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11:辺境伯後継は奇跡を目にする




 太陽が中天から西に傾きかけた頃。カイマスに入ったところでロクトとツェルは馬を停めた。


「母上はカイマスでグランツ嬢を迎えるようにと言っていたが……あちらはもう着いているようだ」


 畑方面の入口にベスティエ家の幌馬車があり、馬小屋では父の愛馬が秣を食みながら休んでいる。


「ロクト様、お出でですか」


 顔馴染みの馬丁が出迎えてくれたので、愛馬を預けながら問う。


「父が来ているだろう。連れはどんな様子だった?」

「領主様のお連れさんですかい?おとなしい坊ちゃんでしたけどねぇ。彼に何か御用で?」


 返ってきた馬丁の言葉は予想していたものとは違った。

 我儘お嬢さんであれば印象に残っていると思ったのだが。


「男性も一緒だったのか。令嬢の方の話が聞きたい」

「へえ?ご令嬢はいらしてねぇですよ」

「……どういうことだ?」


 馬丁の返答に眉を寄せて、ツェルの方に問いかける。


「俺に聞かれてもわからん」


 肩を竦めるツェルに頷いて、馬丁にさらに質問を続けることにした。


「その坊ちゃんとやら以外に見たことのない人物はいなかったか?」

「ええ。全員ベスティエ家に勤めてる方々でしたよ。おいら人の顔は一度見たら忘れない質ですからねぇ。間違いねぇです。あ!でも」

「どうした?」

「坊ちゃんのお顔は見えなかったですよ。こう、帽子を深ーく被っててね。だから余計におとなしく見えたってわけです」


 予定が変更になったのだろうか。我儘お嬢様なら有り得ない話ではない。と、言うより当然かもしれなかった。公爵令嬢が農耕地の視察に大人しくついてくるわけもない。


 しかしそれであれば、帽子を目深に被った坊ちゃんとは一体どこの誰なのだろう?


「アドム様に聞くしかないな」

「そうだな。では、馬を頼む」

「へい」


 ロクトは己の母の趣向に全く思い至ることはなかった。男装する貴族令嬢はそう多くはないのだ。


 父と合流する為、収穫期も近いというのに実りの悪い畑を左右に見ながらラシチーイモ畑へと向かって歩いてゆく。


 そうして見えてきた不作のラシチーイモ畑の中心にしゃがみ込む人物がいる。


 まだ距離はあるが、魔法行使時に起こる独特な空気の流れを感じとった。隣を歩くツェルも同じのようだ。

 二人は無意識に足を止めた。


「おい、ロクトあれ……!」

「何だ……畑の真ん中で何の魔法を……?」


 目にした光景に目を疑う。


 遠くてもわかる魔力の奔流。地中から魔素が目に見える粒子になってプカプカと浮き出ている。

 魔素の粒子は淡く光って畑の中心に徐々に集まっていくと、おそらくこの魔法の行使者であろうしゃがみ込む人物の方に吸い寄せられていき、身体の周りで渦を巻く。


 ふわり。その人物の周りの重力が消えたかと思えば、激しい上昇気流が発生する。


 粒子が舞い上がり光の柱が出現した。


「っ……!!」


 なんだあれは。あのような魔法は見たことがない。恐ろしいほどの魔素量が目に見える形で吹きあがっているのに、不思議と恐怖は一切ない。

 むしろ暖かな陽射しのような印象を抱く。安心感。あれはこの地に害を齎すものではないという確信。


 光の柱が一斉に霧散する。粒子が拡散し畑に降り注いでいく。


 キラキラ光り始めた粒子の一粒を目で追えば、畑の土に落ちて染み込んでいった。


「何が起きている……っ!?」


 そこから、ラシチーイモの芽が生える。シュルシュルとその芽を伸ばし、あっという間に葉が茂る。


 その株だけが特別なのではない。粒子が落ちた先で次々と芽吹き、成長していく。

 光が収まったその畑一面に、信じられない量のラシチーイモが実っていた。


 目の前で何が起きているのだろう。奇跡が、起きた。それはわかる。


 隣ではツェルが絶句している。

 突然豊作になった畑の外で数人が立ち尽くしている中に一つ飛び出す赤髪の頭を見つけて、それが己の父であるとわかる。あれが視察団に間違いない。


 では目の前の奇跡を起こしたのは誰だ?


