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1:公爵令嬢は嫁ぎたくない




 ガタゴトガタゴト……


 アントス大陸一の大国、フィオーレ王国。

 その王都を出発して幾日か。辺境へと走る四頭立ての大きな馬車にはグランツ公爵家の家紋である大盾が記されている。


 カーテンの外に流れる景色は田舎の丘陵を映し出している。

 本日中には目的地である西の国境、ベスティエ領を治めるベスティエ辺境伯の居城へと到着するだろう。


 王国の盾と渾名される王国一の騎士であるシルト・グランツ公爵の一人娘であるモイラ・グランツ公爵令嬢は、出発時から変わることのない不機嫌そうな表情で、父より少し明るい青色の瞳で正面をねめつけた。


「そろそろ到着する頃合いね。さっさとこのドレスに着替えなさい」


 正面にはお仕着せに身を包み、レースで目元を隠した少女が姿勢よく座っていた。

 少女に向かって豪奢なドレスが入った荷物を押し付ける。


 普段であれば同じ馬車に乗ることなど有り得ない二人が、今日に限って同乗している理由だ。


 少女からすればそもそも一行がどこに向かっているのかすら聞かされておらず、今日になって突然モイラと同じ馬車に乗るよう指示されたのだ。いつでも理不尽な公爵令嬢の気まぐれかと思っていたが、いつもとは何か違う。

 モイラが少女の物を奪い、取り上げることは日常茶飯事でも、自分の物を少女に与えることなどこれまで一度だってなかったため、少女は表情には出さなかったが驚いていた。


「……こちらはお嬢様のドレスですが」

「そうよ、嫁入り道具の一つとしてお父様が用意した忌まわしいドレスよ!だからあんたがこれを着るの!」

「……それを私が着用してはグランツ公爵に叱責を受けます」

「あんたがお父様に直接お会いできるとでも思っているの!?たかが男爵家出身で!しかも家が取り潰されて平民同然だったくせにお義母様の連れ子というだけで公爵家(うち)に世話になっている分際で!」


 モイラが苛烈に怒る様は公爵令嬢たる淑女にあるまじき姿だが、この馬車の中にはモイラと少女の二人しか乗っていない。

 例え少女の言葉が正論だとしてもモイラの暴論の方が力を持つ。それが貴族の在り方で、絶対たる階級制度の縮図だった。


 少女は溜息をかみ殺し、彼女のドレスが入った荷物を受け取った。これ以上何を言っても無駄だと知っているからだ。



「……お父様、ひどいわ……どうして私が野獣の息子になど嫁がなくてはならないの……私はグランツ公爵家の唯一の嫡子なのよ……?いずれ王族から婿養子でもとって公爵家を継ぐのだと思っていたのに……」


 彼女がぼやく言葉のように、この馬車はグランツ公爵家の一人娘を乗せて、嫁入りの為ベスティエ辺境伯の領地である西の国境へと向かっている。

 この馬車隊の先頭と殿の馬車には合わせて十人ほどの警護の騎士たちも乗っているし、一つ前の馬車には彼女の義母であり、少女の母であるグランツ公爵家の後妻ライラも同行している。


 モイラはライラの連れ子である少女のことは大嫌いだが、ライラのことはライラが自分の乳母として勤めていた頃から慕っている。


 ライラも実の母のように懐いてくれるモイラを心から可愛がっているし、実際没落寸前の子爵家の次女で、男爵家の寡婦に過ぎないライラが後妻に選ばれたのも、モイラがそれを望んだからだ。



「お母様が生きていらっしゃればこんなことにはならなかったはずなのに……」


 モイラの母であるアイリスは、数ある魔法の中でも貴重な治癒の特質魔法を継承するサナーレ侯爵家を生家に持つ令嬢だった。


 透き通るような白い肌。陽にあたると銀糸のようにキラキラと輝く真っ直ぐな銀髪。紫色の大きな瞳。形の良い鼻と薄紅に色付く唇。そのどれもが彼女の美しさを証明していた。


 シルトが戦場で負った傷をアイリスが治癒の魔法で治した時に運命の出会いを果たし、その後シルトの猛アタックが実を結び、貴族の中では珍しく恋愛で始まった婚姻で公爵家に迎えられた。


 王国一の美男美女の結婚式では多くの者が恋に破れて涙を流し、しかしそれ以上の大いなる祝福が贈られた。


 しかし。アイリスの身体は弱く、子は望めないだろうと医者から言われていた。

 自身も持つ治癒の魔法で治せればよかったが、先天的な疾患や加齢による寿命はどうにもならない。

 それでも妻を心から愛するシルトは第二夫人を娶ることも妾をつくることもなく、妻のみを愛した。


 そうして婚姻から十年経った頃、子を授かったのだ。

 アイリスは歓喜し、シルトは心中穏やかではなかった。身体の弱い妻が無事に子を産むことが本当にできるのだろうか?


