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男爵令嬢タリサ②

 母を殺して帝位に就いた皇帝フェリクスはその非道な行いから、「残虐皇帝」と呼ばれるようになった。多くの者は、ついにフィネル帝国も終焉を迎えるか……と絶望したという。


 だが、皇帝は多くの者たちの予想を裏切った。彼が敵対者を血祭りに上げたのはあの誕生日の夜だけで、それ以降彼が国民を手に掛けたという話は聞かなかった。


 彼は女帝にこびへつらい甘い汁をすすっていた官僚たちを追放し、有能な者を多く登用した。税制度を見直し、地方に向かうにつれて課税率が上がるというとんでもない現状をすぐに叩き潰した。職を失った者たちに雇用の機会を与え、荒れた土地を開墾して農作物を育てさせた。


 皇帝の治世は一年も保たないだろう、と言われていたが彼は年月を重ねるごとに国を立て直し、女帝時代とは比べものにならない速度で国は栄えていった。


 そして、フェリクスが即位して五年後。

 二十歳になったタリサは、八年ぶりに帝都に足を踏み入れることになったのだった。









(ここが、あの帝都……?)


 大通りに立つタリサはなんとも言えない気持ちで、辺りを見回した。


 八年前、十二歳の時に訪れた帝都は、大通りこそは華やかだったがどこか人々の表情は沈んでいたし、一本道をそれるとスラム街が広がるという状態だった。


 だが今、帝都には暗い場所が一つもないという。かつてスラム街で生きていた者たちには仕事が与えられ、親を亡くした子たちは養護院で生活できるように体制が整えられた。

 露店を眺めてみても、かつては店ごとに価格が違いとんでもない値段をふっかけられたというのに、今では商品の販売価格がある程度決められているため、帝都に不慣れなお上りさんでも安心して買い物ができるようになっていた。


「姉上、帝都ってすごいですね! きらきらしています!」


 そうはしゃいだ声で言うのは、今年十二歳になったばかりの弟・サウロ。


「そうね……。私の記憶にある帝都は、きれいだけれどもっと物騒な場所だったわ」

「姉上が最後にここに来たときとは、全然違うのですね」

「ええ。……皇帝陛下のおかげね」


 フェリクス皇子が皇帝となってから、いろいろなものが変わった。彼が立てた新制度により二年ほど前から、帝国貴族の子女は十二歳を迎えると皇帝に挨拶しに行くことになっていた。


 タリサの時にはそういう制度がなく、十六歳の成人を迎えたら適宜社交界に参加する形だった。だがタリサは帝都が苦手だったし男爵家は女帝から嫌われていたので、社交界に出たこともなかった。


 新制度に多くの者たちは戸惑ったが、皇帝の「帝国の未来を担う子どもたちの顔を見ておきたい」という強い気持ちから、施行されるに至ったそうだ。


 なお、一般市民の子どもたちはさすがに皇帝には会えないが、同じように十二歳を迎えたら教会などで祝福を受けるようになっていた。そのときにも神官が、「皇帝陛下は、あなたの成長を心から楽しみにしております」という皇帝からの祝辞を一人一人に与えるそうだ。


「残虐皇帝」と呼ばれた皇帝フェリクスは今や、歴代皇帝の中でも屈指の賢君として慕われている。惜しむらくは、二年後には帝位を従弟に譲って退位すると決まっていることだろうか。


 弟も皇帝のことを考えていたようで、タリサと同じ緑色の目を瞬かせた。


「皇帝陛下がずっと国を治めていればいいのに、もうすぐ退位してしまうのですよね」

「ええ。陛下は、母方の従弟であるエミディオ様が十八歳――帝位を継げる年になられたらすぐに譲位すると、決められているそうね」


 どうやらフェリクスは最初から、エミディオが即位するまでのつなぎの皇帝となるつもりだったようだ。

 エミディオの母は前女帝ソフィアの妹なので、彼も皇家の血を継いでいる。皇帝はエミディオに確実に帝位を継がせるためか、これまでたくさんの縁談が届いても全て断り、独り身を貫いているという。


 十八歳で母を殺して皇帝になったフェリクスも、もう二十三歳。普通ならもう妃の一人か二人は持っていてもおかしくない年だが彼は縁談を断っているし、基本的に普段からにこりともしないという。

 信頼する従弟やわずかな部下の前だけでは皇帝もある程度態度を緩めるが、基本的に彼は言葉数が少なく、容貌は整っているのにその表情は凍り付いたかのように動かないそうだ。









 タリサはサウロと共に、帝城に向かった。


 もう二度とここには来たくないと思っていたが……今から三十年前、ミアだった頃に訪れたときと違い、帝城の門は大きく開かれていた。

 検問はしっかりしておりタリサとサウロも身分証明証を提示した上で身体検査も受けたが、その後はさらっと中に通してもらえたし、「一般者通行禁止の場所以外は、自由に散策してよいです」とまで言われた。


(「残虐皇帝」だったのは五年前のあの夜だけで、それ以降は国民思いで寛容な普通にいい皇帝陛下みたいね……?)


