12:『公爵令嬢』は出逢う
眼球が熱を持ち、痛む。
体内の魔力を全力で放出すると訪れる激しい痛み。
普通はそんな痛みはおきないと父は言った。恐らく生まれつき目に疾患があるのだろう。
『―――、大丈夫かい?また目が痛むの?ああ、辛いね。ごめんね。君の苦しみを代わってあげられたらよかったのに。どうしてこうなってしまったんだろう?君は何も悪くないのに。……せめて、その痛みが治まるまで、ゆっくりおやすみ……』
父は、子守唄の特質魔法を持っていた。父の歌声を聞く者全て、深い安眠状態になる魔法だった。
対象を選べたらきっと軍が放っておかない能力だっただろう。耳を塞いでも届く音階は、子守唄を聞く生物を等しく眠りへと誘ってしまう。周囲が役立たずな魔法だと烙印を押しても、優しい父にとってはそれでよかった。
父の子守唄が大好きだった。優しさに抱かれて揺り籠が揺れているように。父が齎す眠りの中は、痛みも不安も恐怖もない。安寧だった。
でも今は、ただ痛い。
まどろむ意識が痛みによって覚醒していく。
「っ……」
手根部を目許に押し付ける。そうしていないと目から痛みが溢れ出してしまいそうだ。
「大丈夫ですか!?目が痛むのですか!?」
聞いたことのない男性の声が近くから聞こえる。それは非常に焦っていて、心配を孕んでいた。
父がかけてくれた声を思い出す。
「っ、目が……!」
「押さえつけてはいけません!何か入ってしまっているのでしょう、失礼!」
「あっ……!」
強い力で手首を掴まれ目から手が離れる。開けたぼやけた視界には、いつものレースがない。ベッドサイドに置かれたランプの光が直接目を刺す。
「ああああああぁっ!眩しいっ!灯り、灯りを消してください!」
「……!も、申し訳ありません……!消しました!これで大丈夫ですか!?」
ぎゅっと閉じた瞳を恐る恐る開けば、薄暗がりが広がっていた。窓から月明かりが入ってきている。夜になってしまったようだ。
今の光の刺激のおかげと言うべきか、眩しさで一瞬吹き飛んだ痛みは今では目の奥でズクズクと鈍い痛みに治まっている。
目を抑えようとして、未だに手首を掴まれていることに気が付いた。
「あの、手を……」
「あ、ああ、申し訳ない。失礼いたしました」
男は慌てて手を離すとベッドサイドに置かれた椅子の上で居住まいを正した。
薄暗がりでシルエットくらいしかわからないが、暗い色の髪のスラリとした男性のようだ。
仮にも貴族令嬢の寝ている部屋になぜ男性がいるのだろう。医者を呼んでくれたのだろうか。
パチパチと目を瞬き、まずはレースを探す為に身を起こす。
「起き上がって大丈夫ですか?」
彼は使っていない枕を背中に差し込み、『モイラ』が起き上がりやすいように体勢を整えてくれた。
そしてすぐに自分が羽織っていたマントを外し『モイラ』の肩に掛けてくれる。
「はい、問題ありません。ありがとうございます。……あの、目許にかけていたレースはどちらでしょうか」
「勝手に外してしまい申し訳ありません。帽子を被ったままだとしっかり休めないのではないかと判断しました。レースはこちらです」
彼は枕元からレースを取り上げ『モイラ』に差し出した。
それを受け取り手早く頭の後ろで紐を結ぶ。そういえばこのパサついたみっともない髪も見られてしまった。
……偽物だと、気付かれただろうか?
