18:『公爵令嬢』は覚悟する
『モイラ・グランツ公爵令嬢』の瞳が毒に冒されていた。
これは大事件である。
シルト・グランツ公爵はフィオーレの英雄で、その一人娘である『モイラ』が害されるというのは国家に対する反逆に近しい。
国をも巻き込みかねない大事なのは間違いないだろう。
ちょうどよくと言えるのか、ロクトの魔力を受け取って『モイラ』の行使した魔法はカイマス全域に達し、今年のベスティエ領の食糧問題は解決したと言えた。
視察団一行はロクトの報告を受け、すぐにベスティエ城に帰還することが決まった。
アドムの妻であるベスティエ辺境伯夫人も急遽帰城を決めたらしい。
ソルフとアドムに礼を述べられ、馬車でゆっくり休息をとるように促されたが、『モイラ』の心内は穏やかじゃなかった。
心配して世話を焼いてくれるエリザベスも、側で控えたままのキャサリンも。ありがたいけれど何も耳に入ってこなかった。
瞳が毒に冒されている。
道理であんなに痛むわけだ。言われてみれば納得した。
生まれつき視力が弱いと聞かされていた。でも本当は、生まれつきなんかじゃなかった。
その時のことなんて覚えているわけもない。
父や執事やメイドがそう教えてくれたから、そうなのだと思っていた。きっと彼らもそう信じていたのだろう。言葉に嘘は感じなかった。
しかし。自分を産んだ母は、すべてを知っているはずだ。
真実なんてわからない。その時の状況や、何が起きたかなんて、わかりえない。
だけど。
母が、娘の瞳が毒に冒されたことを知っているということだけは、紛れもない真実だろう。
知った上で、治療法がなかったのかもしれない。手は尽くしてくれたのかもしれない。
この目は不便ではあるが、不自由はない。決して恨んだりしてない。しかしこの燻る感情は……
一言、くれるだけでよかった。でも、もらえなかった。
母に募る想いと、それとは別に考えなければならないこともある。
もう、隠すのは無理だろう。
『モイラ・グランツ』が毒に冒されてはいけないのだ。
確実に『モイラ』の父であるグランツ公爵に知らせが届けられるはずだ。おそらくではあるが、もうすでに書状は送られたのではないだろうか。
いずれ嘘は暴かれ、真実が明らかになるだろうと思っていたし、そうなるべきだとも考えていた。その時がこんなに早く訪れるとは思っていなかったが。
この詐欺を企てたのは己の母で、協力したのはその娘である自分だ。どうにか公爵家を巻き込まないようにできないだろうか。
色々考えを巡らせてはみたが、難しいだろう。
ここに『モイラ』を連れて来たのは紛れもなく公爵家所有の馬車で、母は公爵家の後妻なのだ。
「着きましたね。お嬢様、奥様も帰城なさっていると聞いていますから、ドレスに着替えてホールに向かいましょう」
気遣わしげに腕を支えてくれるエリザベスの手に触れ、「ありがとう」と伝える。
ベスティエの人々は皆『モイラ』に良くしてくれたのに、裏切っているのだと改めて突きつけられて胸が痛い。
客室に戻り、モイラのドレスに着替える。
「やっぱりもう少しお肉をつけましょうね!」
エリザベスが困ったように笑いながら、余るウエストを詰めてくれた。
「ごめんなさい」
「いやだ!謝らないでください!」
いいえ。謝らなければならないの。
それを伝えることは出来なくて。
最期になるだろうヘアセットと化粧を施されてから断罪の場へと向かう。
甲斐甲斐しく世話をしてくれるエリザベスを手伝いながらも、キャサリンの橙色の瞳は冷えていた。
やはり彼女は気付いているのだ。
「……どうぞ」
ホールへ続く扉を開けて、促される。
「キャシー、ありがとう。ごめんなさい」
レースの下で薄く微笑むと、彼女の眉間に軽くしわが寄る。どうして『モイラ』が謝るのか理解ができないのかもしれなかった。
正面を向き、大きな息を一つ吐く。震えそうになる足を叱咤して、ホールに一歩踏み入れた。




