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17:『公爵令嬢』は驚く




「お手をどうぞ」


 畑に着くと、先行して馬を降りていた見合い相手であるロクトに笑顔で手を差し伸べられる。

 エスコートをされるのは初めてではない。なのに何故だろう、少し手が震えてしまう。


「ありがとうございます」


 彼の大きな左手の手のひらに、手袋をした右手の指先のみをそっと乗せれば、さりげない力加減でその指を引かれ、しっかりと手のひらに握りこまれる。

 驚いて顔を上げると、足元が悪いですから。と極上の笑顔で微笑まれてしまった。


 顔にレースがかかっていてよかった。きっと頬が上気してしまっているだろう。


 年齢の近い男性にこのような淑女の扱いをされるのは初めてなのだ。それも、表向き見合い相手とされている彼に。

 免疫のない『モイラ』は軽く俯いて足元を注視するしかなかった。レースと眼鏡越しにピジョンブラッドの瞳に全て見透かされているようで気恥ずかしい。


「では、参りましょうか」

「はい」


 ロクトにエスコートされ畑を進んで行くと、遠くに昨日魔法を行使したラシチーイモ畑の区画が見えてきた。

 豊かに実ったラシチーイモ畑には、とても嬉しそうに収穫を行う人々の姿がたくさんあった。手や顔に土をつけ、汗を流しながら、皆生き生きと働いている。


 その光景を遠くから眺め、『モイラ』の口許には笑みが浮かぶ。


 預けた右手を包む力が少しばかり強まった。


「彼らの笑顔は貴女がもたらしてくださったものです」

「一助になれたのなら幸いです」


 そこから昨日とは別の方向に進んでいく。ルースウリの作付が行われている区画がある方だろう。


 こちらも、昨日見た光景と同じく、実っているウリは区画の四分の一程度で、それもなんだか元気がないように見えた。ラシチーイモと同じく病気にかかってしまっているのだろう。