「侍女の手を借りずに着替えをお望みだと伺いましたが、お召し物が汚れてしまっていたので仕方なく……目隠しをしたキャサリンとエリザベスが行いました。重ねてお詫びいたします」
「……そうでしたか。ご迷惑をおかけいたしました」
『モイラ』はそっと身体をひねり、先程男が消してくれたベッドサイドランプを灯しなおした。
ポワンと灯ったあかりが現在の状況を映し出す。
先程から会話していた黒髪に赤い目の男は軍服を纏っている。どうやら医者ではなかったようだ。
その後ろ、開かれている扉の近くにはキャサリンとエリザベスが控えていた。
男の言葉通り、着ていた軽装は貴族女性が身に着けるナイトドレスに替わっていた。彼がすぐに掛けてくれたマントのお陰でみっともない姿は晒さずに済んでいる。
「申し遅れました。ベスティエ辺境伯家嫡男、ロクトです。正式なご挨拶はまた改めてさせていただきたく」
ということはこの男性がグランツ公爵がモイラに用意した嫁ぎ先ということだ。
モイラの言葉から抱いていた印象とはまるで異なるし、アドムとも雰囲気が全然違う為少し驚いたが、小さく頷きを返して彼の話の続きを促す。
「ここはカイマス卿の邸の客間で、ラシチーイモ畑で倒れられた貴女をここまで運んだのは父です。
そして、私は識別眼の特質魔法で貴女の容態を診る為この部屋に入らせていただきました。ご無礼をお許しください」
彼は座ったまま頭を下げたあと、カチャリ、と懐から取り出した眼鏡を掛けた。
「……所見を申し上げますと、倒れられた直接的な原因は魔力切れです。起きた時に目の痛みがあったようですが、識別眼を発動して直接視てはいないので診断はつきません。痛みはまだありますか?」
「いえ……もう大丈夫です」
医者という見立てはあながち間違っていなかったらしい。
識別眼の特質魔法はジニー伯爵家に継承される魔法だと聞いたことがある。
識別したい対象を魔力を込めて視ることで、情報をデータベース化する能力らしい。物凄い情報量の中から必要な情報を抜き出し、自身の知識に当てはめることで識別を行うので、識別眼持ちは得てして研究者の道を進むことが多いという。
要するに識別眼を持っていたとしても何でもわかるわけではない。知らない言語を見ても理解できないように、手にした情報を正しく読み取るためには自力で解析するしかないのだ。
ベスティエ家のご子息がそんな魔法を持っているなんて知らなかった。
やはり嘘など吐くべきではなかった。
嘘が暴かれる不安に心臓がバクバクと音を立てる。この音すら聞こえているのではないだろうか。
「しかしそれよりも気になるのが……栄養の足りていない身体と御髪。それから手指の傷。これは昨日今日ついたものだけではありません。主に水仕事によるあかぎれですよね」
……ああ、やはり。知られてしまった。
自分のような者が『公爵令嬢』に成り代わるなど無理があったのだ。
しかし続く彼の言葉は、予想とは違っていた。
「……そんなに嫌でしたか?」
「……?どういう、意味でしょうか」
彼はふうと一つ息を吐いて、真っ直ぐに『モイラ』を見つめながら続けた。
「食事もしたくないほど、ベスティエ領に来るのは嫌でしたか?相当反抗したのでしょう。身の回りの世話を自分でするようになるくらい、グランツ公爵の決定が嫌だったのではないのですか?」
「……」
そうではない、と即答は出来なかった。それを言えば別の理由が必要になってしまう。
しかし誤解は解かなければ。そもそも『モイラ』の存在自体が嘘であるのに、これ以上ベスティエ家の方々を傷付けるようなことはしたくなかった。
「……行き先の問題ではなく、ただ、父との別れが受け入れ難かったのです……まだ子供心が抜けず、お恥ずかしい限りです。申し訳ございません……」
『モイラ』がやつれてしまったのはまさしく父との突然の別れが原因だ。モイラも王都の『父』の元を離れたくないと文句を言っていた。これは嘘ではない。
「それであれば。ベスティエ領にいらしたからには、しっかり療養していただきたい。侍女の手を借りたくないとおっしゃった理由は今挙げたものを知られたくなかったからではありませんか?」
「……仰る、通りです」
「こちらとしては貴女は大切なゲストであり、俺の見合い相手です。どうか侍女の世話を受け入れ、ベスティエ領に滞在する限りはご自愛いただきますようお願い申し上げます」
「……はい。かしこまりました」
彼のお願いを『モイラ』が受け入れれば、彼は区切るように再び大きな息を一つ吐き、姿勢を正して向き直る。
「最後になってしまいましたが、一番お伝えしたかったことです」
「ええ、何でしょうか?」
「ベスティエを救っていただき、本当にありがとうございます」
彼は頭を勢い良く下げ、『モイラ』のベッドに額がつくくらいに身体を折った。
「何をなさっていらっしゃるのです!どうか顔を上げてくださいませ!」
