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プロローグ③

 クレトはあれから、病院には戻ってこなかった。医師曰く、「陛下から大歓迎されて、そのまま滞在されているようです」とのことだった。


 連日薬を作っていたミアはクレトと違い、体力がない。だから薬作りに区切りが付いた後も二日ほどは体力回復のために寝て過ごし、その後身だしなみを整えて帝城に向かった。


 初めて(まみ)えた皇帝は、四十代くらいの男性だった。

 なんとなくがっしりとした美丈夫を想像していたが、もしかするとクレトどころかミアよりも背が低いかもしれないくらいの小柄な中年男性だった。


 彼は、ミアの業績を褒め称えた。ミアは笑顔で応じつつも……かつてこの男が両親の大切な店を取り潰させたと思うと、微妙な気持ちになった。

 ミアでこれなのだから、皇帝の命令で両親を処刑されたクレトは、もっと心を乱されただろう。


 早くクレトに会いたい。ありがとう、あなたのおかげよ、と言いたい。


 ……だがミアはクレトと会うよりも前に、厄介な人に捕まってしまった。


「おまえ、邪魔なの。どこかに消えてくださる?」


 可愛らしい装飾がたくさんの部屋にて。


 ミアにそう言い放ったのは、華やかなピンクのドレスを纏った美しい少女。

 色こそはミアと似ている髪はばさばさで手入れもできないミアのそれと違い、つややかできれいに巻かれている。青色の目はきれいだが、そこには一切のぬくもりが感じられない。


「わたくしね、クレトのことが気に入ったの。彼は、この国を救った英雄。そんな彼ならわたくしの婿としてもふさわしいと思うでしょう?」


 ミアは、何も言えなかった。目の前にはおいしそうな紅茶入りのカップがあるが、それに手を付ける気さえ起こらない。というか、あれを飲んで果たして無事でいられるのだろうかとさえ思われた。


「わたくしはこの国の皇女で、皇太子。いずれ婿を迎えるようにと言われているのだけれど、女帝の婿に英雄をあてがうなんて、とても素敵だと思わない? 思うわよね?」

「……それを、クレトには……?」

「ええ、言ったわ。でも彼、断ったの。好きな人がいるからって」


 そこで皇女の小鼻がひくっと動き、白い手の甲に青筋が浮かんだ。


「それって、おまえのことでしょう? 彼、年上だけれど優しくて素敵な人だと言っていたわ。おまえがいるから、クレトはわたくしの求婚を断ったのでしょう?」

「……それは……」


 まさか、こうなるとは思っていなかった。

 クレトだって……自分が皇女の婿なんて思ってもいなくて混乱して、ついミアのことを口にしてしまったのだろう。


「だから、こうするわ。……帝国を救った英雄は、クレト一人。おまえは最初から存在しない。おまえはクレトに別れを告げて、立ち去りなさい。おとなしく消えるのなら、放っておいてあげるわ」

「そ、それは……私の一存では……」

「わたくしを誰だと思っていて? わたくしは、次の女帝よ。……真実なんて、いくらでも変えられるわ。わたくしが命じれば、皆従うもの」


 そうして皇女は、不気味なほど愛想よく笑った。


「じゃあ……選びなさい? クレトを手ひどくふって消えるか……それとも、死ぬか」










 クレトは、帝城の中でも最上級のランクの客室で過ごしていた。衛兵曰く、彼は「早く家に帰らせてくれ」と再三訴えていたが、皇女の命令によりほぼ軟禁状態にさせられていたという。


 そんな彼に会いに行くと、豪華なソファに座ってぼうっとしていたクレトは弾かれたように立ち上がり、ミアのもとに駆け寄ってきた。


「ミア! よかった、もう会えないかと……」

「クレト、大丈夫? お城で丁寧にもてなしてもらえている?」


 ミアが笑顔を作って問うと、クレトは微妙な顔になって立ち止まった。


「……飯はうまいしベッドもふかふかだけれど、長居はしたくない。それに……聞いてくれ。ソフィアとかいう皇女が――」


 そう言って、クレトがミアの肩に手を伸ばしてきた。

 だから――


「クレト」


 ぱしん、と鋭い音を立てて、ミアはクレトの手をひっぱたいた。彼女がクレトに手を上げるのは、これが初めてだった。


 叩かれた手を宙ぶらりんの格好にさせたまま、クレトは呆然とミアを見てきた。その灰色の目に明らかに傷ついたような色が浮かび――ミアの胸が痛んだが、もう後には引けない。


