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2:公爵令嬢の回想




『お久しぶりですお父様。モイラ、参りました』


 モイラによく似合う華やかで明るいピンク色の生地に、大量の宝石を砕いて散りばめた、贅の限りを尽くした豪奢なドレスで美しいカーテシーを披露すれば、少しは父に褒めてもらえると思った。

 しかし父の冷たく蒼い瞳がモイラを捉えると、父は呆れと怒りを露に眉根を寄せた。


『夜会でもないというのにそのように着飾っているとは』

『ふ、普段から着飾っているわけではありません!久しぶりにお父様にお会いできると伺い……っそれで……』


 モイラは普段から派手な身なりをしている。ライラの連れ子の少女が邸に来た三年前からそれは殊更。自分の方が上なのだと示したくて。

 だから父の言葉にはっきりと言い返すことはできず、口ごもって瞳を逸らして少し視線を下げたのだ。


 それを見透かしているような態度で父はモイラに椅子を勧めるでもなく本題に入った。


『王国の英雄、アドム・ベスティエ辺境伯は知っているな』

『え……ええ、存じております。獣化の特質魔法を使用し魔物と戦う野蛮……いえ野性味溢れる方だとか……』


 王国の西端は魔物の出没する森に面している。そこから溢れてくる魔物を堰き止めているのがベスティエ辺境伯率いる魔物討伐軍だ。


 フィオーレ王国の中心部である王都近辺に魔物が現れることはない。

 本でしか読んだことはないが魔物は鋭い爪と牙を持ち、動物の肉を食らうらしい。その動物の中にはもちろん人間も含まれている。

 そのような汚らわしく乱暴で凶暴な魔物から王国を守っている英雄ベスティエ辺境伯の名は王都にも轟いているが、モイラは英雄が好きではなかった。というより、淑女であれば皆嫌悪しているのでないだろうか。


 ベスティエ辺境伯は獣化の特質魔法を行使し魔物と戦うのだ。魔物と変わらぬ姿となって爪と牙で戦うなんてなんと野蛮なのだろう。騎士ならば父のように美しい鎧を纏って剣と魔法で戦うべきだ。


 そんな嫌悪感が顔に出ていたのだろう。父は声に怒りを載せた。


『王国の平和は辺境伯が創っているものだ。感謝こそすれそのように嫌悪を露にするなど。教師は何を教えているのか』


 後ろに控えていた執事が慌てて首を垂れる。


『申し訳ございません、旦那様。すぐに新たな教師を手配いたします』

『よい。これにはもう勉強は必要ない』


 もう勉強は必要ない、ということは毎日のあの退屈な授業の時間から解放されるのだ!とモイラは喜びかけたが、続く父の言葉で絶望の底に突き落とされることになった。


『ベスティエ辺境伯家から我がグランツ公爵家の血筋を望まれている』

『それは、どういう……』

『ベスティエ卿には二十二になる令息がおられる。次期ベスティエ辺境伯だ。申し分ない縁談だろう』

『っそんな……!』


 父は言葉にはしなかったが、表情が言っていた。不出来なお前が、グランツ公爵家の血を引いているだけで役に立てるのだから光栄なことだろうと。


 ショックだった。父が未だに最愛の妻を奪ったモイラを恨んでいるのだろう冷たい態度をとることも。血筋以外に何の取り柄もない無能だと思われていることも。魔物が出る田舎の野蛮人の息子に嫁げと言われたことも。


『……いや、嫌よ!!そんな野蛮人の息子に嫁ぐだなんてっ!私はグランツ公爵家の一人娘なのに、どうしてそんな危険な田舎に行かなくてはならないの!?お父様はそんなに私がお嫌いなのですか!?』

『……ここまで愚かになっていたとは。ライラを呼べ』

『かしこまりました』


 シルトの命を受けた執事はすぐにライラを連れて戻ってきた。彼女は急いでやってきたのだろう。頬を上気させ、息が少し上がっていた。

 少し乱れた金髪を細い指で直し、蒼い瞳を細めて嬉しそうに微笑んだ。


『お待たせいたしました旦那様。私をお呼びだとか』


 シルトはそれに返すことなくライラを睥睨し、モイラを指差しながら口を開いた。


『お前に教育を任せた結果このような愚女が出来上がった。申し開きはあるか?』

『ど、どういうことでしょう?モイラは高位貴族に相応しいマナーと振る舞いを身に着けた素晴らしい淑女だと教師からも証書を受け取っていますが……』

『他人の言葉ではなく、貴様の目にはどのように映っているのだ?目上の者に口答えし、傲慢で、頭が悪いこの子供が』


 シルトは怒りを隠す事なくライラを責めた。

 父のその言葉に、辛うじて押しとどめていた涙をこぼして泣きだしたモイラがライラの胸に飛び込んだ。それを受け止め、取り乱すモイラの背を慰めるように撫ぜながら問う。


『どういうことなの?モイラ、お父様に口答えをしたの?一体どうして……』

『だ、だってお義母様っ!!お父様が、ベスティエ辺境伯令息に嫁げとおっしゃるのよ!?そんなのってないわっ!今まで一生懸命お父様に愛されるよう努力してきたというのに、お父様は私がお嫌いなのよっ!』


 それを聞いたライラは顔を青くして、モイラを守るように抱きしめた。


『ベスティエ辺境伯ですって!?だ、旦那様、モイラはまだ幼いのですよ?そのような僻地に嫁がせるなどあまりにも可哀そうですわ!』

『アイリスが嫁いできたのは十六の時だ。同じ歳になっているはずだが?』

『奥様は貴方という完璧な殿方に嫁いだのですから状況が違いますわ!』

『ベスティエ卿の子息はこれ以上ない嫁ぎ先だ。辺境伯と言えど貴族として持つ力は我がグランツ公爵家の領地や資産、軍備。どれをとっても引けを取らない。それに子息は魔力も高く大変優秀だと聞いている。こちらの不出来が申し訳ないくらいだ』