「貴女のお陰で、多くのベスティエの民が飢えを凌げます。ご自身の魔力が尽きるほど行使が大変な魔法をベスティエの民の為に使っていただき、感謝の念にたえません」
「魔力の枯渇は私が未熟故起きたことです。畑の中心で意識を失いご迷惑をおかけしたことを責められることはあれど、お礼を言われるようなことではありません。
それに、今回魔法が行き届いたのはまだまだ一部でございましょう?これからも滞在中の御恩をお返しするためにも、微力ながらお手伝いさせていただきたく存じます」
「……」
彼は頭を下げたまま反応がない。何か発言に失礼があっただろうか。
考えを巡らせて一つ思い至る。また魔力切れで倒れたら彼が診察しなければならず、迷惑をかけてしまう可能性を忘れていた。
「あ、私がまた倒れましても診ていただかなくて結構です!もうお手間はとらせませんので何卒……」
「……俺が貴女を診たのは、やはり不快でしたか?」
「いえ、そうではなく……」
まずは顔を上げて貰おうと自らの体勢も下げ彼の顔を覗き込んでいると、彼は突然顔を上げ、眼鏡のレンズとレース越しに目線が絡み合った気がした。
ここには小さな灯りしかない上レース越しだ。彼の顔の造形はよく見えないけれど、ピジョンブラッドのような瞳がこちらを見ていることだけはわかった。
どうしたらよいのだろう?射竦められたように目を逸らす事が出来ない。
「お話中失礼いたします!だめですよロクト様ー?お相手は未婚の淑女ですからねー。距離が近すぎでーす。ほらーお嬢様が困っていらっしゃいますよー?」
彼の後ろからかけられた声はエリザベスのものだった。
その口調は侍女と主の関係にしてはかなり気安い。
「……わかってる」
彼は一つ瞬き視線が解けた。
無意識に止まっていた呼吸を思い出し、ホウ、と胸を撫で下ろす。
「本当ですかー?部屋の外に迎えが来てますし、お嬢様も目覚めたばかりでお疲れでしょうからさっさと出てってくれませんー?」
「相変わらず失礼な侍女だ……どんどん婚約者に似てきたんじゃないか?」
「似るほど一緒に居られる時間ないんですけどねー?誰かさんのせいでー」
ロクトとエリザベスの会話を聞いていると、実家のメイドを思い出した。彼女はいつも気さくで明るくて、彼女と話していると笑顔が絶えなかった。
父が亡くなりエーピオス家の取り潰しが決まった時、エーピオス男爵家が途絶えても主の娘である『モイラ』に仕えたいと望んでいてくれたのだが、父が亡くなった以上収入も無くなり、彼女を雇い続けることは不可能だった。
父の遺してくれた遺産の中から退職金を渡し、父と親交のあった男爵家への紹介状を持たせて暇を出したのだが今はどうしているのだろう。新たな職場で不自由な思いをしてはいないだろうか。
彼女は良く働くし気立ても良いので、いい人に見初められて、もしかしたら結婚してメイドの仕事は退職しているかもしれない。
何をしているにしろ、彼女が幸せで、今も元気に笑っていてくれるといいのだが。
「リザ、お嬢様の前だぞ。その辺りにしておくんだ」
部屋の扉の外から、また聞いたことのない男性の声が響いてきた。彼が迎えなのだろうか。
「あ!申し訳ございません!」
「大丈夫よ。仲がよいのは良いことだわ」
『モイラ』が口許を綻ばせたのを見ると、ロクトは立ち上がり、椅子の横で片膝をついて礼をとる。
「……それではそろそろお暇させていただきます。しっかり睡眠をとり、ご自愛ください」
「はい、お心遣い感謝いたします」
「またあの魔法を行使していただけるのであれば、次は必ず側で付き添います。もう二度と倒れさせたりいたしませんのでご安心ください」
「え……」
「では。そのマントは必要なくなれば侍女にお渡しください。おやすみなさい。良い夢を」
ロクトが部屋を後にして、彼のマントをエリザベスに渡してからフカフカのベッドに再び身を沈める。
先程の言葉は一体どういう意味だろう。魔力を枯渇させない制御の仕方を教えてくれるのだろうか?
しかしそれは幼少期から父も一生懸命教えてくれたのだ。それでも修得できなかった。
今日も、やはり枯渇してしまった。
魔素を大量に含んだ土から余剰魔素を取り出して自分に足りない魔力を補うところまでは良かったと思う。お陰で思っていたよりも広い範囲に魔法を行使出来たし、効果も充分だった。
あとは魔力が完全に切れてしまう前に発動を止められれば良かったのだが。全力で魔力を放出した時に起こる副作用のような目の痛みに、集中力が途切れてしまうのだ。
そうして間抜けなことに立っていられなくなって、倒れて迷惑をかけるという有様だ。
……そう言えば。彼に直接瞳を見られてしまった。
焦点の合わない濁った瞳は気持ち悪かったのではないだろうか。
彼のピジョンブラッドのような瞳は綺麗だった。
そのようにとりとめのない事を考えながら目を閉じれば。
身体が枯渇した魔力を回復させる為か、すぐに眠りに落ちてゆく。
その日みた夢は覚えていないが、良い夢だったに違いない。
初めて父以外の人から就寝前の祈りを受け取ったのだから。