「消えるか、死ぬか」の選択を迫られたミアは――前者を選んだのだから。


「気安く触らないでくれる?」

「……ミア?」

「名前も呼ばないで。……私ね、ずっと思っていたの」


 違う、本当は嘘だ。

 これから自分が言うことは、嘘なのに――


「……あなたね、気持ち悪いの」

「……っ!?」

「ずっと、気づいていたわ。あなた、私のことをいやらしい目で見ていたでしょう?」


 聞かないで、気にしないで、クレト。


 分かっていたけれど……私はそれについて、あなたを責めるつもりはない。

 あなたも男の子なのだから、そういう時期もあるのだから、気にしなくていいの。

 あなたの罪ではない……!


「親代わりの女をそういう目で見るなんて……本当に、気持ち悪いのよ」

「……待って、ミア。俺は、そんな……」

「そんなつもりではなかった、って? ……だったらどういうつもりなの? 本当に好きな子が見つかるまでの間の、つなぎとして見るだけだった?」

「違う! 俺は本当に、ミアのことが好きで……!」

「何度も言わせないで。そういうのが気持ち悪いし、押しつけてくる愛情が迷惑なの。だから、あなたを追い出したのに……まだ分からないの?」


 心が、痛い。本当はこんなこと、言いたくない。


 だが……皇女は言ったのだ。「クレトがおまえに未練を持たないように拒絶したなら、クレトは生かしてやる」と。


 せめて、ミアだけが消えれば。クレトは皇女の婿にさせられたとしても、生きていける。生きていれば、いくらでも可能性がある。……彼にそう教えたのは、ミアだ。


 ショックを受けたクレトの顔に、ミアの手料理をおいしそうに食べて微笑む彼の顔が重なる。

 こぼれそうになる涙を見せまいと、ミアはクレトに背を向けた。


「……ここまで付いてきてくれたことには、感謝するわ。さようなら、クレト」

「ミアっ……!」


 クレトが手を伸ばしてきたが、衛兵たちが槍で彼の動きを阻止した。

 背後で「ミア! 行かないでくれ!」「もう、あんたを嫌な気持ちにさせないから、行かないで!」と涙混じりの声でクレトが訴える声が聞こえるが……ミアは二度と振り向かなかった。











 ミアは一人、馬車に揺られていた。


 一部始終を聞いた皇女は満足そうな顔になり、「クレトは後でわたくしが慰めてあげるわ。じゃ、おまえは消えなさい」と言ってミアを追い出したのだった。

 最後の温情なのか、森の奥にある自宅に帰るまでに使う馬車だけは用意してくれたが……本当に、それだけだった。


「……クレト」


 時刻は夜になっており、暗くて狭い幌馬車の中で横になりながらミアは愛しい養い子の名を呼んだ。


 クレトはもう、帝都から出られないかもしれない。あの皇女なら、クレトを言いくるめて外堀を固めて、彼を婿にするかもしれない。


 だが……ミアの勝手な判断で死なせるより、ずっといい。いいはずだ、と信じたかった。


 ため息をついて体を起こしたミアだが――いきなり馬車が停まり、乱暴に幌の布をめくられたためぎょっとした。

 そこに立っているのは、ミアを家まで送り届けてくれるはずの御者の男。


「な、何ですか?」


 壁際に後退しながら問うが、男は何も言わない。無言のまま腕を伸ばしてミアを捕まえると馬車から引きずり下ろし、地面に投げ飛ばした。


「きゃ――」


 悲鳴を上げたミアだが、その悲鳴も途中で声にならなくなった。

 仰向けに倒されたミアに馬乗りになった男が、右手に持っていたナイフで一息のうちに、ミアの喉をかき切ったからだった。


「……ぁ」


 ごほり、とむせる。

 赤い血が咳と共に出てきて、ミアの顎を濡らす。


 男はもう一度ナイフを振り上げた。

 狙うは――ミアの胸元。


 ――クレト。


 もう、痛みも悲しみも感じない。

 そんな中でも、ミアは最後まで、可愛い養い子のことを考えていた。


 クレト、クレト。

 どうか、どうか、あなただけは生き延びて。

 私のことは、許さなくていい。一生憎んでくれればいい。


 でも、どうか……生きて……。

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