 先程まで光の柱の中心にしゃがみ込み土に手をついていた人物に目線を戻す。


 畑の中心で俯き、手根部で目許を押さえていた。その時。


 ふらり。ゆっくりと、その身体が傾いでゆく。


「“疾風”!」

「……おいっ、ロクト!!待て!」


 気付けば駆け出していた。風魔法を発動して、ロクトに出せる最高速度で。

 後ろからツェルもついて来ているようだが、ここに影はない。自分の方が速いだろう。


 近付いて行くうちに良く見れば、その人物は少年のようだった。あれが馬丁の言っていた坊ちゃんだろう。


 父達の方から何か声がかかるが今はそれどころではない。


 今にも畑に倒れ込んでしまいそうな少年の身体の下から風魔法を行使し倒れ込まないように風で支える。

 そうして走り込んで自分の腕で彼の肩を支えれば、その細さと軽さに驚いた。


 目深に被った帽子のつばの下にはレースが掛かっており、その上を彼の手が覆っている。

 深緑のチュニックと濃灰のパンツは地味なものだが、手触りの良い貴族にしか手が届かない高級な生地だとすぐにわかる。と、いうか。この衣装は前に母が着ていなかっただろうか。


 まさか。点と点が繋がってゆく。


「おーい、息子よ。聞いてるか?いくら見合い相手とは言え、未婚のお前が未婚の淑女を抱くのはまずいんじゃないかー?」


 畑の外から父の呆れた声が届く。


 恐る恐る自分の腕に抱く()()を良く観察する。


 土に汚れた手は荒れて傷だらけではあるがその肌は白く陶器のようで。支えた肩の幅は狭く頼りない。覗いた細い首元にはもちろん喉仏は見当たらず、白く滑らかな肌を薄く汗が伝っている。


 ゴクリ。無意識に喉の奥が鳴った。今己が置かれた状況のまずさに気が付いたからだ。


「知らなかったじゃすまんぞ。お前はグランツ公爵令嬢がここにいると知っているはずだ」

「……今は、そのようなことを言っている場合ではないでしょう。気を失っています。ベッドに運ばなければ」

「お前が運ぶのか?」


 いいのか?と父が言外に言う。

 彼女をこのままロクトが寝室に運ぶということは、彼女の乙女の名節を汚し、実質彼女との婚姻が決定的になるということだ。


 一番良いのはこの場で最も爵位の高い父アドムに彼女を任せることだろう。父は既婚者であるし、グランツ公爵令嬢をベスティエ領に招いたホストでもある。何の柵も生まれないし、彼女の名節も守られる。


 しかしこの胸に渦巻く感情はなんなのだろう。手放したくないのだ。彼女を他の男の手に委ねたくない。それが己の父であっても。


 ……いや。今の自分は先ほど見た『奇跡』にあてられている。冷静になるべきだ。


「……いえ。この方がグランツ公爵令嬢その人なのであれば俺が運ぶのは問題でしょう。父上、お願いしてもよろしいでしょうか」

「頭が冷えたようで何よりだ。……まぁあんなモンを見せられて冷静でいろというのは難しいことはわかる」


 周囲には彼女が起こした『奇跡』が未だ消えずに残っている。


 父の隣で放心状態だった叔父、ソルフが我に返ったように口を開いた。


「ああ……兄上、すまないがお嬢様のことは任せていいだろうか?邸の客間は自由に使ってくれ。私はこの畑の調査をしたいのだ!」

「もちろんだ。本当にこの一面の葉の下にはイモが実ってるのか?」


 ソルフが畑に入り、一番手近な葉を引き抜く。

 そこには大きなラシチーイモが鈴なりに実っていた。この地で生産しているラシチーイモと同じ品種だとは思えないほど立派で瑞々しい。健康そのもののイモだった。


「なんてことだ……信じられない!見てくれ、この立派なラシチーイモを!こっちも!こっちもだ!ああ豊穣の女神デミルーよ……!お嬢様、感謝します……!これで今年はベスティエで飢えて死ぬ子がいなくなるぞ!」

「……まさか本当にこんな魔法が存在するとは。これはまさしく『奇跡』だろう」


 ざわめく周囲の声を聞きながら、ロクトは考えていた。


 もしかすると己の見合い相手は、予想していた我儘お嬢様などではなく、何をもってしても得難い女神のような存在なのではないだろうか。


 母との会話が脳裏に過る。

 腹は立つが、母の言葉通りになる予感がするのはきっと気のせいではないだろう。


 未だ顔も知らず、どんな声で、どのような会話をする令嬢なのかも知らないが。


 昨日訪れたばかりの格下の家の領地で、魔力切れを起こして倒れるほどの大魔法を行使し、領民に救いの手を差し伸べてくれる令嬢だ。


 父とどんな話をしたのかはわからない。それでも自ら視察に同行を申し出、魔法を使う判断をしたのは彼女だ。人柄は伺える。


 ロクトは腕の中で意識を失う少女に深い感謝と尊敬の念を抱き、捻くれた想像をしていた己を恥じた。




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