「では失礼いたします」


 エスコートされている手を離し畑の中に入ろうとするが、なぜか手を包む力は抜けない。


「あの、手を……」


 首を傾げて見上げれば、同じ方向に首を倒して不思議そうな表情で見つめられる。


「昨夜言いましたよね?」

「ええと……?」

「次は必ず側で付き添います。もう二度と倒れさせたりいたしませんのでご安心ください、と。お忘れですか?」


 昨夜かけられた言葉を一言一句間違いなく繰り返されれば、彼が魔法の行使中もエスコートを続けるつもりなのだと理解する。


「し、しかし私の魔法は両手を土に埋める必要がありますので……!」

「そうですか。では」


 ようやく離してくれるのだとほっと息を吐いたのも束の間。


 彼は『モイラ』の両手をとり、手袋を外して大事そうに胸ポケットにしまうと、自身の手袋も外してから再び『モイラ』の手をとった。


 何をされているのか一瞬わからなくて困ったように眉を寄せるが、レースの下ではその困惑は伝わりようもない。


 彼の手は、『モイラ』のそれより体温が高かった。


 手を引かれ畑の中央へ向かい、繋いでない方の手で土を掘り、そのまま二人で土に手を埋める。


「あの、これは、一体……?」

「“ロクト・ベスティエの名において魔力の譲渡を行う”」


 紡がれた言葉は、体内の魔力を動かす呪文。


 繋いだ手から『モイラ』の体内に魔力が流れ込んでくる。あたたかく、心地良い。


 この感覚は、父の背におぶわれていた時と似ている。

 そうか。父も、魔力が切れた自分に魔力を譲渡しようとしてくれていたのだ。


 こうして魔力を受け取っても、自身の器はすでに満タンだ。無駄にするわけにはいかない。


「“魔素吸収”」


 受け取った魔力を使って地中の余剰魔素を取り出し、浮かび上がらせる。


 なんと膨大な魔力だろう。祝福に満ちた真名を持つと、こんなにも膨大な魔力を譲渡することが可能なのか。

 これなら、昨日よりも大分広範囲に行き渡らせることができそうだ。


 ロクトの魔力を使って『モイラ』が紡いだ魔法は地中で広がり、その範囲はカイマス全域に及んだ。

 畑一面から余剰魔素が光の粒子となりプカプカと浮かび上がってくる。


 光の粒子が二人の周りに集まりゆっくりと渦を巻いてゆく。


 心配からか不安からか、繋いだ彼の手から伝わる力が強まった。安心させるようにその手を握り返して微笑む。


 ふっと周りの重力が消える感覚。


 浮いたレースの下、眼鏡のずれた彼と直接目が合った。

 こんな至近距離で誰かの顔を見るなんて、父以来だ。


 ロクト・ベスティエ辺境伯令息は、とても整った美貌をしていた。近くで見るピジョンブラッドの瞳は輝いて、『モイラ』の紺青の瞳を映している。


 何故だか胸がざわついて、瞳をぎゅっと閉じた。眩しかったのもそうだが、それだけではない。

 間近で見た父も美しかったが、こんなに胸が高鳴ることはなかった。


 ドキドキとうるさい心臓を叱咤して、今は魔法行使に集中するため切り替える。


 地中から取り出した大量の魔素が魔力へと変化し、呪文を通して魔法に変換されるのを待っているのだ。


「“生命(いのち)を育む母なる大地よ、大いなる慈悲をもって子を癒し健やかなる成長を与え給え”」


 使命を受けた光の粒子が勢い良く上空へ舞い上がり、一斉に拡散してゆく。

 これならカイマス全域に届くだろう。なんという魔力。こんなに広い範囲に魔法を行使するのは初めてだ。


 なのにロクトの魔力は未だ送られてくる。無尽蔵なのだろうか。もしかしたら比較対象である『モイラ』の魔力が少なすぎるだけかもしれないが。


「……魔法はカイマス全域に届きました。多大なる魔力を貸していただき、感謝いたします」

「本当に、奇跡のような魔法です。少し、『視』させていただいても?」


 魔法にも識別眼が使えるものなのかと少し驚きながら、『モイラ』はコクリと頷いた。


「もちろん、どうぞ」

「ありがとうございます。“識別眼”」


 彼のピジョンブラッドの瞳が一層煌き、降り注ぐ光の粒子の分析を始める。


「……やはりどの属性にも属さず……特質魔法であることは間違いない……しかしこの構造式は見た事が……いや待て、どこかで見たものと似ている……?」


 きっと彼の瞳には次々と情報が映し出されているのだろう。ポツリポツリと考察が零れているのも無意識のようだ。


 魔法の行使も終わっているし、そろそろ立ち上がりたいところではあるのだが、両手は未だ彼の手に繋がれている。『モイラ』が立ち上がろうとすれば彼の識別眼の邪魔になってしまうだろう。


 タイミングを伺うため、レース越しにロクトをじっと見つめていると、光の粒子を追った彼の瞳がその紺青を捉えた。


 彼はずれた眼鏡を外し、『モイラ』のレースに手をかける。


「え、あの……」


 眩しさに目を眇めると、太陽に背を向けていた彼は位置を変え、己の身体で庇を作り、『モイラ』の瞳に陽射しが直接当たらないよう計らわれた。


 それでもこのように間近でこの気味悪い瞳を見られたくない。嫌がるように顔を背けようとするが、繋いだままの右手を強く握られた。


「申し訳ございません。瞳に魔力の滞りが。『診察』させていただけませんか?」


 そう言われてしまえば断りづらい。彼は善意で『診察』してくれようとしているのだし、嫌だというだけで拒否するには礼を失する。


「……このような、焦点の合わない気味の悪い暗い瞳でお目汚しを、申し訳ございません」

「何を仰るのかと思えば……夜空を切り取ったように美しい瞳を気味が悪いと形容するのは世間知らずにもほどがありませんか」


 言われた言葉がすぐに理解できずに、パチパチと瞬き頭の中で咀嚼していると「失礼」と微笑んだ彼のピジョンブラッドの瞳が煌めく。


「……これは……!」

「ちっかああああい!!」


 ロクトの瞳が驚きに見開かれると同時に、畑の外からエリザベスの叫びが轟く。


 ドレスの裾を持ち上げて、目を吊り上げながら畑の中に駆け寄ってきた。


「ロクト様!いけません!近いです!!まだ婚約者でもないのですから!ご自身のお立場を弁えてくださいませ!」

「リザ、違うのよ。今識別眼で私の瞳を診察していただいていてね……」

「今でなくともよいでしょう!お嬢様は魔法の行使でお疲れなのですから!」


 エリザベスに腕を引かれ、立ち上がる。


 正直、あのまま見つめられていたら心臓がどうにかなってしまいそうだった。やっと解放された右手で助かったと胸を撫で下ろす。


 そうしてロクトを見てみれば、座り込んだまま『モイラ』を驚愕の表情で見上げている。


「どうされましたか?」


 今度は『モイラ』の方からロクトが立ち上がるのを手伝おうと右手を差し出すが、彼の口から出た言葉は予想外なものであった。



「……貴女の瞳は、毒に冒されています」




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