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13:辺境伯後継の動揺




 叔父の邸の割り当てられた客間に戻り、ロクトは備え付けられているソファに深く身を沈めた。


 側近であるツェルはその様子を見下し、壁に背を預けながら口を開く。


「セントラ様の言葉は正しかったか?」


 ロクトは目を閉じ、回想する。


 昼過ぎに邸に到着した後、夕食の時間まで待ったが彼女が目覚めたという知らせはなかった。

 カイマスに医者は住んでいない。医者がいる大きな街から呼び寄せたとしても到着は明日になる。母を呼ぶにしても同じだ。


 彼女の事が心配で、夕食時に興奮気味に今日起きた『奇跡』について話す叔父と、今後の事を思案しているのか上の空だった父に、彼女を『視たい』と申し出た。


 父は友人の娘である未婚の貴族令嬢の部屋に未婚の男を入れる事をはじめは渋っていたが、叔父がベスティエの恩人に何かあってからでは遅いと賛成したこともあり、最終的に了承された。


 そうして夕食後。識別眼での診察を行うため彼女の部屋に行くと、驚きの連続だったのだ。


 まず、ベッドの上にはここに運んだままの状態の彼女が寝かされていた。

 何故着替えもさせず、帽子すらもそのままなのかと侍女に問えば、彼女の言いつけなのだと言う。

 責任は自分がとると許可を出し、見られたくないと言うならと目隠しで行わせた。


 同性である侍女にさえ見られたくない傷を自分が見てしまうことで、彼女を傷付けてしまうだろうか。

 識別眼持ちには守秘義務がある。彼女が知られたくなかったものを見てしまったら契約魔法を使って口外しないことを誓おう。


 意を決して、普段迂闊に『視ない』ように着用している伊達眼鏡を外した。


 ベッドに横たわる彼女の髪は艶のないくすんだ金髪で、一目で傷んでいると感じた。髪の美しさにこだわりを持つ令嬢が多い中、なかなか珍しい状態だ。


 しかし、そのまま視線を隠されていた素顔に移した瞬間、そのような些事は一瞬にして吹き飛んでしまった。


 そこには見たこともないほど美しい(かんばせ)があった。

 陶器の様に白い肌。形の良い眉。通った鼻梁。小振りな小鼻。薄紅の唇。長い銀色のまつ毛で縁どられている伏せられた瞼には一体何色の瞳が隠されているのだろう。

 さすがは王国一の美男美女の一粒種。まさしく目を見張るような美しさに一瞬呼吸を忘れてしまった。


 いつまでも目を奪われている場合ではない。ベッドサイドの椅子に腰を降ろし、素肌に触れないように注意しながら彼女の腕を取り、手首に流れる脈を『視る』。


 識別眼を発動すれば、大量の情報が頭の中に流れ込んできた。

 必要な情報を抜き出し、自身の持つ知識に当てはめて解析してゆく。


 まず、魔力切れの症状は予想していた通りだったが、彼女の元の魔力の少なさに驚いた。

 高位貴族令嬢の魔力がここまで少ないことがあるなんて。命名した人物の祝福が足りていなかったのか。いっそ悪意すら感じられるほど、真名が機能していない。

 母が知ったら怒り狂いそうだ。


 さらに、その腕の細さと、爪の形、体内を循環する血液の状態から栄養失調を読み取った。まともな食生活ではない。食糧難のベスティエ領であるからこそ、よく知る症状。

 しかし彼女は王都に住む公爵令嬢だ。コルセットは締めれば締めるほどいいといった悪習の所為だろうか?それにしても細すぎるし栄養も足りていない状態だが。


 そして手の傷。今日土を触ったからついた傷だけではない。これは水仕事を行っている手だ。


 以上を踏まえて考えうる事は二つ。公爵家で虐待されているか、ここに来るのが嫌で反抗の末の有様なのか。


 公爵家の当主、シルト・グランツ公爵は父の古い友人だと聞く。虐待を行うような人物であれば絶対に父は許さないはずだ。


 ……彼女はそんなにベスティエ領に、己に嫁ぎたくなかったと言うことだろうか。

 ズシリと胸が重くなった気がした。


 時折、彼女の眉間に皺が寄った。どこかに異常があるのかと身体全体を識別眼で視てみると、目の辺りに熱がこもっているようだった。

 父から彼女の目は光に弱いらしいと聞いた。

 目覚める予兆かもしれない。部屋の灯りを落として、ベッドサイドランプのみ照らして様子を見ることにした。


 本来なら、魔力切れ以外の問題がなければ部屋を辞するべきだっただろう。