『それならどうか別の縁談を……』

『駄目だ。あちらが私の血筋を望んでいるのだ。これは家同士の話ではなく、国としての縁談になる。お前たちに選択権はない。婚家では今みたいな愚かな振る舞いはするな。絶対に迷惑をかけず、大人しくグランツ公爵家子女としての責務を果たすのだ』



 話は済んだとばかりに父が部屋を後にした後、ライラは涙に暮れるモイラを落ち着かせるように言った。


『……大丈夫よモイラ。あなたをあの家に輿入れなどさせないわ』

『でも、お父様が許してくださらないわっ!』

『幸いベスティエ領は王都から遠い。書類や手紙は届いても細かいことまでは伝わらないでしょう。次期辺境伯はいつ魔物が侵攻してくるかわからない領地を離れることは出来ないから王都にも来ることはない。もちろん、その妻もよ』

『どういうこと……?』


 涙を止めて顔に疑問符を浮かべるモイラに、ライラは何かを決意したように答えた。


『あの子を代わりに輿入れさせるわ』

『……あの子って』

『あの子も髪はあなたと同じ金髪だし、年齢も同じで背丈も変わらない。目の色は少し違うけれどずっとレースで覆っているから誰かに見られて問題になることもないでしょう』


 モイラは嬉しさについ顔がほころんでしまう。義母が自分のために娘を捨てようとしている。


『でも、お義母様……本当にいいの?お義母様の、大切な一人娘でしょう?』

『……あの子にとっても幸せなことのはずだわ。あの子が辺境伯令息に輿入れするなんてありえなかったのだから』


 なるほど。たしかにその通りだ。

 少女は、当主が亡くなり後継がおらず途絶えることになった男爵家に産まれた娘で、本来ならろくな縁談に恵まれなかったはずだ。

 そうだ。これはあの娘を身代わりに不幸を押し付けるのではない。あの娘にとっても良いことなのだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いなどない。


『あなたもこの家で暮らしていくことは出来なくなるわね。邸を用意するからしばらくそこで身を隠すのよ』

『そんな!王都で暮らせなくなるの!?』

『仕方ないでしょう?あなたはベスティエ領に嫁いだ()()になるのだから。

 安心なさい。頃合いを見て旦那様を説得するわ』


 あの父をそう簡単に説得できるとは思えない。しかししばらく王都に住めなくなっても田舎の野蛮人の息子に嫁ぐよりはるかにマシのはずだ。仕方なく義母に任せて待つことにしたのだった。


 ◇


 そうして、今に至る。


 義母からまだ話はされていないようで、何も知らない少女はモイラの嫁入り用ドレスに着替えおとなしく正面に座っている。

 相変わらずレースで隠れた目元が確認できないため表情が読めず、何を考えているのかはまったくわからない。


「フンッ!ちっとも似合わないわね」


 モイラに合わせてオーダーメイドで作られた豪奢なドレスは少女の痩せぎすの身体には余るらしい。余った生地が皺を作りせっかくの美しいドレスのラインを台無しにしていた。


 それでも。父が選んだ、上品な純白の身ごろから裾に向かって紫へとグラデーションする珍しい色合いの美しい生地は、存外少女の白い肌の色に映えている。

 モイラにとっては忌々しいドレスだが、着飾った少女を目に入れるだけでも腹が立つ。


 しかし、これからはこの陰気くさく目障りな少女と顔を合わせることもなくなるのだ。

 この女はモイラの代わりに野獣英雄の息子に輿入れするのだから。


「良かったわねぇ」


 眉を寄せて不機嫌そうにしていたモイラが、突然腕を組んで口元を歪めた。吐き出された言葉の意味が理解できずに、少女は大人しく続きを待つ。


「今日から公爵令嬢として扱われるのよ?下働きのメイドが大出世じゃない」

「……母は公爵家の後添えに入りましたが、私の籍は父方に残ったままです」

「当たり前じゃない!あんたと義姉妹になるなんて絶対に御免だわ!」


 またしても不機嫌になりかけるが、もう二度と会うこともなくなるのだからこんな些細なことで怒らずとも良いと思いなおし、もう一度唇に歪んだ笑みを載せた。


「……あんたはこれから、私の身代わりとなって野獣英雄の子息に嫁ぐのよ!」

「……?一体、どういうことでしょう」


 少女が困惑しているのがわかる。気分が良い。

 少女も王国の英雄であるベスティエ辺境伯の事は知っているはずだ。獣化の特質魔法を行使する野蛮な野獣英雄は平民の間でも知らない者はいないほど有名なのだから。


「可哀そうに、お義母様から何も聞いていないのね?

 あんたは、私の代わりに田舎の野蛮人に嫁ぐの。あ、でも安心して?辺境伯令息だし、魔力も高くて大変優秀な方だそうよ?

 グランツ公爵家の血筋が必要なのですって。要するに子を産ませる為の婚姻ね。

 陰気くさくて何も出来ないあんたでも一応女だもの。子供くらい産めるでしょう?だからせいぜい可愛がってもらうのよ。

 相手は野獣の息子よ。不興を買って壊されたりしないといいわね?」


 口を開かない少女に矢継ぎ早に告げる。

 彼女が絶望し、逃げ出したくなるように。

 モイラは自分が父に言われて傷付いた言葉で、少女を傷付けたかった。

 そうすることで、自分の傷を癒したかったのだ。




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