15:専属侍女は密告する
『モイラ』お嬢様の部屋を辞してから、キャサリンはベスティエ家筆頭執事であるチェーニの元を訪れた。
チェーニは影走りの特質魔法を継承するソンブラ子爵家出身で、清廉なベスティエ家に降りかかる貴族の暗闘の処理を一手に担っている人物でもある。
「……どうだ?」
「ほぼ間違いありません。彼女はグランツ公爵令嬢ではないでしょう」
チェーニはキャサリンの報告を受け、眉間に指を当て溜息を吐いた。
「何者かの見当は?」
「……今のところ全く」
「彼女を連れて来たのはグランツ家だ。公爵夫人も本人に間違いなかった」
シルトがまだ前線で活動していた頃大怪我を負い、その傷を治したのがモイラの実母であるアイリスだ。その傍らにいつも控えていた侍女がライラである。
モイラの乳母であったライラがグランツ公爵の後妻に選ばれたという話は聞いていた。
遠い記憶ではあるが、その時に見た彼女より幾分派手になり歳を重ねた印象はあるものの、間違いなく本人だったと言えるだろう。
「彼女が『モイラ』を名乗ったのは結局夫人に促された時の一度のみです。専属の侍女になった私たちにも一切名乗っていませんし、名を呼ばせることもありません。昨夜ロクト様にすら名乗りませんでした」
「そこまで徹底しているとなると彼女自身はグランツ公爵令嬢に成りすますことに抵抗があるのかもしれんな」
そうだとして。身分を偽り他家に滞在するなど許されることではない。
本人が望んでいないとしても、そもそも彼女は誰なのか。誰が何の目的で命じているのか。それを詳らかに暴き、白日の下に晒す必要がある。
それまでは彼女を監視し、泳がせておくことになるだろう。
「特質魔法を行使するのですから貴族には違いないのですよね?あの特質魔法は珍しいのでは?チェーニ様はご存知ないのですか?」
「……あの魔法を知っていたなら、こんな形になる前にもっと早く協力要請を出して招聘していただろう」
確かに、あれは『奇跡』の魔法だ。あんな魔法を行使できるのに、悪事に加担するなんて信じられない。
「彼女を泳がせるとして、旦那様とロクト様に忠告した方がよろしいのでは?」
「……疑われていると知ったら自決する可能性がある。そうなったら彼女は表向きグランツ公爵令嬢だ。ベスティエ家の責任問題になりかねん」
「……確実な証拠を掴むまでは動けませんね」
幸いと言うべきか、彼女は『その道』の玄人ではありえない。
本気で成りすます気が少しでもあるならこんなにあからさまな別人を演じたりはしないだろう。
彼女は身も心も『モイラ・グランツ』とは対称的であり、おそらくはとんでもないお人好しだ。
彼女が主家に迷惑をかけるつもりがなくとも、彼女の主がそうであるとは限らない。
一刻も早く彼女が偽物である確たる証拠を掴み、追い出さなければ。
「……それにしても、惜しいな。もし本当に彼女がグランツ公爵令嬢であれば……」
「言っても仕方ありません」
キャサリンは確信していた。女の勘というものかもしれない。
彼女は『モイラ・グランツ』ではない。しかし、己の次期主は間もなく『彼女』を選ぶだろう。
そうなる前に彼女をベスティエ家から追い出すのだ。
完璧な次期主の隣にどこの馬の骨とも知らぬ女を添わせることはできない。
例え貴重な特質魔法を行使できるにしても、詐欺をはたらく悪人であることに変わりはないのだから。
「息子には伝えておく。リザは知らない方がいいだろう。嘘を吐けない子だからな」
「かしこまりました」
チェーニの言う様に彼女が本物の『グランツ公爵令嬢』で、聞いていた通りの我儘令嬢であったなら。もしくは偽物でも嫌な女であったなら。彼女の正体を暴き追い詰める事に罪悪感など湧かなかったのに。
ずしりと重くなった胸の奥の感情を隠して、キャサリンは自身の職務を全うする為、彼女の待つ部屋に戻って行った。