 未婚の貴族令嬢の部屋に未婚の男が長居するのはよろしくないとわかっている。


 それでも彼女が心配だったし、直接礼を言いたかったし、彼女の気持ちを聞きたかった。


 目覚めた彼女はひどく目が痛むようだった。

 熱を持っている様子だったし、触って悪化する恐れもあった為、失礼を承知で彼女の手を押さえつけた。


 そこに現れた双眸は、夜空を切り取ったような紺青が揺れていた。瞳孔が開き、光を過剰に取り入れている。

 その瞳には違和感を感じたのだが、識別眼で『視る』余裕もなく、叫び出した彼女を宥めるのに必死だった。


 落ち着いた彼女と話をして、彼女は何かに怯えていると感じた。己に?

 違う。所見を伝えた時に彼女の呼吸が僅かに浅くなった。

 彼女の隠したかった『傷』はそれだったのだろう。


 彼女に侍女の世話を受け入れるよう説得して、一番伝えたかった礼を伝えた。


 彼女はこれからもあの魔法を行使してくれると言うが、識別眼で『視る』限り彼女の持つ魔力総量ではまた倒れるに違いない。それは己が解決できるだろう。


 あれほどスムーズに地中に溶け込んだ魔素を取り出し魔力に変換できるのなら、譲渡しようとする他人の魔力を使うことは容易いはずだ。


 と、いうより。魔素をあのように扱える者など他に知らない。自身の魔力が低いからこそ身に付いた技なのだろうか。


 魔素は目には見えないが、空気中にも水にも大地にも多かれ少なかれ含まれている。生物はそれを体内に取り込んで魔力に変換する。

 しかしそれは無意識下で行っているもので、自らの意志でやってみようと思ったことなどなかった。


 もしこれが誰にでも出来るようになるのなら。


 彼女の特質魔法に頼らずとも、ベスティエの食糧問題が根本解決する可能性があるということだ。


 ベスティエの救世主である自分の価値が分かっていないような彼女の言葉に返事を失っていると、彼女は更に見当違いな心配をし始めた。


 この少女はどこまでが外面で、どこからが素なのだろう。知りたくなって、レース越しに彼女を見つめた。すぐに己の側近の婚約者に止められたが。


 知りたい。気になる。彼女のことが。


「……きっと正しいんだろう。あんなにも鮮烈な令嬢だとは想像すらできなかった」

「惚れたのか?」

「……わからない。敬愛の念を抱いたのは確かだが、彼女のすべてが規格外で正直計り知れない」

「それにしてはリザに距離が近いと怒られていたようだが?」


 面白がるように唇の端を片方吊り上げたツェルをチラリと見やり己の行動を振り返れば。今更顔に熱が集まり朱に染まる。


「……お前が赤面するとは……」

「五月蠅い。反省しているんだ」

「いつも慎重すぎるほど考えて行動するお前が直情で動いたってことか。これは目出度い。お陰で俺たちが婚姻できる日も近そうだ」


 揶揄う口調の側近を睨みつけて、しかしすぐに目を伏せ俯いた。


 何も言い返せないことに気が付いてしまったからだ。


 今日の朝、母から齎された縁談に文句を言っていた。それが一日終わってみればこんなに感情が揺れている。


 この感情は劇薬だ。信じられない速さで己が作り変えられてゆく。

 動揺はしているが、それが嫌だとは思わなかった。


 湧き上がる熱を発散しようとソファから立ち上がりテラスに出る。

 頬を撫でる初秋の風が心地良い。


 星の散らばる夜空を眺めれば、彼女の紺青の瞳を思い出す。


 あの時抱いた違和感が引っかかる。目が酷く痛む様子だったし、問題があるのかもしれない。

 自分が直接『視』られればいいのだが、至近距離で瞳を覗き込む無礼は許されないだろう。

 また痛む時があるなら診察として『視』られるだろうが、彼女があのように痛みに苦しむ姿は見たくない。『視て』も己には解らない可能性もある。


 母を呼ぶべきだろうか。しばらくカイマスに留まるのであれば、母が遠征を終えてからでも直接ここに来てもらった方がいいかもしれない。


 今日起きた『奇跡』についての報告書はもう作成を済ませているが、彼女の目の問題も追記しておくことにした。


 どうか彼女がベスティエで心安く日々を過ごせますよう。


 ロクトの祈りは瞬く星々だけが聞いていた。




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