 サウロはこれから着替えて、皇帝のもとに挨拶に行く。これは大人になるための第一歩と言える儀式なので、彼は保護者や使用人を付けずに一人で皇帝の前に行かなければならない。

 一方タリサはあくまでも弟の付き添いなので、弟の仕度さえ終わらせたら後は自由散策してよいということになった。


「サウロ、しっかり陛下にご挨拶するのよ。緊張しなくていいから堂々と自己紹介をしなさい」

「は、はい。頑張ります!」


 挨拶用の一張羅に着替えたサウロは緊張の表情だったが、待機部屋には同じ頃に誕生日を迎えた貴族の令息令嬢たちがいたため、そこに行くと彼もふんっと背筋を伸ばして皆の中に入っていった。


(……サウロ、大きくなったわね)


 弟を見送って廊下を歩きながらタリサはふふっと笑い……その拍子に、前世の自分が面倒を見た子のことが思い出されてきた。


 今ならクレトのような親を失った子も、十六歳まで養護院で面倒を見てもらえる。そして平民だとしても十二歳になったら教会で、皇帝から祝福の言葉をもらえる。


 三十年前にミアやクレトが行ったことは、無駄だったのかもしれないと思っていた。

 だが……巡り巡ってあの出来事がこの平和な未来につながったのなら、少しだけ傷も癒える気がした。


(……お花でも見に行こうかしら)


 男爵領は緑豊かでいろいろな花が咲いていたし、前世でミアとクレトが暮らしていた家も森の中にあったので、薬草だけでなくて様々な花が咲いていた。だからか、タリサは前世に学んだ薬草の知識はもちろん、花についてもそこそこ詳しい自信があった。


 庭園を探していると、巡回の兵士が道を教えてくれた。


「どうぞごゆっくりお過ごしください。……あ、ただし奥にある門までです。その先は、皇帝陛下の安らぎの場所なので」

「まあ……陛下は花を愛でられるのですね」


 やはり「残虐皇帝」は最初だけだったのだろうと思いながらタリサが言うと、まだ若そうな兵士は「あー……」と頭をかいた。


「花……はないみたいです。自分もちらっとしか見たことがないのですが、草がぼうぼうに生えているだけでしたね」

「草ですか……」

「ま、まあとにかく、門よりも先に行かなければいいです! ちゃんと立て札もありますので、散策はそこまでにしてくださいね!」

「かしこまりました。ご丁寧にありがとうございます」


 兵士に礼を言い、タリサは庭園に向かった。


(……ここ、前世にちらっとだけ見たことがあるわ)


 今はないが、三十年前はこの庭園の奥に立派な離宮――皇女ソフィアの居城があった。だからそこに行く前にこの庭園の脇も通ったのだが、あの頃は薔薇などがこんもりと植えられていたような気がする。


 だが今は、緑のアーチや蔦の絡んだパーゴラなど、華やかさよりも爽やかさや散策しやすさを優先させた造りになっていた。タリサと同じようなドレス姿の令嬢たちがおしゃべりしながら歩いていたり、老年の夫婦がガゼボでまったりと休憩したりしている姿が見られる。


(さっぱりしているけれど、素敵な場所ね……)


 花壇に植えられている花も、慎ましい野花のようなものが多い。

 ちょうど園丁が通りがかったので聞いてみたところ、この庭園は女帝時代のものを一旦潰して、新たに作られたそうだ。庭のデザインや植える花の種類などを決めるのは園丁たちの仕事だが、そこに皇帝も熱心に意見を言ってきたという。


 園丁を見送り、タリサはみずみずしい花々を見下ろした。


(……もう、過去とは違うのね)


 かつてミアがソフィアに脅された離宮はきれいさっぱり壊されており、庭園は開放的な雰囲気のものに造り替えられている。多くの人々が気軽に城を訪れ、笑い声が満ちている。


(……皇帝陛下。どんな方なのかしら……)


 あのソフィアの息子だと思うと微妙な気持ちだが、彼は生みの母を殺している。

 異父弟ばかり優先させられて鬱憤がたまっていたということもそうだし、きっとタリサでは想像もできないような思いをしてきたのだろう。


 気がつけばタリサは、鼻歌を歌っていた。


(クレトは、鼻歌が下手くそだったわね……)


 ミアにとっては鼻歌なんて意識せずとも漏れてしまうくらいのものだったが、なぜかクレトは顔をしかめて「いー」のような口の形にならないと鼻歌が歌えなかった。彼曰く、「ミアに教えてもらうまで、やったこともなかったから」らしいが、どうなのだろうか。


 のんびりと歩いているとやがてタリサは、頑丈な鉄の門の前にたどり着いた。

 先ほど兵士が言っていたようにその前にある立て札には、「立ち入り禁止」としっかりと書かれている。首を伸ばして見たところ、確かに黒い門の向こうはここまでの庭園と違い、草がたくさん生えているようだ。


(でも……あら? あれってもしかして、雑草じゃなくて薬草……?)


 幸い見張りはいないので、鉄の門に触れるか触れないかの距離まで寄って門の向こうを眺めてみる。ここからだとはっきり見えないが、いくつか見覚えのある薬草が生えているようだ。


(皇帝陛下専用の場所には、薬草が生えている……?)


 一体どういうことだろうか、と思いながら鉄の門から離れたタリサだが。


「……ミア?」


 ざわり、と風と共に、男の声がした。


 その声自体は、タリサには聞き覚えがない。

 だが、「その名」を呼ぶときのわずかな発音の癖は。

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