10:カイマス子爵は視察団を迎える
朝にベスティエ城を出発し、太陽が中天に達した頃視察団一行は目的地に到着した。
カイマスに着いてすぐ、アドムの線を細くしたような赤髪の中年男性が出迎える。
「兄上、良く来てくれた」
「ああ。出迎え感謝する。
グランツ嬢、紹介しよう。我が弟、ソルフ・カイマス子爵だ。カイマスの管理を任せている」
ソルフはアドムの紹介を受けて、未婚貴族女性に対する礼をとり、慌てて頭を下げた。
動揺が隠せない。聞いてなかった客人だ。まさか王国の盾の子女がこのような辺境の地の農業地にやってくるなんて一体何事なのだろう?まったく心の準備が出来ていない。
来るなら来ると何故伝達されていないのか。兄はそういうところがある。それをフォローするのはいつも奥方であるセントラか後継である甥のロクトだが、今回はそれもなかった。
急に決まったのだろう。兄の思い付きに違いない。
内心で兄に対して罵詈雑言を並べていると、兄の後ろから身体をずらして現れたのは目深に帽子をかぶった少年だった。
透き通った美しい声が耳に届き、少年ではなく少女であることを知る。
「初めまして、カイマス卿。公式の訪問ではありませんのでどうか楽になさってくださいませ。本日はよろしくお願いいたします」
公式の視察ではないし、このような淑女らしからぬ格好をしている貴族令嬢が名乗らないのはよくある話だ。そんな時ホストは畏まり過ぎず接し、相手の名を呼ばないのがマナーとなる。
恐らく動揺したソルフを気の毒に思ったことも原因の一つだろう。
彼女の気遣いに感謝し、兄を睨みつけたい気持ちを抑えて笑みを創った。
「かしこまりました、お嬢様。
さて。着いて早々ですが、早速ご案内してよろしいか?兄上」
「ああ、頼む」
ソルフの心内など一つも伝わっていない様子の兄は相変わらずで、つい溜息を吐きそうになってしまうがすんでのところで飲みこんで自分の職務を全うすることにした。
アドムを先頭にチェーニがすぐ後ろに控え、その後ろから『モイラ』と二人の侍女が続き、その左右を護衛二人が挟んで歩いてゆく。
本当に公爵令嬢にこのような足場の悪い道を歩かせていいのだろうかとチラチラと様子を伺ってみるものの、当の本人は平然と歩きながら左右に広がる畑の様子を注意深く観察しているように見えた。
目深に被った帽子のつばの下に目許を隠すようにレースが着けられている。あれで見づらくはないのだろうか。
しかし足元はしっかりしている。彼女についてる二人の侍女の方がよっぽどふらついていた。無理もない。畑はドレスとヒールでやってくるような場所ではないのだから。
「……例年よりも、良くなさそうだな」
カイマスの畑の状態は、予想より良くなかった。
ソルフに案内されながら、アドムは落胆が隠せなかった。
「ああ。今年は魔素が多いようだ。どの畑の状態も良くないが、一番深刻なのはやはりラシチーイモだな。間もなく収穫期だが無事に成長しているのは作付面積の三割程度だ」
「三割か……厳しいな」
広大な畑に、ラシチーイモの葉がポツポツと葉が茂っている。成長した葉と枯れてしまっている葉が植えられた場所に規則性はないようで、特定の畑に問題があるというわけではないようだ。
「畑に入ってもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いませんが……」
公爵令嬢が畑に入って何をするというのだろう。ソルフが当然の疑問を浮かべていると、その肩を兄が叩いた。
「本人たっての希望だ。見ていよう」
アドムは未知の魔法に対しての興味と少しの希望を抱いて『モイラ』を見守っている。
「……枯れている。やはり病気になっているのね。うん。これなら大丈夫、きっと治せる」
彼女は畑にしゃがみ込んで枯れた葉に触れて調べているようだ。声は聞こえないが何かを確認している。
『モイラ』の指が土に触れる。貴族令嬢というのは自らの手が汚れることを忌避するものだが、どうやら彼女は違うらしい。指を土に埋めていき、そこからゆっくりと掘り返し、その土を握ったり指で擦ったりしている。
「土を掘るなら道具を使ったらどうだ?それでは手を痛めるだろう」
声をかければ、彼女は汚れた手を払いながら立ち上がった。
「お気遣い感謝いたします。しかしながら大丈夫です。土の状態は大体わかりました」
「そうか。……で、どうだ?」
「土の耕し方や水分量に問題はありません。しかし……魔素が多いと聞いていましたが、これほどとは思いませんでした。道理で作物が魔素の過剰摂取で枯れてしまうはずです」
ソルフは『モイラ』の解析に驚きを隠せない。視察前に多少勉強してきたにしても的確だ。
「ええ、そうなのです……お嬢様は農業についてお詳しいのですか?」
「いいえ、専門ではありません。素人が生意気を言って申し訳ございません」
「いやいや謝らないでください!的確な知見でしたので感服いたしました」
公爵令嬢に頭を下げさせてしまうなどとんでもないことだと、慌てながらより深く頭を下げると、すぐに頭を上げるように言われてしまった。
……本当に公爵令嬢とは思えないお方だ。
「それで……例の魔法の行使に向けて、こちらで何か用意する必要はあるか?」
「いいえ、特に必要な物は……あ、では一つだけよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。協力できることがあるなら何でも言ってくれ」
「昨夜にも申し上げました通り、私の魔力は充分ではありません。魔法の行使後、おそらく意識を手放すことになると思います。ですのでご迷惑をお掛けいたしますが、その後のお邪魔にならない場所に運んでいただけますでしょうか」
『モイラ』は何でもないことのように告げるが、周囲はざわめいた。
体内から魔力が枯渇すれば気を失ってしまう。しかし普通は空っぽになるまで使い切ったりはしない。魔力を枯渇させて倒れるのは初めて魔法を行使する幼子くらいだ。一度あの感覚を味わったら魔力の枯渇には充分に気を付けるようになるはず。
「そこまでする必要はない!一度にできなくても魔力が回復してからまた行使すれば良いだろう!」
「私も自力で動けるくらいには魔力を残せれば良いと思うのですが、とても……不得手でございまして」
実家の庭で練習していた時も、倒れる度いつも父がおぶって寝室まで運んでくれていた。あの幸せな瞬間を味わう為、いつも魔力を使い果たす癖がついてしまったのかもしれない。いや、『モイラ』が魔力操作が苦手なのは事実なのだが。
「そもそもどのような魔法を行使されるのです?兄上、ちゃんと説明してくれ!」
「俺も見たことないんだ。説明しようがない」
「草木の成長を促す特質魔法で作物を正しく成長させるだけです。変なことはいたしませんのでご安心くださいませ」
ソルフが驚きに目を見開き時が止まる。
「……兄上、彼女は何を言っているんだ?」
「だから!俺も見たことないと言っているだろう!」
「……実際に見ていただいた方が早いかと存じますので、早速取り掛からせていただきます」
「ああ、頼む。しかし無理はしないでくれ。シルトから預かってるんだ。君に何かあれば申し訳が立たん」
「はい、では……」
『モイラ』はラシチーイモ畑の中でも、一番成長した葉が少ない一帯を選んで、その畑の土に両手を埋めた。