 シルトはアイリスに子供は諦めるよう説得したが、アイリスは泣いて拒否した。お腹の子が聞いているのに、そんな残酷なことを言うなんてと夫を責めた。

 シルトは妻の言葉を受けて反省し、心配ではあるものの妻が安全に子を産めるよう尽力した。


 それでも。その甲斐虚しくアイリスは出産に耐えることはできなかった。

 命懸けで子を産み、出産時も側で控えていたライラに我が子を託し、夫を遺して逝ってしまった。


 モイラはアイリスに全く似ていなかった。父と同じ金髪に、父より少し明るい青色の瞳。父と同じ結界の特質魔法も、母と同じ治癒の特質魔法もいまだ修得できていない。

 特質魔法は必ず遺伝するものでもないため、モイラが悪い訳ではない。それでも周りから期待外れだと言う視線で見られるたびにモイラは唇を噛み恥辱に耐えた。


 それを慰めてくれていたのが今の義母である乳母のライラだ。モイラにとってライラだけが味方で、ライラが自分の本当の母であればよかったのにと思った。


 モイラが成長するにつれて、父は失望していったように思う。


 容姿は美しいが両親にはあまり似ておらず。

 高い魔力を持つものの、特質魔法の修得はモイラなりに頑張ったがうまくいかず。

 貴族としての勉強で好成績をとっても父は褒めてくれない。


 父に愛される努力は無駄なものなのだと、やる気はどんどん失われていった。


 そして三年ほど前のこと。父に後妻を迎えるようにとの王命が下った。

 シルトは何度も固辞したが、貴族として公爵家を守っていくためには女主人が必要なのは仕方がないことだと王から直接諭され、重い腰を上げた。そこでモイラは新しい母にするのならば、乳母であるライラがいいと望んだのだ。


 ライラは貧乏子爵家の次女として産まれ、幼い頃から侯爵家令嬢であるアイリスの侍女として仕えていた。

 アイリスの輿入れと同時に、アイリスが懐妊した際に乳母になるためにとある男爵と婚姻を結んだが、普段はアイリスの侍女を続けた。そうしてアイリスと同じ時期に出産となるように子を産んだ。夫である男爵は五年ほど前に亡くなったそうだ。


 そのライラがアイリスと同時期に産んだ一人娘。それが、今モイラの目の前に座る少女だ。


 公爵家に引き取られてきた三年前、初めて会った少女は男爵令嬢とは思えない様だった。

 モイラと同じくらいの身長に、やつれて痩せた身体。安物のドレスとアクセサリー。手入れが行き届かず艶の消えたくすんだ金髪。そして顔は口許しか見えなかった。

 視力が弱く光が強いと視えないとかなんとかのために、常に目許をレースで覆っているからだ。


 それなのに、その立ち姿は凛として優雅で、所作の端々に育ちの良さをにじませていた。さらに特質魔法まで使えるらしい。たかが、男爵家の娘のくせに。

 公爵家に来たからには特質魔法の使用は禁止した。どんな魔法なのかは知りたくもないので聞いていないが、モイラがまだ修得できていないのだから、下の人間がモイラより優秀であるなどということは許されない。


 何から何まで目障りだった。

 目許のレースも陰気くさいから外せと言っても母から言いつけられているからと絶対に外さない。

 モイラにとってライラの言うことなら従わないわけにはいかないので強要することもできないのが忌々しい。


 ライラから少女に与えられたのだろうドレスやアクセサリーなどを全て取り上げても文句一つ言わなかったのに。生意気だ。

 少女の物が欲しくて取り上げたわけではない。モイラが普段身に着けているドレスやアクセサリーの方が数倍豪華で値が張るものだ。あんな安物を身に着けるなど、公爵令嬢にとって恥である。ただ、敬愛する義母から直接与えられているということが許せなかったから、取り上げて処分してやった。


 ライラは自分の娘がモイラに虐げられていることも知っているだろう。

 離れの使用人部屋に住まわせ、男爵家から持って来た物も全て取り上げ、はじめはモイラの侍女にという話だったのだが、モイラの独断で侍女ではなく下働きのメイドの仕事をさせている。


 それでもライラはモイラを叱ったりはしない。ライラにとって実の娘よりも自分の方が優先順位が高いことに優越感を憶える。


 今回の婚姻のこともそうだ。


 あの日は久しぶりに父から呼び出され、目一杯着飾って父の元へ向かった。




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