が駆け寄ってきて、暴走しかけた魔力を抑えた。しかし今はそれどころではない。


「何の冗談だ!君があの女の娘だと!?ふざけるな!アドムッ!軍を出してくれ!!グランツ公爵家を滅ぼしてやるっ!!」

「何を言っているんだ!落ち着け!」

「アイリスの子が!!この子がそんな目に合わされていただなんて!!許せるはずがないだろう!あの男も!あの女も!命で償うべきだ!!」

「ふ、夫人、申し訳ございません。嘘を吐きベスティエに滞在した私が悪いのです!どうか、どうか怒りは私だけに留めおきいただけませんか?お願いいたします、どうか、グランツ公爵家はご容赦ください!」

「どうして君が謝るんだ!謝罪すべきはあいつらで、君は何一つ悪くない!」


 つい彼女の肩を掴んで声を荒げてしまった。

 怯える彼女を息子が抱き寄せている。我が息子ながらどさくさに紛れて忌々しい。


「せいぜい頑張るのではなかったのかな?息子よ」

「頑張っているではないですか。母上の剣幕に怯えている令嬢を庇うのは婚約者候補の役目では?」

「君はただの見合い相手であって婚約者候補というには少々大袈裟だと思うけれどね」

「おや、母上は俺と彼女の婚姻を望んでいたではありませんか」


 彼の腕に守られて申し訳なさそうにしながらも、淡く頬を染める彼女を見てしまっては仕方がない。


 彼女を守る役目は彼に与えるしかなさそうだ。


「二人で話しを進めないでくれんか。結局どういうことなんだ。彼女がライラ・グランツ公爵夫人の娘だというなら、グランツ公爵家と無関係ではないだろう?」

「違う。この子は正しくグランツ公爵令嬢で、アイリスの血を引く正統なるグランツ公爵家の嫡子だよ」

「いいえ、そうではなく……」

「あのね」


 言い募ろうとする彼女の顎を指でクイと引き上げ、顔を寄せる。


「近いです、母上」


 グっと肩を押しやってくる息子に舌打ちしたくなるけれど、今は彼女に真実を伝えるのが先だ。


「君はサナーレ侯爵家の特質魔法を継承し、父の金髪と、母の銀髪を受け継いだプラチナブロンドで、さらにこの稀有なる美貌は母上(アイリス)と瓜二つだ。これで親子ではないと主張するのは可成無理がある」


 君も会った事あるだろう?と筆頭執事に問えば、レースの下にあった彼女の顔を見て大きく頷く。


「その正統なるグランツ公爵令嬢をさ。まさかアイリスの侍女だったあの女が自分の子と入れ替えるとはね。そこまで大それたことをするなんて思ってもみなかったな」

「なんだとっ!?」


 そこまで丁寧に説明してやっと事態を掴んだ夫は怒りを露に声を荒げた。息子の方は母と同じタイミングで理解していたと言うのに。

 先程までの己を棚に上げ、「まぁ落ち着け」と肩に手を置く。


「私は……母の娘では、なかったのですか……」


 彼女の呟いた声に乗った感情は読み取れなかった。泣いているかと思えば、その紺青の瞳に涙は浮かんでいない。


「君の本当の母上はね、素晴らしい女性だったよ。慈悲深く、常に花がほころぶような笑顔で、誰にでも優しすぎるほど優しい人」

「……そうですか……私の父のような方だったのですね」

「そうか。君はエーピオス卿の元で育ったんだね」

「はい。自慢の父で……父の娘であることが私の唯一の誇り、でした」


 彼女の瞳が陰る。不幸中の幸いと言うべきか、エーピオス男爵は本当に大切に彼女を育てたのだろう。


 当然だ。彼は、アイリスが選んだ最高の男なのだから。


「過去形にすることはないよ。君にとっての父は会った事もないグランツ公爵などではなく、エーピオス卿であることに違いないのだから」

「会ったこともないのか!?後妻の連れ子という立場なら義理の娘には当たるんだろう?」

「あるわけがない。こんなにアイリス瓜二つの後妻の連れ子を見て何も気が付かないのならあの男は本当に死んだ方がいいね」

「それもそうか……」


 こうしてはいられない。やらねばならない手続きは多いのだ。


 真実を知った彼女も混乱しているだろう。しかも今日の午前中にはカイマスで大魔法を行使してくれたばかりだ。今はゆっくり休ませてあげたい。


「ロクト」

「なんでしょう」

「今日は彼女を休ませたい。部屋に送っておいで」

「御意」

「送り届けたらすぐに部屋に戻るように」

「……」


 今にも舌打ちしそうな表情をしやがって。本当にこの息子は己そっくりだ。


「君はただの見合い相手で婚約者ではない。忘れないようにね」

「ええ。()()そのように」

「……お心遣い、感謝いたします」


 憔悴しているはずだが、彼女は気丈に、しっかりとカーテシーをしてから息子のエスコートでホールを下がっていく。細い背中が痛々しい。


「さて。私も執務室に戻るよ。……やることが、山積みだ」


 彼女にこのような扱いをした奴らを決して許さない。

 真実は詳らかにするし、絶対に罪は償わせる。



 ……しかし。あの女(ライラ)は何故彼女をここに連れてきたのだろう。ベスティエには己がいることを知っているはずなのに。

 自らの罪が明らかになることくらい、少し考えればわかるはずだ。


 そう考えて、首を振る。

 罪を犯す愚か者の思考など考えたところでわかりようもないし、わかりたくもない。


 あの子の踏みにじられた十六年も、代わりに公爵家で育てられた偽物の子の十六年も、戻ることはない。過ぎた年月は不可逆だ。


 愛する人が命懸けで産んだ娘を知らないところで取り換えられたのであろうあの男には同情する気持ちはあるものの、アイリスの子だと信じて育てていた(モイラ)に対する扱いには物申したいと思っていた。


 サイン済の婚姻証明書を添付して送りつけてくるとは何事だ。愛せないなりに誠意はないのか。アイリス以外はどうでもいいというあの男の生き方が反映されすぎている。そういうところが大嫌いなのだ。


『シルト様は私がいないとダメになってしまうのよ。可愛い人でしょう?』


 そう言ってにこにこと微笑む天使のような親友が懐かしい。


 君の夫は君が思うよりずっとダメな男だよ。君が遺した一人娘の幸せすら守れない、くそ野郎だ。



 アイリス。ごめんね。私がもっとあの子を気に掛けるべきだった。

 でも会ってみたら驚いたよ。さすが君の娘だね。とんでもなくお人好しで、優しい子だ。

 あんな扱いをされておきながら、あの子にとっての母は、あの女なんだよ。

 どうか悲しまないで。過ぎた日々は取り戻せないけれど、あの子は必ず幸せにする。


 その為の第一歩は、真名(祝福)だよね。


 とっておきの祝福を贈るよ。あの子に出会えた喜びと、生まれてきてくれたことへの感謝を込めて。




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